第二夜-諮問と入門-(前編)

日記


エリーズ月 24日


今日は筆記試験があった。問題は無理なく解けたはず。怖いところがあるとすれば、本名を使ってしまったことくらいだ。

…けどまあ、ペンドラゴンなんて苗字の人、それなりにいるはずだよね。


それにしても、私に話しかけてきた彼。どういうつもりだったんだろう。

絶対詩に対して造詣なんてないのに、やたら詳しそうに話していた。申し訳ないけど、感受性はあまり感じられなかったかも。それに、私の本の話を初対面でいきなり振ってくるって。世の中、もしかしてこういう人ばっかりなのかな。


でも、本当はちょっとだけ嬉しかった。視点はちょっとずれているけれど、私が好きな作品を好きと言ってくれた。次会えたら、ちゃんと話してみたいな。

あと……。

――――――――――――

24日、筆記試験当日だ。


「頑張ってください。ま、君なら大丈夫です。」

「うん。半年間、本当にありがとう…。行ってきます!」


宿でローフに見送られ、トーク地区に足を踏み入れる。


スカイ学院の校舎が、悠然とマドラを出迎えている。


トーク地区は、天然の石垣と城壁に囲われた要塞で、エイドの中核をなす場所だ。

一の丸には政庁と王宮があり、二の丸にはスカイ学院と、ヨルグィ公園という憩いの地にしてドルイドの訓練場となっている森林地帯がある。

スカイ学院の敷地内に足を踏み入れると、数棟の石造りの建物が、周りに生い茂る蔦とともに現れた。おそらく教室や、図書館などを含むその他の学内施設だと思われる。左手には、巨大な円形闘技場と、それに並ぶ広さの霊樹林があり、日の光を浴びて荘厳にマドラを迎えていた。既に受かった気になっているマドラの脳内には、この学舎で生活している自分の虚像が浮かんでいる。フコーカーにいたときと同様、図書館にはお世話になるであろう。


マドラはローフから渡された受験番号を確認し、該当の棟に向かう。

試験会場である大講堂に入ると、席がだいぶ埋まっていた。部屋さえ合っていれば、席は自由らしい。


読書をしている少女の、左側の席が空いていたので、そこに座ることにした。


「すみません。隣、大丈夫ですか?」


……反応がなかった。

仕方なく少し大きめな声で、再度声をかけた。


「…はっ!す、すみません。どうぞ……。」


少女が顔を上げ、驚いたようにこちらを見た。

大きな木製の眼鏡をかけていて、紫の髪は、長すぎず短すぎず、肩にかかるくらいの長さで、軽く波打っている。

左目だけ、なぜか色が薄く見える。

視線を合わせたマドラは、胸の奥が少しだけざわついた。


席に着いたとて、今更復習することはない。


周りをチラチラと見ていると、隣の少女が読んでいる本に目が止まった。長く伸ばした羊皮紙を丁寧に蛇腹折にし、革紐で綴じた、格式あるゴール式の本だった。

たおやかな指先が、その一折一折を丁寧に捲っている。


「これ、『大ゴール東部二四名勝詩集』じゃないですか?!僕大好きなんですよ!」

ローフの部屋で読んだ本だったので、思わず話しかけてしまった。

「僕はダントツで『ヒガム山脈』が好きですね。大自然を前にしたら、人間も小さな動物の一つにすぎない、そういうメッセージが込められてるんですよねぇ!」


……と、言いたいことを全部言ってみたが、隣の少女は、ページを捲る手こそ止めているものの、こちらを全く見向きもしていなかった。


(やっちゃった……?)


咳払いののち、手近の書籍を開いた。復習するフリ――正直ではない反応だ。


筆記試験が終わり、マドラは宿でローフと、部屋で夕飯を食べている。近くのアラウ川で採れた鮭の塩焼きとナツ野菜の煮浸しが、食卓を彩っている。

「手ごたえはありましたか?」

「歴史、生物・生態、言語、霊詩基礎――どれも抜かりなかったよ。」

ローフは温かな頬になった。


「ただ、詩作はやっぱり難しかったな。あと…。」

マドラはあの少女のことをふと思い出した。わざわざあんなナンパまがいのやり取りをこの人にいう必要はない。そう結論づけ、

「いや、なんでも。」

と、溢した。


「明日は面接試験。ゆっくり眠って、気楽に臨んでください。」

―――――――――――

翌日。

マドラは、昨日と同じ講堂で、面接に呼ばれるのを待っている。

昨日の少女はいなかった。


筆記試験のときの比ではない緊張感が、伽藍堂を支配している。

「サリア・コリスさん、試験の準備ができたので、指定の教室までお願いします。」

礼装に近い格好の受験生たちは、試験官に順番に呼ばれていく。

「ディラン・ガーフレットさん、試験の準備ができたので、指定の教室までお願いします。」

特に用意しておくものもないので、適当な手持ちの本を開いて読んでいた。


暫くすると、


「マドラ・イモルグさん、いらっしゃいましたらこちらにお願いします。」


講堂の後ろの扉からトーンの高い声で女性の試験官に呼び出された。


案内されたのは、二重の扉がある、イチイの葉を模したやたら豪華な装飾が施された大きな部屋だ。二つ目の重い扉が開く。


「…失礼致します。」


部屋の奥には、黄色いローブを着た老婆と、中年の男性が座っていた。

よく見ると、老婆の後ろには、黒い豹(のような聖獣?)が、黄色い瞳をぎらつかせて、妙に利口に座っていた。

「…ゾーノハンナより参りました、マドラ・イモルグです。よろしくお願いいたします。」

瞬きを2、3度してから、マドラは挨拶した。


「グアトニシーア、理事長のセグレムと申します。少し、お話を聞かせていただきましょう。」


老婆が、嗄れた声で丁重な挨拶をした。

(……なぜ、理事長が、面接官を?)

やたら豪奢な部屋に招かれたり、試験官の呼び出しの口上が違ったり、違和感は既にあったが、ここへきて遂にマドラは確信した。


(これは、面接ではない…?)


手元の羊皮紙の書類を見ながら、理事長が口を開いた。


「イモルグさんは、小ゴール島生まれで、かのオーウェン・アウルスト氏の孫なんですってね。」


マドラは息を呑んだ。どこからそんな情報が漏れ出たのか。思案を巡らせようとしたら、

「ジャック・ローフ教諭から聞いていますよ。さらには、アウルスト氏直筆の書も持っているとか。」

と、マドラの疑問に答えるように、理事長が恐ろしい目つきをしながら言った。


だだっ広い部屋に緊張が走る。この段階で何か一言でも話そうものなら、マドラの信念は忽ちのうちに崩れるか、その信念に殉じて、何かしらの罰を受けることになってしまうかもしれない。黙っておくのが最適解だ、と言い聞かせた。

それより、

(先生は、なんで言っちゃったんだろう。)

という疑問がよぎった。あの人が理由もなく口を滑らせるとは思えない。

…きっと、何か考えがあってのことだ。


「あなたには今、帝国の間者なのではないか、という嫌疑がかかっています。ローフ教諭に感謝するのですね。彼は先に私たちにあなたの真実を言うことで、私たちからの余計なガサ入れからあなたを守ったのです。」

と、皮肉めいた口調で理事長が言った。豹の聖獣が、頭を低くし、牙をちらつかせてマドラを睨む。中年の男は、ずっと記録をしている。おそらく彼は面接官ではなく、書記だ。


「……私に、何をしてほしいのですか?」

遂にマドラは重い口を開いた。

恐る恐る合わせた理事長の目は、近くの豹よりも力強くマドラを突き刺していた。


「アウルスト氏の遺品を、学院に提出しなさい。」


――できない。


祖父の人生が書かれた文書と、親友の形見を大人しく渡すなど。しかし拒否権はないだろう。それについて問うた瞬間に、入学権が取り下げられる可能性がある。


「その書類を手にして――何をするおつもりですか?」

「遺品は、あなた自身の潔白を証明する材料であり、同時に”人質„でもあります。本当に帝国と無関係だというのなら、小ゴール島内の記録であろうそれを私たちに提出することに、何の不都合もないはずです。逆に、もしあなたが関係者であり、その正体を見せた瞬間にはあなたの祖父の遺品はどうなるか、わかりますね。」


「…一度、持ち帰ることは許されますか?」

「口裏を合わせないでいただきたいですね。わかっていますか?あなたは今、帝国からの埋伏の毒なのではないか、と疑われているのですよ。そして、それを晴らせないのなら、ローフ教諭には密航への公助の罰が課せられます。もちろん、あなたにも大ゴールから出ていってもらいます。」


理事長は即答した。

彼女の言葉とともに、豹は牙を剥き出し、喉の奥をグルルゥと鳴らした。


マドラは下を向き、思考を巡らせた。そして、冷静に話し始めた。現状、最も低いリスクで、疑いを晴らしつつ、祖父の遺品も完全には譲渡しない策。それは一つしかない。


「でしたら、私から条件を提示させていただきたいです。祖父の遺品は、一度学院の運営の皆々様にお預けいたします。しかし、私がスカイ学院を卒業したとき、返していただきたいです。それで私に二心がないことが示されるのなら、受け容れます。」


「おやおや、さも自分が入試に合格したことが確定したような物言いですが。もし落ちていたらどうするのですか?それとも、受かったら渡すなどという生ぬるいことを言うのですか?」


マドラは、自信満々に答える。

「ご安心を。筆記試験の結果には、自信があります。幼い頃から勉学は得意でしたし、卒業時の成績も上位を狙うつもりです。

それこそが、私の潔白の証明になるでしょう。密偵が好成績を修め、衆目を集めるなど、自らの墓穴を掘るようなものですから。…面接が終わるであろう九ノ刻には、ここにローフが来ます。祖父の手記を携えて、ね。」

理事長は失笑したが、豹を撫でながら受諾した。


「わかりました。ローフ教諭には、応接室に行け、と伝えてください。もう一度言います。遺品を”全て„、渡すのですよ。」


―――――――――――


宿に戻り、ローフに先ほどのことを話した。


「出自を理事長に開示したこと、勝手に大人で話を進めてしまったこと、申し訳なく思っています。」

「出自のことは何とも思ってないよ。…ただ、そのこと、ちゃんと共有してほしかったなぁ。ま、あの理事長に口封じをされてたのは察するけど。多分あの人は、先生と示し合わせていない素の僕の反応を見て試したかったんだろう。僕も僕で、勝手に話を進めて悪かった。お互い様、だね。」


椅子に腰かけているローフは頭を抱え、鼻息をこぼした。やがて、荷物を置いているマドラの方を見た。

「怒らないのですね。」

マドラは優しい顔をして、ローフに集中した。


「今更仕方ないだろ。もっと許せない人、制度、赦せない不条理、自分の弱さ。そういうのが、いっぱいある。でも、それらを全て自然の摂理として、いずれは受け入れていかなくてはならない。そう思うんだ。」


ローフは膝の間で指を組み、目線を逸らした。


「本当に、君は変わっている。」


日は徐々に沈んでいき、約束の刻限まで残すところ40ベルとなった。

「『懺悔録』は、卒業後に必ず読む。それまでに丸文字をマスターしないとね。」

マドラは玄関前でローフを見送るところだ。

「この宝珠は、おじいちゃんのみならず、僕の、大切な友達の形見でもあるんだ。」

レイのことを思い出して、少し胸の奥が苦しく疼いた。


ローフは、マドラに見送られ、学院に向かった。

久々に足を踏み入れる。あの理事長は、高圧的なだけで、存外転がしやすい。しかし、

(あの学長が、もし、いるなら…。)

と思うと、ただ約束のものを渡すだけなのに、やや不安に苛まれる。


例の扉は、荘厳に開け放たれていた。応接室には、理事長と、理事長が使役する聖獣・ファンテリス、書記官、そして学長がいた。学長は、もみあげとの差がわからない顎鬚を蓄え、大きな体躯から風格を放っていた。最凶の布陣だ。諦念を表情に出すまいと自分に言い聞かせてから、口を開いた。


「マドラ・イモルグから聞いています。オーウェン・アウルスト氏の手記『懺悔録』と、宝珠をお渡しいたします。」


これへ、というハンドサインを理事長は送った。ローフは宝珠を理事長に譲渡した。

「これが、本当に“慈悲の猫睛石„なのですか?」

ローフは訊ねた。

「これが、本当にただの猫睛石の光り方ですか?これはマドラ・イモルグのためにも、私たちが預からなくてはならないのです。」

とだけ、理事長は答えた。


続いて、『懺悔録』を学長に渡す。

「私の関心事に付き合ってくれて、感謝するよ、ローフ君。…どれ、『懺悔録』。なるほど、実にあの男らしい。」

嘗めまわすように両の表紙を見る学長。暫くすると、手帳を脇に置き、ローフに向かって目を合わせずに口を開いた。


「手記の内容的にも、おそらくオーウェン・アウルストの孫であることに、偽りはないのだろうな。しかし、依然として密偵の疑念を晴らすことはできない。マドラ・イモルグの筆記・面接試験の合格、および君の学院への復帰を認めるが、その代わり、しっかりと彼を監視してほしい。これは、君を信頼しているからこそ、任せる仕事なのだよ。」


「かしこまりました。来月から、教員寮に戻ります。」

ローフは退室した。なんとか、自分とマドラ君を守ることができた。

(しかし、厄介な話になったな。)

そう思いながら、宿に戻っていった。


応接室では、先ほどの2人が振り返りをしていた。


「今年は、随分異邦人が多いですな、セグレム理事長。」

「あなたも人のことを言えませんよね、アウルスト学長。」

――――――――――――

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