第2話

 夏になりかけており、夕方になってもまだ明るいある日の放課後、高校の図書室。図書委員である私は、貸出カウンターに座りながら本を読んでいた。寮住まいであるが故に、一人になれる時間というのはかなり少ない。寮の自室は今のところ一人で使えてはいるが、秋になると編入生などが入ってくるのでルームメイトが出来るらしい。


 出来れば編入など無しに、寮の部屋をずっと一人で使う。そんな日々が卒業まで続けば良いと思っていたある日、図書室にある蔵書の一つを読んでいた時に声をかけられた。


「あの」

「え?あ……うん?……」

 

 文字の世界に沈み込んでいた私は、普段聞きなれない声に思いきり現実という地表へと引き上げられた。顔をあげると、おおよそ『図書室』に見合わないギャルがそこに立っていた。


 染めてはいるのだろうが、決して退学にならないであろう茶髪。ウェーブのかかった長髪。しっかりとメイクをした目元、口元。一冊の文庫本を差し出す手、その指先は薄暗い色を湛えた表紙とは異なり、夕暮れよりも、みかんの皮よりも更に鮮やかな橙色で彩られていた。『ネイル』というものだろうか。私は一度もしたことがない。


「これの続きとか、同じ作者とか、どこかにありますか」


 見た目の派手さとは裏腹な低い声。そして、自分が今聞いていることが容姿とは全く異なる、正反対であることを理解している表情で、目の前の女生徒は私へ一つ問いかけをしてきた。


 困惑しながらも、彼女が差し出している文庫本へ再び目を落とす。それはまるで、明るい太陽に浮かんだ黒点のような、眩しく咲く向日葵の葉先に浮かんだ明らかな病巣のような、人々を明るく照らす証明が時々起こす点滅における一瞬の暗がりのような……。


 『ギャル』と言っても差し支えの無い女生徒から出てくるにはあんまりにも相応しくないほど、昏く濁った恐怖小説、ホラー小説だった。


 黒く染まった表紙に浮かび上がった、髪の長い女性らしき霊の姿。明朝体で書かれた題名。この小説は読んだことがある。大学生の主人公たちが、過去の出来事が原因で怨霊と化した女性に呪いをかけられ、それぞれが凄惨な死を遂げていく。

 

 物語としては余りにもありきたりなものだったが、まるで作者本人が体験したかのように描かれる地の文。怨霊も恐ろしいが、仲の良かった主人公たちが呪いを原因として互いを憎みあっていく流れ、どれだけ他人を憎んでも、怨霊によって確実に『死』へと追い込まれていく様子が印象深く、私の記憶に深く刻み込まれている。


 以降、この作者の小説を追ったりしていたが、どれも湿っぽく、じっとりと嫌な気持ちになる話が多かった印象がある。


 だからこそ、目の前にいる『ギャル』と『ホラー』が結びつかず、脳が酷く混乱していた。はっきりとした声で返事が出来なかったのもそのせいだ。


 普段はそんなことないのに、人間はこんなことでパニックになってしまい、言葉が出なくなってしまうものなのかと自分で自分の反応に驚く。


「あ、ありますか……?」


 曖昧な返事しか返してもらえなかったのが不安だったのか、再びおずおずと聞いてきた。


「えっと、一応同じ作者のものならありますが……」


 私がそう答えた瞬間だった。「お~い!さな~ん!」と、図書室に静寂を切り裂くような甲高い声が響き渡る。思わずそちらを見ると、まさに『ギャル』らしい容姿に、『陽キャ』らしくぶんぶんと大きく手を振りつつ、図書室の入り口でぴょんぴょんと飛び跳ねている女生徒の姿がそこにあった。


 唖然としている私の前に立っていた生徒が唇に指を当てて首を横に思いきり振る。『さなん』と呼ばれていたのは、この子らしい。それと同時に、私もハッとする。図書室ではお静かに、だ。そう書かれたポスターを指さし、入り口に立っている子に向かって唇に人差し指を当てるポーズをする。


 流石に自分のやったことに気が付いたのか、入り口に立っていた子は無言ながら片手で「ごめん」と何度も繰り返しつつ、頭を何度も下げつつ図書室に入ってきた。困った。まさか入ってくるとは思っていなかったからだ。


 こうして、私の目の前には図書室という空間には全く似合わない二人の生徒が並んだ。


「ひ、ひっこ……なんでここに……?」

「え?いや、さなんどこ探してもいなかったから一番いなさそうなとこから探して……そしたらいるし」


 二人は目の前で声を押し殺しながら話し続けている。先に来た『さなん』と呼ばれている子は周りに聞かれないような囁き声だが、後から来た『ひっこ』と呼ばれているらしい子はコショコショ声と呼ぶに相応しい、衣擦れのような声で囁いていた。正直内容がはっきり聞こえるので、そんな二人をぼーっと眺めることしか出来ない。


「流石にびびったよね~……思わずデカい声出ちゃったし……。あ、うるさくしてごめんね」


 私に謝りを一つ入れると、私とさなん……さんの間にあった本が目に入ったらしい。


「あ、これホラー小説?あたし、ホラー苦手だからこういうの読めないんだよね~……ってもしかして」


 ひっこさんはそのホラー小説を手に取ると、さなんさんの方を向く。


「これ借りてたの?」

「え、あ、いや、んなわけないないって!」


 大きな声を出したさなんさんを注意するために軽く咳払いをする。


「あ……あの、廊下にこれ落ちてたから……図書室に置いておけば持ち主が来るかな~とかってさ、あ、あははは……」


「え」


 思わず声が出てしまう。この本が落ちていたものがわけがない。本と一緒に差し出された貸し出しカードにはこの本だけではなく、三日ほど前に貸し出された本は5冊ほどあり、その全てがホラー小説だった。つまり、さなんさんは好んでホラー小説を借りてるはずだ。


 だが、それ以上声を漏らすなと言わんばかりに睨みつけられた。私の口が蛇口だとすれば、元栓から締めてくるような鋭い視線に言葉が詰まる。


「だからここにいたのは偶々、偶々ね。廊下に落ちてたものを拾って偶々それが図書室のものだったってわけ、いやあこういうめぐり合わせというか、ウチの勘って結構当たるじゃん?ほらこの前のテストとか四択全部当ててたし。あはははは」


 そして、元栓を締めても安心出来ないのか、自分の蛇口から勢いよく言葉を噴出させてきた。正直、怪しすぎる。さっきまで動揺していたとは思えないほど流暢に言葉が出てきているのだ。怪しいだろう。


 けれどもひっこさんはそれで納得したのか、「な~んだ、さなん優しいじゃん」と言って笑顔を浮かべていた。純粋が過ぎる。


 さなんさんはそれを見て安心したのか、上がっていた肩をゆっくりと下げ、ふぅ、と大きく息を吐いた。


「ほら、今日はコスメ見に行くんでしょ?ごめんね、探させちゃって」

「ううん、全然探してない!一発目で見つけたし!」


 静寂を再び切り裂く元気いっぱいの声。さなんさんと私は人差し指を同時に口に当て、ひっこさんへ注意する。


「あは……ごめん」


 飼い主に怒られた犬のようだ。寮住まいなこともあって、実家で飼ってる犬のことを思い出す。


「でもあたしの勘も中々っしょ?」


「はい、はい……行くよ」


 どうやら話はまとまったらしく、さなんさんがひっこさんの背中を押して図書室から出ていく。先ほどまでの騒がしさが嘘のように、図書室には静寂が満ち始めていた。とはいっても、これが本来の姿なのだが。




 時折こちらを横目で見ていた他の生徒たちも、本を読んだり勉強をしたり、それぞれが目的としている図書室の使い方へと戻っている。




 はぁ、と大きく溜息をつく。机に目をやると、さなんさんの図書カードと返却したらしき本がそのままになっていた。本はこのまま棚へと返せばよいが、図書カードはそうもいかない。持ち主の手元にあってしかるべきだ。




 忘れ物置き場へ図書カードを置こうとして、手が止まる。さなんさんは何故かひっこさんに対して図書カードどころか、本を借りたこと自体を隠したかった様子だった。つまり、忘れ物置き場に置いておいて、誰かに見られるのも嫌なはずだ。




 クラスの記入欄を見ると、1-Cと書いてある。クラスは違うが、私と同学年だ。




「……どこかで返せばいいか」




 図書カードを学校指定の鞄にしまおうとし、ぽつんと一枚の紙が本の隣に置いてあるのに気が付く。私が置いた覚えもないし、さなんさんが来る前にもなかったはずだ。




 ……。




 猛烈に嫌な予感がする。これを開いて中の文章を読んでしまったら、回避出来ないイベントに巻き込まれるような、そんな予感が。かといって、そのままゴミ箱へ投げ捨ててしまうのもしのびない。嫌なものを見るように細めになりながら、おそるおそる紙を開く。




『あした ほうかこ そうこきょしつ』




 書かれていた文字は急いで書いたせいか、乱れたものだった。けれどもこの筆跡には見覚えがある。何故ならつい数秒前に見たもの、つまりさなんさんの図書カードに書かれていた文字と似ているので、このメモはさなんさんからのメッセージということになる。




「……っふぅーーー………」




 本日何度目かの、そしてその中でも一番大きな溜息をつく。かけていたメガネを外し、目頭を抑えながら天井を見上げた。




 明日、学校休もうかな……。

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