第二話『罪悪感』
「あらあなた、お出掛け?」
「うん。……ちょっと、後輩に会いに」
「分かったわ。帰りは夕方ぐらいかしら?」
「…うん、それぐらいかな」
嘘は、言っていない。そう言い聞かせながら、俺は家の扉を開けて街に出た。
冷たい風。徐々に秋の雰囲気を纏い始める世界の中、レイくんはいつもの喫茶店の前で、静かに存在していた。
イヤホンを付けて、携帯を見て。でも、足は一定のリズムを刻んでいる。新曲の作曲中だろうか。じゃあ、邪魔しちゃ悪いかな。
少し待とう──そう思って端に避けた瞬間、唐突に顔を上げたレイくんと目があった。すると、今までの真剣な顔から一変して満面の笑みで、近くに駆け寄ってきて。
「ゼルさんっ!お久しぶりです…!」
「久しぶり、レイくん。昨日の歌、良かったよ」
「えっ、聞いてたんですか……?なんか恥ずかしいかも」
「えぇ!?配信するって教えてくれたの、レイくんだったでしょ?」
ふわっ、と目の前に紺色のような髪が舞う。けれどその色は紺色でもなく、しかし黒でもなく。どこか青みがかった黒と表現するのが相応しいように思えた。
──あぁ、“ゼル”というのは俺の愛称だ。
アゼル・コーディアル──名乗るのが遅れたが、それが俺の名前だ。
「…今日は、いつまで居てくれます?」
「ん、夕方まで。……俺、シンデレラだからね」
「ゼルさん、シンデレラは真夜中です。夕方までしか持たなかったら、あんなハッピーエンドになってませんってば」
「ふふ、確かにそうだ」
…そう、だからハッピーエンドにはならないんだ。
「美味しいっ……!」
「そう?レイくんが喜んでくれるなら良かった」
「ここ来てみたかったんです、可愛かったし」
そう言いながら、レイくんは近くにある大きな兎のぬいぐるみを抱き締めた。つい最近オープンしたこの店は、様々なぬいぐるみが店内に余す所なく配置された、近年流行りのカフェで。
正直俺は似つかわしくないような気もするが、レイくんが喜んでいるのを見るだけで、そんな事はどうでも良いような気持ちになる。
「あ、そうだ。ゼルさんに見せたいものがあって」
「え?なになに?」
「じゃーん。今まで歌ってきた曲、正式にリリースされる事になりました!」
「……えっ、凄いじゃんレイくん!」
「でしょ?これからもいっぱい聴いて下さいね」
「勿論。当たり前でしょ」
ふふ、と二人で小さく笑い合う。レイくんから何気なく差し出されたパンケーキの味は、どこまでも甘かった。
茜色の空が、レイくんの星空のような瞳に映る。レイくんは寂しそうにこう言った。
「…やっぱり、帰っちゃいます?」
「……うん、そうだね。ごめんレイくん」
「謝らないで下さい、ゼルさん。……あ、でも。悪いって思ってるなら、また会いましょ?そんでもって、もっと配信聞いて下さい」
「鬼か悪魔かな?レイくんは」
悪戯っぽく言ったレイくんに、思わず笑ってしまった。
その罪悪感を薄めるような言い方に、いつまでも浸ったままでいる。苦しみという名のぬるま湯に、いつまでも浸かったままでいる。
名残惜しそうに去ったレイくんの背に手を振って、俺も振り返って自らの家へと足を進める。
携帯に届いた一通のメールには、今日の夕飯が写っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます