第4話 【前編】キンパッカの果実

 安売りしていたマンゴーのカットパックを食べながら、植物図鑑を見ていた。


 小学生の頃、植物図鑑や昆虫図鑑を見るのが好きだった。当時覚えた知識はあっという間に忘れてしまったけど、とてもワクワクして楽しかった記憶がある。


 会社からの帰り道、どデカい植物図鑑を抱えながら家まで歩いた。注目を浴びたので、あと数年は経験したくない。


 あの時を思い出しながら、図鑑をペラペラとめくっていく。


「やっぱり図鑑の絵、好きだな」


 精巧に描かれた植物は幼い記憶と変わらず、葉脈さえ透けて見えるようだった。


 図鑑を買った理由は、キンパッカの果実という作品を読んで、似たような果実はないかと気になったからだ。


 キンパッカの果実という作品は、男性の詐欺師が今までの報いを最後に受ける話。


————


 詐欺師にとって人の金は密であり、命とは量産されるものでしかなかった。


 騙し取った金が孫のために残したものであろうが、娘の治療費であろうが関係なかった。騙された方が悪い、気づかなかった奴がアホなのだと嘲笑する。


 物の判断も一人では出来ない80代の老人から300万をもらった。しけていたが300万あれば、数ヶ月は遊べるだろう。


 詐欺師は口座残高を見て、口角を上げる。


 ギャンブルはしない。賭け事より、飲んで食ったほうが生きてる心地がするから。

 貸し借りはしない。貸して返ってこなかったら、詐欺師の名が廃るから。


 全て自分のために使う。

 それがこの詐欺師の信条とまだはいかない、こだわりである。


 その出会いはクラブでの出来事だった。


「次もロックで」


 ウィスキーを水のように飲み、女供おんなが織りなす曲線を目で追っていた。


 ふと近くのテーブルで話している女に目が止まった。クラブに来るような香水臭くて、化粧の濃い女ではなく、カフェで静かに本を読んでいそうな幸薄い女。


 このクラブは揉め事を起こさなきゃ、何をしても追い出されることはない。


 ご愁傷様と出てきたロックを飲んだ。


「やめっ」


 そんな小さな声なんて、爆音の中でかき消されるはずなのになぜか聞こえた。


「アンタ、センスないな」


 助ける気なんてなかったのに、乱暴する男の手を強く掴んでいた。


 断ることも出来ない女にも、そんな女の前に立っている自分にもイラついて仕方ない。怒鳴っている男の声より、苛立ちの方が強くて不快な鳴き声にしか聞こえない。


「うるせえよ、猿」


 詐欺師じぶんは何をしているのか。

 苛立ちに任せて振り下ろし続ける拳に聞いても、返事なんてあるわけない。


 殴り続ける詐欺師にクラブのスタッフが駆けつけ、押さえ込まれたのち店の外まで引きずられた。


「ぐあっ!」


 スタッフに追い出される時、胸ぐらを掴まれて投げ飛ばされた。

 真っ青な顔で駆け寄ってくる幸薄そうな女に、苛立ちが最高潮になる。


「大丈夫なわけねえだろうが!お前のせいだろ、どうすんだよ!!」


「あ、す、すみませ、すみません!」


 治療費を出すと言う女は、震える手で財布を出した。


「金出せばいいと思ってんのか!?お前のせいで出禁になったんだよ!!」


「ご、ごめんさ」


「この!!」


 振り上げた手を途中で止めたのは、女に自分を重ねたわけじゃない。こんな惨めに腕で頭を守ったりしない。


「はあ、萎えたわ」


 手を下ろし、食べ損ねた晩飯を思い出した。


「アンタ、悪いと思ってるなら晩飯奢れよ」


「え、夜ご飯、ですか?」


 育ちの良さそうな言葉遣いに、心が冷める。


「早く立てよ、食い損ねるだろ」


 腕を無理矢理引いたのは、女の動きが遅かったからか、逃げられないようにしたかったのか。今はそんなことどうでもいい、空腹を満たすことの方が重要だ。


 居酒屋に入ると物珍しそうに店内を見渡す女、本当に金持ちなのかとうんざりする。


「た、楽しいお店ですね!」


 ここが楽しい。

 そう思ってるのはお前だけだと、鼻で笑う自分と能天気に笑う女を剥き出しの電球が照らす。


 同じ電球なのに何故こうも照らし方が違うのか。この女と何が違ったのか。


 そう思わずにはいられなかった。


「全部に決まってんだろ、クソッ」


 そこから詐欺師は金持ちらしい女にあれこれと聞き、次のターゲットに決めた。父親が飲食店を経営しており、何店舗か出しているのでそれなりに繁盛しているらしい。


 この女を金づるにすれば、一生食って遊んでいける。簡単なゲームすぎて笑えるが、目の前の幸薄そうな女を落とす。


「アンタ美味い店知ってんの?なら、紹介してよ。俺、食うの好きなんだ」


「任せてください!」


 騙されるとも知らず、馬鹿の一つ覚えみたいに返事をする女に笑ってしまう。


「ははっ、ほんと助かるわ」


————


 カッと透明な容器にフォークが当たり、マンゴーを全部食べ終わってしまった。カットパックとはいえ、高いので大事に食べていたはずなのに、あっという間になくなった。


 時計を見ると夜の23時を回っていた。


 明日は休日なので、夜更かししても良い日。

 少し財布の紐がゆるみ、買ったことのないカットマンゴーを手に取った。


 本をテーブルに置き洗面台に立ち、歯を磨く。


 午前中は図書館でのんびり本を読み、お昼はサンドイッチなど買って公園で食べようかと明日の予定を考える。


「ピクニックなんて、何年ぶりだろ」


 久しぶりのワクワク感になかなか寝付けなかった。




***




 朝起きてカーテンを開けると、春の青空と日差しが見えた。


 今日はピクニック日和だ。


 朝ご飯はバターを塗ったトーストとインスタントのコンソメスープで軽く済ませる。

 ピクニックでサンドイッチやから揚げ、デザートだって買う予定だからお腹ぺこぺこにしておく。


 出かける準備をしてたら、10時になっていたのでトートバックに、昨日テーブルに置いた本を入れて家を出る。


 図書館に行く前にスーパーでお昼ご飯を買う。ハムときゅうりのサンドイッチ、たまごサンド、から揚げにミートボール、おにぎり、そしてマンゴーのカットパック。


 テンションが上がって買いすぎてしまったが、夜ご飯にすればいいかとお菓子も買った。


 買った食べ物を持ってきた保冷バックに入れて、持ち上げると腕が千切れそうになる。図書館までの道のりを思い浮かべて、気が遠くなるがピクニックにためだと歩き出す。


 空を見上げると本当に良い天気で、芝生の上で昼寝をしたら気持ちがいいに決まってる。


 腕が限界になるのと同時に図書館に着き、速足でいつもの席に荷物を置いた。


「あ、い、いつもより早い、ですね」


 ドスンと腕を圧迫していた荷物を置いて、大きく息を吐いているとお兄さんが話しかけてきた。


「そうなんです。ピクニックをしようと思って」


「え、ピ、ピクニック?お友達とですか?」


 大量の荷物を見たら、一人だとは思わないだろう。


「あ、いえ、一人で」


「ひと、り」


 ポカンとした顔でこちらを見る彼に、少し恥ずかしくなってくる。買いすぎた自覚はあるけど、そんな驚かなくてもいい気がする。


「自分でも買いすぎたとは思います・・・」


「え、あ!いえ、いっぱい食べることはとても良いことです!そんな、あの!」


 顔を青くしながら、慌てた様に弁解をするお兄さんに思わず笑ってしまう。


「ふふ、そんなに慌てなくても!ふふ、いいのに!」


「あ、わら、って」


 なんだか面白くなって、静かにしないといけないのに大きな声で笑いそうになる。


「ふふ、ははっ、あの、もしよかったら、一緒にピクニックいかがですか?」


「え、僕とですか?」


 急に誘うのは、流石に気まずいか。


「あ、予定とかありま」


「い、行きます!」


 勢いよく返事をされて、一瞬だけ声が出なかった。


 まさか、お兄さんとピクニックに行くことになるとは思わなかった。出会って数回しか話したことがないし、彼はあまり人付き合いが得意そうではないのに。


「・・・・・・じゃあ、お昼になったら近くの公園に行きましょうか」


「あ、は、はい!よろしくお願いします」


 彼の手元を見るとまた理系の本を持っている。


「本当に数学がお好きなんですね」


「あ、えっと、答えが出るのが好きで」


 お兄さんが言うには、数学は必ず答えが出る。解けないのは自分の理解不足で、理解すればどんな問題でも答えを導き出せる。


 それが良いらしい。


「答えが出ると安心するんです。答えが出ないのは怖い、分からないまま過ごすのは不安でいっぱいになるっ」


 ぎゅっと本を握る手は白くなっている。

 きっと彼の根本にある不安なのだろう。


「じゃあ、国語とか苦手ですか?」


「え、あ、はい、漢字とかはいけるんですけど」


 ハッとした様に話す彼に、少し安堵する。


「ふふ、私とは真逆ですね!国語、得意でしたから!」


「あ、はい、あなたはいつも小説を読んでる、から」


 少し口角を上げる彼の微笑みは、どこか危うく、なぜか小さな宝物のように感じた。


 時計はまだ十一時を指している。

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