第5話 【中編】キンパッカの果実

 ボーン、ボーンと古時計のような音が館内放送で流れる。これは十二時を知らせるチャイム。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか」


「は、はい!あ、ちょ、ちょっと待っててください、本を借りてきます!すぐ戻るので!」


 慌ててカウンターに向かう彼に、走っては危ないと言う前に走って行ってしまった。


「ふふ、別に慌てなくてよかったのに」


 お兄さんが戻るまでに荷物をまとめておく。

 彼にも少し手伝ってもらおう。


「す、すみません!お待たせしました!」


 息を切らして戻ってきた彼には申し訳ないけど、少しだけ荷物を持ってもらえないか聞いてみる。


「戻ってきて早々に悪いんですけど、少し手伝ってもらってもいいですか?」


「も、もちろんです!これだけでいいんですか?その荷物も」


 こっちがピクニックに誘ったのに、流石に全部持ってもらうのは気が引ける。


「大丈夫ですよ。その代わり、たくさん食べてもらえると助かります」


「え、わ、分かりました!頑張ります」


 公園に着くと、お兄さんはキョロキョロと見渡していた。


「どうしました?」


「あ、いや、あまり人がいないと思って」


 お昼の時間なのもあるが、人気のカフェから少し離れてるので人が少なく穴場スポットなのだ。


「ピクニックする人なんて少ないですからね。花見には早すぎるし」


「そう、ですね。落ち着いて食べれますね」


 少し安心した顔をする彼は、肩から力が抜けたように少し猫背になった。


 テーブルに荷物を置き、さっそく保冷バックから食べ物を出していく。サンドイッチ三つにおにぎり四個、から揚げ五個入りパック、ミートボール六個入りパック、ポテトサラダ、プチトマト。


 そして、デザートにマンゴーのカットパックにゼリー二個。お菓子にはポテトチップスと煎餅を買ったがしまっておく。


「よし、食べましょうか」


「はい、いただきます」


 ハムときゅうりのサンドイッチを手に取る。彼はシャケのおにぎりを手に取った。


「なんか、ピクニックで食べるご飯って美味しいですよね」


「んぐ、お、お祭りで食べる屋台飯、みたいな?」


「そうそう!それです!」


 イメージよりも大きな口で頬張る彼は、心なしか瞳が輝いている気がする。


 そんな彼を見て、キンパッカの果実を思い出した。


————


 出会った日から詐欺師は高圧的な態度で、女に何度も奢らせていた。


「はあ、ここの飯はあんま上手くねえな」


「そうですね、可もなく不可もなしって感じでした」


 意外と味の好みや求めるクオリティの高さが一緒で、不味い飯屋に当たったことはない。それが少しムカつくが別に不味い飯を食べないわけじゃないので、鼻を鳴らす程度にしてやっている。


「でも、この前食べたお店は美味しかったですよね!」


 こうやって遠慮もなく笑うから、何も言えなくなる。馬鹿面とかアホ面とか、言いたいことはあるのに口に出せない。


 口に出したら、二度と笑わない気がして。


「まあ、悪くはなかった」


「本当ですか!」


 本当は分かっていた。

 俺が認めたくないだけで、いつまでも金を騙し取らない理由。


「次も美味しいって評判なんですよ!」


「ふーん、まあ期待しないでおく」


 任せてくださいと瞳を輝かせる彼女から、目を逸らす。緩んだ顔なんて見せたくない。


 だから、忘れてたんだ。

 あまりにも生ぬるくて心地良すぎて、俺達を見る影に気づかなかった。


 それからも女と飯を食う日々。飯を食べ終わると眠たくなるような、空腹とは程遠い日々。

 いつのまにか繋がれていた手をそのままにしてから、別れるまで繋ぐのが暗黙の了解になっていた。


「ぬる過ぎて、何もかも忘れちまいそう」


 待ち合わせ場所で、そう呟きながら待っているとスマホが震えた。


 あの女からのメッセージを見て、一瞬で全てが冷めた。


 女を助けたければ従え、そのメッセージと共に写真が映っている。この世は地獄だと、思い出してしまった。


————


 あの詐欺師も二人で食べると美味しいって、言ってしまったら良かったのに。私とお兄さんも、ピクニックはしているが親しいわけじゃないけど。


「二人で食べると美味しいですね」


「え、あ、そ、そうですね。あなたと食べると美味しい、です」


 言ってしまえば、どうってことはない。

 口に出すまでに少し勇気がいるだけで、口に出した後はすっきりした気分だ。


「黄卵おにぎり?」


 お兄さんが手にしていたのは、醤油漬けされた黄卵のおにぎり。一時期ハマってそればかり食べていた。


「それ美味しいですよ。卵大丈夫なら、食べてみてください」


「い、いただきます」


 恐るおそるひと口食べると、パアッと彼の顔が明るくなり、バクバクと二つとも食べてしまった。


「ふふ、気に入ってくれました?」


「うぐっ、す、すみません!美味しくて黄卵おにぎり、全部食べてしまいました」


 社会人になってから、仕事以外で誰かと食べるのなんて久しぶりだ。心に温かさが滲む感覚がして、少し恥ずかしさを感じる。


 じわり、じわりと温かさは心全体に広がり、日々の苦しさが和らいでいく。


「ふふ、まだまだありますよ!から揚げ、ミートボール、ポテトサラダにミニトマト!じゃんじゃん食べましょ!」


「ふ、はは、いただきます」


 その顔はまるで、眩しいものを見ているかのようだった。

 逆光だったから、眩しかったのだろう。




***




 お兄さんの貢献もあり、昼ご飯は全て完食できた。


「ありがとうございます!全部食べ切れましたね」


「い、いえ、こちらこそ、ありがとうございます。美味しかったです」


 残るはデザートのみ、お菓子は持ち帰ろう。

 マンゴーのカットパックを開け、みかんと桃のゼリーをお兄さんに選んでもらう。


「ゼリー二個あるんですけど、みかんと桃、どっちがいいですか?」


「じゃ、じゃあ、桃で」


 桃のゼリーとスプーンを手渡す。

 嬉しさが滲み出るのか、彼の口元は緩んでいる。


「桃、好きなんですか?」


「あ、はい。でも、あまり甘いものは食べないんです」


 たまに食べると美味しく感じる感覚とは、違うみたいだ。


「マンゴーは食べれます?」


「食べれます、でも、あの、聞いてもいいですか?」


 瞬きが多くなった彼は、ソワソワしていた。


「図書館で話してたキンパッカの果実って、どんなものに似てるんですか?」


 もじもじと指を弄りながら、返答を待つお兄さんに微笑みながら答える。


「キンパッカの果実は、マンゴーに似ているそうなんです。見た目も香りも味も」


「あ、だから、マンゴーのカットパックを?」


 フォークで刺し、四角形に切られたマンゴーを食べる。


「んむ、小説の影響もありますけど、マンゴーにハマって」


 少し照れながら言うと、クスクスと彼は笑った。


「僕、マンゴーは缶詰か、ゼリーに入ってるものしか食べたことなかったんです。生のマンゴーって、意外と歯ごたえがあるんですね」


「ん?歯ごたえ?」


 熟したマンゴーなので、歯ごたえはなく柔らかいはずだ。まさか、熟してないマンゴーが入っていたのか。


「いや、えっと、こっちのマンゴーを食べてみてください!」


「こっちですか?」


 パクッと食べた彼は驚いたのか、目を見開いている。猫があまりの美味しさに固まっているみたいで可愛い。


「お、美味しい!!美味しいですね!ハマってしまうの分かりますっ」


「ふふ、お兄さんが食べたのは、熟していなかったマンゴーだったかもしれません」


「あ、ち、ちか、すみません!」


 横を向いた瞬間距離が近くなったが、私には猫が興奮しているように見えていた。だから、彼の反応がきっと普通。


「大丈夫ですよ。話は戻りますけど、マンゴーに似ているとはいえ、種類までは分からなくて」


「だから、図鑑を買ったんですね。ふふっ」


 小さく笑うお兄さんに近くに誰もいないのだから、もう少し声を大きくしてもいいと言えなかった。


 少し遠くの方から笑い声が聞こえた瞬間、彼はピタッと笑うのをやめてフードを被った。


 肩を震わせ、腕を握る彼から目を逸らす。


「・・・・・・デザート、食べ終わったら図書館に戻りましょうか」


「あ、そ、そうですね」


 そう声をかけるしかなかった。

 大丈夫だと簡単に言える関係ではなかったから、理由なんて聞けるはずもない。


 マンゴーとゼリーを食べ終わる頃には、明るい雰囲気に戻って少しホッとした。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」


「いえいえ、買いすぎたので助かりました!」


 ゴミを袋にまとめて、保冷バックに詰め込む。

 スマホを見ると十三時を過ぎていた。


「忘れ物はないですね?図書館に戻りましょう」


「はい、大丈夫です」


 彼はフードを被ったまま、歩き出す。

 向かう途中もぎこちない会話しかなかった。


 図書館の前に着くと、なんとなく立ち止まった。


「私は・・・・・・図書館で本を読もうかなと思いますけど、お兄さんは?」


「あ、僕は、帰ろうと思います」


 まあ、帰るだろうなとは思っていた。

 図書館で隣に座っても、これと言って話さないだろうし。


「じゃあ、また図書館で」


「あ、はい、また」




***




 トボトボと帰る背中を見て、ふと思った。


「なんで、また何て言ったんだろう」


 彼と会う約束をしているわけでもないのに、気まずさで思わず言ってしまったのか。

 それとも・・・・・・


「まあ、いっか」


 軽くなった保冷バックを持ちながら、図書館に入った。

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