第三話『何気ない日々に』


「……あれ?」


 がさがさ、と机の引き出しを探る。いつの間にか消えている印鑑。どうしよう、あれがないと書類が完成しない。

 そう思い自室から出て、下で弁当の準備をしている妻に聞いてみた。


「ごめん、俺の印鑑知らない?」

「え?あー……そういえば、玄関の方に置いてませんでした?」

「あ、そっか宅配の時か…。ありがとう!」

「いいえ、お仕事頑張って下さいね」


 その言葉を背に受けながら、無事印鑑を回収した俺は自室に戻った。

 そうして幾つかの書類に印鑑を押していると、今度は携帯に電話が掛かってきて。こんな時間に誰だ?と思いながら画面を見ると、“後輩”としか出ておらず、首を傾げた。

 が、しかし。出ないわけにもいかないだろう。そう思いながら、俺は恐る恐る電話を取った。


「……はい、もしもしコーディアルですけど…?」

「っ先輩!私です、リリィです!」

「あー……あぁ!リリィくんか、どうしたの?」


 名前を言われて、ようやく俺は電話の主を思い出す。そういえば今年度から入社した新人の女の子だ。仕事熱心で真面目で、思わず応援したくなる子、という印象を俺は抱いている。


「こんな夜に申し訳ないんですけど、実は……」


 リリィの話を聞いた所、一週間後に控える会社のプレゼンの資料作りについてだった。

 ただ、夜遅いわけでは無かったので、一緒にリリィの資料作りを手伝う事数時間。色々と苦節あったものの無事に完成させた彼女は、俺が受け止めきれない程の感謝を伝えた後に通話を切って。

 そうしてやっと、一息ついた時。何となく見たカレンダーの今日の日付に、赤丸がついている事に気がつく。

 何だっけ?と考えて──月曜日だという事に、すぐ気付いた。


「…しまった!レイくんの配信の日だ……!」


 幸い、始まる一分前。焦りはしたが、間に合っていないわけではない。少しだけ血の気を引きながら、俺は周波数を合わせた。

 と、同時に流れ始める音楽。どうやらギリギリセーフだったようだ。

『……はいっ!じゃあどうも皆さんこんばんは〜、レイディアです!』

『今日はね、いっぱいお話ししようって思ってます』

『ちょっとでも笑ってくれたら嬉しいな〜。じゃ、最初はこっちの話から』

 そうして始まる、レイディアの他愛もない話。毎週月曜日にはこうして、雑談配信をするのだ。今日の配信タイトルは“夜更かしレイディオ”。地味に凝ったタイトルだと思う。

『あ、そうだ。皆って前の休みって何してた?』

『家族と過ごしたり、遊びに行ったり…って、色々だと思うんだけど』

『……なんかさ、不安になったりしない?』

 突然落ちた声色に、少し驚く。いつもは快活に振る舞うレイディアが、ここまで恐れを表に出すのは珍しい。

 どうしたのだろう、と思っていると、暫くして取り繕うような笑い声が響いた。

『…あ!いや違うんだよ?別に落ち込んでるわけじゃなくてさ』

『ただ……今って不安定じゃん?だから、いつまでこんな平和な世界が続くのかな……って、不安になっちゃって』

 でも、こっちが不安になっちゃ駄目だよね!とレイディアは元気に、笑ってそう言った。

 ──そう、笑って言ったのだ。

 その後は暗い様子も見せず、届いたリスナーからのお便りに笑ったり、困ったり、ちょっとだけ怒ったり。普段と変わらないレイディアの様子に、少しだけ胸を撫で下ろした。

 このままずっと、こんな平和な日が続けば良い。

 そう、思った。



 外ではゆっくりと、雪が舞っている。急に訪れた冬に、俺たちは大忙しだった。冬用の服や寝具を、引っ張り出したりしないといけなかったからだ。ちなみに、今も変わらず帝国と共和国はバチバチやっている。もう少しで戦争一歩手前、といった所だろうか。

 そんな事を考えながら、思わず息を吐く。そんな時、俺の部屋の扉から、ノックの音が聞こえて。


「どうした?何かあった──」

「あ、あなた……!」


 そんなに焦ってどうした、と問う前に、妻の手に何かある事に気がついた。

 何だあれは?手紙にしては小さい。しかし、葉書にしては赤いような──

 ──まさか、それは。


「……赤紙」

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