マイドール

柘榴

マイドール

 貴方の感性が好きです。と伝えました。彼は、僕の感性を素敵だと感じる貴方の感性が僕は好きですと言いました。こういう所なのです。こういう風にひとの言葉を受け取る貴方が、わたしは好きなのです。



 蒼井咲夜くん。十九歳。大手芸能事務所の人気アイドルグループの最年少。メンバーカラーは青。ダンスがとっても素敵で、頭からつま先までを操るそのパフォーマンスはまさに表現者の業。魅力がたくさんある彼ですが、私が惹かれたのは彼の感性、そして彼がくれる言葉でした。ライブでの最後の挨拶、ブログで綴る言葉、雑誌のインタビュー。そのひとつひとつが素敵で。どこがいいのか、と言われてもどう伝えたらいいのか分かりませんが、とにかく私に刺さるなにかを秘めていたのでした。

 彼に出会って一年経ったある日、初めて彼に会いに行きました。対面でお話させてもらえる彼の個人イベントです。これまで好きになったアイドルは、対面でのイベントなんてありませんでした。だから、好きなアイドルの直接思いを伝えられる機会なんて、人生で初めてでした。

 会場につくとたくさん人がいて、みんなみんな青色を身に纏っていました。ここにいる人はみんなもれなく彼のことが好きなのです。わたしなんかよりもずっとずっと前から前から彼のことを知っていて、彼の成長を長く見てきている人たちがたくさんいると考えると少し気分が悪くなりました。でもそんなの当たり前です、彼は芸能人なのですから。

 わたしは今日、彼と二回お話できます。一回約十五秒だと聞きました。二回で約三十秒。とっても短い時間だけど、良いのです。わたしは今日、彼とお話に来たというよりも思いを伝えに来たのです。あなたが好きですという思いを。三十秒もあればわたしの思いは、とりあえず今日伝えたい思いは伝えられます。


 「貴方がくれる言葉が好きです。表現や言葉の使い方もすごく好きなんですけど、何よりも貴方が感じていることや考え方それ自体にとても魅了されています。貴方の素敵な感性を受け取ることが出来てうれしいです。」

 わたしは一気にこう伝えました。考えて、まとめにまとめて頭に入れておいた台本をなぞるように読み上げました。読み終わると同時に後ろからお時間です、と声がしました。そこで顔を上げて、初めて彼としっかりと目が合いました。目が合ってから少し間があって、それから彼は「ありがとう」と言いました。

 ブースを出て、わたしは後悔の波に襲われました。気持ち悪かったかもしれない。あんな一方的に、ベラベラと。彼は驚いていました。今日この短時間で何度も声に出しているはずの「ありがとう」が喉に詰まる程に。もう一回はなにを伝えたらいいかわからなくなりました。もちろん台本は頭にあります。ですがさらに気持ち悪がられてしまうと思ったのです。考えて考えて、でも焦ってしまったわたしには他のセリフなど浮かんでこなくて、あっという間にあと二人でわたしの番になりました。気持ち悪がられるしかありません。よく考えてみれば、みんな同じだと思うのです。こんな短い時間なのですから、みんな言いたいことを伝えてありがとうと言われて終わりです。彼は何人も何人も対応するわけですから、その瞬間は頭に残っても、いつまでも記憶に残るということなどはないはずです。わたしが身の程知らずであっただけでした。とても気持ちが楽になりました。

 思いの丈をすべて伝えて帰ろう、と意気込んでブースに入りました。するとその瞬間、彼があっ、と小さく声をあげたのです。

 「二回もありがとう。さっきはごめんね。感動しちゃってなにも言えなくて。」

彼はそう言いました。何が起こっているのか分かりません。頭が真っ白になって台本が頭から消えてしまいました。何か言わないと、と焦っていると言葉を発したのは彼でした。

 「僕は、僕の感性を素敵だと感じるあなたの感性が好きです。ありがとう。」

眼の奥が熱くなりました。視界がぼやけて彼の表情が見えなくて。気が付くと声に出ていました。

 「そういう所です。」と。

そう。わたしが彼を好きなのは、彼が、こういう風にひとの言葉を受け取る人だからなのです。


 その日からわたしは彼のことが頭から離れませんでした。朝起きてから夜寝るまで、ほとんどずっと頭の中は彼で埋め尽くされていて、おかげで学校の期末試験は散々でした。担任の先生にも心配されてしまいました。

 ああ、これが恋なのでしょうか?あなたのことをもっと知りたい、あなたを教えてほしい。安心しました。わたしもちゃんと恋をする人間だったのです。

 それからわたしは対面イベントにはたくさん参加するようになりました。グループのアルバムリリースイベント。抽選でのサイン会。アンバサダー就任記念イベント。行けるイベントには、すべて足を運びました。


 「咲夜くんは、犬派ですか猫派ですか?」

 「僕は猫派だよ、あなたは?」

 「いっしょだ!わたしも猫派です」


 「咲夜くんはほんとか読みますか?」

 「読まないな。どうして?」

 「咲夜くんの好きな作品があったら読んでみたいなって」

 「本好きなの?」

 「好きです」


 「今観てるアニメとかありますか?」

 「アニメね。いまちょうど□□観てて、めっちゃハマってる!面白いよ、アニメ観る?」

 「たまにだけど観ます、□□観てみますね!」


 「前に本好きって言ってたよね。どんなの読むの?」

 「○○さんって方の作品が好きです!本に興味湧きましたか!」

 「うん興味湧いた(笑)○○さんね、ありがとう」


 「そういえば僕、あなたのなまえ教えてもらってないよね」

 「言ったことないですね」

 「ずーっとあなた呼びなんですけど」

 「あなたでいいです。それがいいので。」

 「ふーんそっか。わかった。今日もありがとうね」


 「久しぶり~。この前言ってた作家さん、どの本がおすすめとか、ある?」

 「わたしのおすすめ?△△っていう作品がすごい好きです」

 「△△ね、わかったありがとう。読んでみる!」


 初めてイベントに行ったあの日から半年が経つ頃には、すっかり会話ができるようになっていました。一年が経つ頃には、彼から質問してくれることが増えました。その瞬間が、わたしはなによりもうれしかったのでした。わたしに興味を持ってくれたのではないかと何度勘違いしたことでしょう。こうやってファンの好きの気持ちを何倍にもさせるのです。それから、なによりも驚くのはその記憶力です。前回に話したことも当たり前のように覚えてくれているのです。彼はアイドルになるためにこの世に生を受けた奇跡なのだとつくづく思います。


 そんなある日、いつものようにファンクラブサイトで彼のブログが上がりました。それぞれが好きなタイミングでアップしてくれるブログですが、彼は三日に一回のペースでアップしてくれます。それがわたしの日常の楽しみになっていたのでした。


 「最近はこの本を読んでいます。人におすすめしてもらったもので、まだ途中だけどすごく面白い!おすすめしてくれてありがとうございます。」


 そこに添付されて画像は、まさにわたしが、いつかのイベントでわたしが好きだと言ったものでした。○○さんの△△。

何が起こっているのでしょう。たまたまでしょうか。わたしの他にも、この本を紹介した人がいたのでしょうか?わたしと趣味が合いそうです。

なんにせよ、わたしがおすすめしたから読んだわけではないと思うのです。ないはずなのです。



 「あ、久しぶり!この前あげたブログ読んでくれた?おすすめしてくれた本読んだよって伝えたくて!あれすごいよかった。なんか言葉にするのが難しいけど、——が——で、———、————————。」


 頭が真っ白になりました。彼の言葉はだんだん聞こえなくなりました。彼はわたしがおすすめした本を読んでくれたようでした。あのブログはわたしにそれを伝えるためのものであったようでした。何も言えませんでした。何も言えないまま、時間になって、なぜか一礼したわたしはすぐにブースを出ました。気持ちが悪くなりました。抱いていたのはひどい嫌悪感でした。彼が、わたしのおすすめした本を読んだこと。それ自体はむしろうれしいことです。好きな人が自分のおすすめを試してくれた。なんて素敵なことでしょう。でもそれ以上に。彼が、ファンのみんなが受け取るものに、特定のファンへのメッセージをのせたこと。ファンが私信だと受け取ることが出来るものをのせたこと。そしてわたし自身が実際におこがましくも私信だと受け取りそうになったこと。これらの彼の行動に嫌悪感を抱きながらも、未だに本を読んでくれたことへのうれしさは消えないこと。すべて気持ちが悪い。彼もわたしも、気持ち悪い。


 それからわたしは、イベントに行かなくなりました。ライブにも、行かなくなりました。なぜかファンクラブは抜けられないまま、わたしはいわゆる茶の間ファンになっていました。

 あれからも何度か、ブログには○○さんの本を読んだという記述が見られます。それからさらに、わたしに向けてのメッセージだと受け取れるようなものも見られます。例えば。

「忙しくてイベントに来られない人もいるみたいだけど、ずっと待ってるからね」「またあなたに会いたいな」「僕はあなたの好きなものがもっと知りたいと思ってるよ」「たくさん話したいね」イベントに行かなくなったファンなんてわたし以外にもいるに決まっていますし、彼と好きなものの話をしてきたファンなんて大勢います。わたしに向けてのメッセージだという勘違いはほんとうにおこがましいものですが、どうしてもわたしはこれらすべてががわたし個人へのメッセージのように受け取ることしかできず、見るたびに気持ちが悪かったのでした。そしてやはり、わたしへのメッセージだと勘違いして勝手に嫌悪感を抱いている自分自身への嫌悪感も増していったのでした。

 SNSでは、彼がひとりのファンに固執しているのではないかと勘づいたファンたちの書き込みが現れました。それはどんどんと広がって、やがて炎上と言える程までにファンの怒りを纏い、世間も巻き込んで物議を醸していくのでした。


 炎上が起こってからようやく、わたしはファンクラブを退会しました。蒼井咲夜からすっかり離れて、いまは別のアイドルの夢中になっています。蒼井咲夜のことで頭を埋め尽くしていたあの日々は長い長い夢だったように思います。

 わたしは、蒼井咲夜に神聖な存在であってほしかったのだと思います。自分は永遠に近づくことが出来ない、どれだけ高いところで手を上に上にと伸ばしても届くことのない、そんな存在であってくれることを望んでいたようでした。感性が素敵だと好きになった蒼井咲夜を、存在すべてがその素敵な感性と同じく美しいものであると勘違いしていたのです。一人の人間であることは分かっていたのに、人間らしい部分を見せてほしくなかったのです。あれほど近い距離で話して喜んでいたというのに。どうやら、わたしの蒼井咲夜への感情は恋ではなかったようでした。

 アイドルとは、一体何なのでしょうか。そんなことを考えながらわたしは今日も、自分の理想を押し付けられる綺麗なお人形さんに会いに行くのでした。

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