多喜亮珠、呉萠妃――放課後③

 先日の避難訓練での部室区画でのトイレ利用者が異様に多かったわけがわかった。


 皆、密かに携帯を使うためだ。それが外部と連絡を取るためなのか、天気予報で気温を見たりSNS等で他校の避難訓練の状況を検索するためだったのかはわからない。だが、ここだけ電波遮断が途切れているのは間違いなかった。


(これ、城戸先生に報告したほうがいいのかな……。それともなんかあった時のために敢えてここだけ外部連絡用の抜け穴として残してあるのかな)


 そんなことを思いながら、肝心の上田からのメッセージを開いた。


『悪いけど先にかえって やることある』

 それだけだった。


 生憎だがそうもいかない。一応形式上、左右両翼の安全確認として二人揃って日直の教諭に報告に行くことになっている。


(仕方ない、あとで左区画あっち側まで迎えにいくか)


 そう思いつつ、つづいて隣の女子トイレの前に立った。

 こっちはいきなり開けるわけにもいかない。代わりにドアを叩き、戸板越しに声を張る。


「見回りです。だれか残ってますか?」

 すぐに中から「はーい」という女子の返事をする声が帰って来る。


「失礼ですが、演劇部の方ですか?」

「はーい。2年のクレでーす」


 この声をきいて、腕時計を見る。6時36分と表示されている。


「取り込み中すみません、できるだけ急いで撤収してもらえますか。45分まで10分切ってます」

「はーい、今でまーす」


 そんな返事が扉から意外に近いところから聞こえた。或いは手洗い台のあたりで髪でも整えていたのだろうか。


「ご協力おねがいしまーす」

 そういって、廊下に戻り、他の部室の扉の確認を続けた。


 途中、背後を1人分の足音がトイレから部室のドアの一つに駆け込むのが聞こえた。


 ……計7室、一番手前から一番奥の非常口までしっかりと確認した上で、時計を確認した。


 6時39分。

 振り返ると、演劇部の部室はまだ明かりがついている。


 小走りにその戸口に向かい、そのドアを開いた。


 そこにいたのは、きれいな首筋と髪を一筋も漏らさずに高い位置の後頭部に団子にまとめたすらりと背の高い一人の女子だった。

 彼女はドアの音に気づいてこちらを振り向くところだった。


 率直に言って、目が奪われるような美しい顔だった。目鼻立ちが涼やかに整っていて、ただ、背丈が多喜が見上げるくらいに高い。


「まだですか」

「いま出るトコです」


 その声は、さっき女子トイレでクレと名乗った声だった。

 彼女の手元は携帯電話のカメラ機能でホワイトボードの絵図を撮影している。


「急いでください、あと5分です」

「はい。さっさと帰ります」


 そう返事をして、彼女は携帯のストラップを肩に吊るし、荷造りを始めた。


 多喜は彼女を待たずに廊下に戻り、中央階段まで戻った。


 階段を登ってみるも、上田と思しき人影はない。中庭の方からは

「いそげー、さっさと帰れー」

 と更衣室から飛び出すように中庭を経て、正門へ向かっていく生徒たちを追い立てる日直の先生の姿があった。


 手の中の携帯が再びメッセージ通知の振動を発する。それを見る前に、日直の先生と目が合う。


「見回り、終わりましたか」

「あ、まだです。もうちょっと待ってください」


 そう言って階段を駆け下りながら携帯を見た。


『すまない』


 メッセージの冒頭部分を示す通知欄には上田のアカウント名とその4文字だけが表示されていた。発信時間は4分前だ。


 ふいに、嫌な予感がした。


 上田は真面目な上におとなしい性格だ。

 始めからこんなに高圧的で時に暴力的な任務を強いられると知っていたら、オーダー科での推薦入試だって最初から考えなかったかもしれない。

 そのくらいに人を傷つけられない性格をした少年だった。


 飛び降りて階段を下り、左側の部室区画の廊下を小走りに回った。

 各ドアを叩いて回るが、返事があるものはない。一番奥の非常口まで全部閉まっている。


 残るはトイレだ。

 ダッシュで折り返して男子トイレの押し戸を開いて、目を剥いた。


 黄昏時の薄暮れの、暗い青に近い光が差す窓辺のトイレの個室の扉の上枠から、まるでてるてる坊主のように人が垂れ下がっていた。


 ぶら下がっているのは、スポーツ刈りに小柄な体をした、上田だった。トイレの個室の枠と彼の首元が、ボディカム用のハーネスで吊り下げられていた。


 多喜は肺の中の息を全て吐き出す勢いで叫んだ。

「だれかー! だれかー!」


 ふた声廊下に叫んで中に戻り、上田を吊るしたハーネスの留め具を外した。

 ぐたりと重たい肉の人形のようになった上田の体を抱えた。まだ体温を感じる程度には温かい。

 だが、抱えたついでに顔に耳を寄せたが、呼吸はない。


 防水貼りの床に仰向けに寝かせて、自分のボディカムを引っ剥がして、力の限り腕を振るって窓の下の壁に投げつけた。


 たちどころに異常振動検知のブザーが叩きつけられたボディカムから鳴る。右側の部室区画のトイレ同様、この部屋も外のネット回線と通じるのであればこれで城戸の端末に非常通知の位置情報が伝わっているはずだ。

 

 素早く多喜は上田の傍らに膝をつき、彼のシャツの胸ボタンを破るように開いた。

 胸の上に両手を重ねて指を絡めた。……手のひらに、上田の心臓の鼓動は感じない。


「だれかー!」

 多喜は悲鳴のようにそう叫びながら、膝から上の体重をかけて胸骨を押し込んだ。

 心臓マッサージだ。分間100回から120回、胸骨を深く押し込む。


 ボランティア時代に講習で習った通り、頭の中に子供の頃に見たアニメのテーマソングを流しながら、そのリズムに併せてマッサージを続ける。


 ……頭がおかしくなりそうなほど奇妙な感覚でめまいがしそうだった。


 眼の前には死の淵を滑り落ちそうになっているクラスメイトがいる。

 彼をそこまで追い込んだ原因もわかっている。

 それに対してメンタルケア的な声掛けもしないで傍観していた自分にも一定の落ち度があるという自覚もある。

 そしてその一連の責任全てを、目に見えない何者かにすがって押し付けて助けを求めながら、頭の片隅では冷静に無垢で明るい歌を思い出している。

 そして自分の身体はそのリズムに合わせて、どれほど強い怒りを感じたときよりも強い力をこめて、胸骨の一点めがけ、まるで掌底の連打でも浴びせるように押し込んでいる。


 ……人を呼ぶ声が自分でも枯れていくのがわかるほどになった頃、

 ドンドンドン、とトイレの外から戸を叩く音がした。

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