第6話 【後編】キンパッカの果実

 図書館に入り、いつもの席に荷物を置く。


 お兄さんの後ろ姿を思い出し、その手には図書館で借りた本だけがあった。鞄一つ持たず、スマホと財布だけなのだろう。


 ペラペラのトートバッグだけでも持てばいいのに。何も持たない彼に、なんだかムッとする。


「はあ、図鑑探そ」


 分類表を見ながら、植物図鑑がある本棚に取りに行く。見つけた図鑑は家にあるものより、少し古いものだった。


 席に戻り、図鑑の目次を見て果物ページを開く。そこにマンゴーが何種類か載っていた。


「インドマンゴーか」


 濃い黄色をしたインドマンゴーのバンガンパリ種。それが自分の中でイメージとピッタリくる。


 図鑑を閉じ、元の場所に戻すため立ち上がる。調べ終わっても、このまま本を読む気分にならないので家に帰ることにした。


 帰り道、軽くなった荷物に体が浮いているような感覚を覚える。思わず、つま先立ちをしてしまいそう。


 ふと、甘い匂いが漂ってきた。

 焼菓子のような甘い香りに釣られて行くと、こじんまりとしたケーキ屋さんがあった。


 中に入ると客は少なく、ゆったりとした時間が流れていた。商品ケースを見るとマンゴーがふんだんに使われたケーキが目に入る。


「マンゴー・・・・・・」


 キンパッカの果実は、ある話集に出てくる果物。その果実を食べると内臓が破れて命を失ってしまう。


 マンゴーにとてもよく似ていて、多くの人達がその害毒を知らずに食べて、命は失われたと物語に書いてある。


 形や色、香り、味が似ていても手に取ったものがマンゴーか、キンパッカの果実か、見分けなければいけない。目的や欲しいものが手に入った時にこそ、苦悩が訪れると言う教訓だ。


 キンパッカの果実ほど、甘い罠という言葉が似合わないものはないだろう。


 詐欺師はキンパッカの果実をマンゴーと偽り、人から金を騙し取っていく。けれど、男がマンゴーだと思っていたのが、キンパッカの果実だったしたら。皮を剥いて、サイコロ状にカットしてしまえば、見分けなんてつかないだろう。


 遅延性の毒は知らず知らずのうちに、男の体を蝕んでいったはず。


————


 メッセージに書いてあった場所に行くと、背後から頭を殴られ、気を失った。


 目覚めると見たことのある男がいた。


「その女に手を出したら、分かってんだろうな!?」


 昔、一度だけ手を組んだことがある男に俺達は捕まった。


 震えている細い肩に気持ち悪い手がまわる。


「分かってんのかって?今のお前に何ができんだよ」


 抵抗しようにも男二人に押さえつけられて、もがくので精一杯だ。


「そいつに触んじゃねえ!!」


 髪の毛先を触ったり、腰に手をそわせたりする手に、腹の奥から煮えたぎるような怒りが湧く。


「お前らなんて、人の残飯を食うことしかッ」


 バンッと地面に叩きつけられるほどの張り手がアイツを襲った。悲鳴なんて出す暇もないほどの衝撃に、うずくまうめいている。


「てめえ!!」


「分かってねえのはお前の方だろうが!!」


 女の柔らかい髪を鷲掴み、無理矢理立ち上がらせる。


「いっ!!」


「いいんだぞ、まわしても!!やり方なんていくらでもあんだよ!」


 ガクガクと震える女を見て、睨みながら男に聞く。


「何が目的だッ」


「お前みたいな奴にあんのは金しかねぇだろ!・・・・・・一億だ、用意できるよな?」


 一億と聞き、顔を歪めることしかできなかった。手元に残っているのは一千万、一億なんてすぐに用意出来るわけがない。


「おいおい、まさかないのか?なら、仕方ないよな」


「いやあッ!!」


「やめろッ!!!」


 あんな女売っちまえばいい、それなのに勝手に口が動くのは何故なのか。


「なんでもする!!金を用意しろって言うなら、今すぐにでも用意する!臓器売れってなら売ればいい!!」


「あははははははっ!!」


 男は笑い、掴んでいる髪の毛を離した。


「何でもするってよ、これでいいか?」


「・・・・・・ええ」


 そう言って立ち上がった女は、さっきまでの震えも怯えもなかった。こちらを見下ろした顔は、騙した奴らと同じ顔をしていた。


「ど、ういうことだよっ」


「お前は騙されてたんだよ。あーあ、詐欺師の名が廃るねぇ」


 アイツが金持ちなことは事実で、辛い時期に励ましてくれた恩人の金を俺が騙し取った。その金は、恩人の夫の治療費だったと男が女の代わりに話した。


 何も言わず俺を見る顔を見て、声が途中で止まった。


「おまっ、え・・・・・・」


 あの男が話す声も周りの音も遠くなり、ただ女を見上げていた。


 俺を見下ろす顔が少しでも嘲笑わらっていたら、罵倒でも何でも言えたのに。

 その顔は、憎悪と憎悪とは違う感情を浮かべていた。


 こんな時に思い出したのは、騙し取った男に言われた言葉。


「必ず報いを受けるぞ!!必ずだ!!必ず地獄に落ちる!!」


 必ず報いを受ける。

 全てを奪われる感覚というのは、空洞に落ちる様なものなのだろうか。


 確実に俺は地獄に落ちる。

 だけど、この惨めな人生がアイツの何かになれるのなら、案外悪くないとまで思ってしまっている。


 俺が憎いなら、そんな顔しなければいいのに。

 能天気なのは元からだったみたいで、少し笑ってしまう。


「やっぱ、幸薄い女じゃねえか」


 男性はその言葉を最後に死ぬまで殴られ、抵抗もせずあっけなく死ぬ。その際、何故か彼女は残った骨が欲しいと言った。

 後日、彼女は骨を握りしめてビルから飛び降りた。


————


 詐欺師の男は最後に報いを受けた。

 だって、愛した女は死を選んだのだから。


 詐欺師は最後まで彼女に騙された。


 キンパッカの果実を食べたのは、誰だったのか。地獄に落ちた二人にしか、分からないだろう。


 結局、ケーキ屋では何も買わずにいつものスーパーに寄った。平日より早い時間帯のため、値引きはされていなかった。


 カットパックに入った最後のマンゴーを食べる。


「美味しい」


 舌の上でとろけるマンゴーに、また買おうとゴミになったパックを捨てた。




***




「え、美術館ですか?」


「そうなの!頂いたけど、予定が合わなくて」


 あのピクニックから、なんとなくお兄さんに会うのが気まずくて図書館に行っていない。


「しかも二枚も・・・・・・」


「ほら、あなた美術好きって言ってたでしょ?よかったら貰って!」


 誘う人がいなかったら、誰かにあげてもいいと新田課長は会議に向かってしまった。


「誘う人・・・・・・」


 悪意がないのは分かるけど、少しディスられている気がする。どうするかと唸っていると、後ろから声をかけられた。


「どうしました?」


「あ、青葉さん」


 チケットを見せて、事情を説明する。


「誘う人もいないので、誰かにあげようかと」


「・・・・・・ちなみにいつまでですか?」


 展示期間は4月末まで、今は4月の中旬なので期間は少ししかない。


「行く日は決まってますか?」


「あ、はい。この日に行こうと思ってます」


 うんうんと頷く青葉さんに首を傾げる。

 何故、私の予定なんて聞くのだろうか。


「俺もその日は空いているので、よかったら一緒に行きませんか?」


「え、一緒に?」


 はいと頷く彼に、驚きで口からパクパクと空気だけが出る。まさか、青葉さんに誘われるとは思わなかった。


「もし一人が良ければ」


「あ、いえ!そう言うわけではなくて、誘われてびっくりしただけです」


「そうですか、予定は後日決めましょう」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 スタスタと歩いていく背中に、状況を上手く飲み込めない。


 これってもしかして・・・・・・


「デート?」


 デートなんて高校生以来な気がする。

 社会人になってからは仕事で精一杯で、恋とかしている暇がなかった。


 でも、デートと言っていいものか。

 本当に出かけるだけなのかもしれない、確定するのは早い気がする。


「・・・・・・何、着ていこう」


 クローゼットにある服を思い出していた。

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