第一夜-漂流と邂逅-(後編)

八ノ刻。橙の光が、マドラの部屋に差し込んだ。


(長い一日だったな)


マドラは貸し与えられた部屋——おそらく書庫——に置かれたベッドの上で、三角座りをし、ため息を吐いた。

ローフは政庁に報告に行っている。今日会ったばかりの素性のわからない子どもに留守番をさせるのは、さすがに警戒心がなさ過ぎる。だが、亡くなったばかりの祖父の穴を埋めるような存在に出会えて、救ってもらって。こんな贅沢があっていいのかと思うと、胸の奥に温もりが立ち昇った。


——そっと荷物を広げる。『懺悔録』と祖父が言っていた手帳と、「レイの形見」だという宝珠。


(先生なら、これ読めるのかな…。)


ローフが帰ってきた。一階の玄関で、買った物が詰まった鞄を受け取る。

「さて、夕飯にしましょう。軽食しか食べていませんからね。」

マドラは、ローフの顔を覗き込んだ。

「……何かついてますか?」

とローフは聞いた。マドラは首を傾げながら邪念なく尋ねた。


「僕もドルイドになったら、先生みたく禿げなきゃいけないの?」

「煽ってます?」

マドラは目を泳がせた。

「え、いや。僕、先生以外にドルイド見たことないから。皆禿げてるものかと。あくまで先生の体質なんだね。」

「煽ってます?」

ローフは苦笑いするしかなかった。食事の準備を進めながら、マドラに言った。

「…食後に、色々基礎的なことから伝えていきましょう。」


ローフが作った山羊肉のシチューは、フユの寒さで冷えた身体を、芯からあたためてくれた。部屋に戻り、お互い少し休憩をしてから、二階のローフの書斎で勉強会が始まった。


「ドルイドの霊詩スフェルの力の根源は、この杖です。これを触媒に呪文を詠唱し、霊魂に自分の意思を語りかけることで、”属性„に応じて、火を放ったり雷を落としたりといった自然界の現象を操ることができます。」

ローフは身長ほどの長さの杖を丁寧に持ち上げ、マドラに見せた。樫の木の枝から、余計な小枝を削っただけのデザインだ。獅子の紋章が彫られた祖父の杖より、シンプルだと感じた。

「この杖の素材は、霊樹れいじゅという特殊な樹木です。霊魂を強く宿しています。色々と種類があるので、詳しくは事典を見てください。」


マドラは手近の事典をパラパラ見た。

「…どういう仕組みで霊樹は霊魂を宿しているの?」

ローフは、いい質問です、という顔をした。

この世界リリクエ=バンの地下には、我々が信仰するダース神族が住む、”根の国„という世界が広がっているとされています。その神々の地下エネルギーを吸って、他の樹木とは一味違う育ち方をしているというのが定説です。」

「へぇ…。」

根の国の話題が上がった。レイが読んでいた本にも書かれていたそこについて、聞いてみるいい機会だ。

「根の国には、どうやったら行けるの?」

ローフは少し目を見開いてから回答した。

「どこにあるのかも、どうしたら行けるのかもわかっていません。何せ、実際に行ったものはいないとされている地ですから。一部の高位のドルイドだけが、なぜかそんな世界があるという共通認識を持っているという伝承上の存在です。詳しくは、根の国について研究しているホロゥウェン女史の文献を読んでください。」


これはもう読むしかなかった。小ゴール島で教わったこととはまた違う”知の宇宙„の拡がりを感じた。


「学院への入学が決まったら、試験の中で適性があると見られた霊詩の属性の主神への”誓い„ゲッシュを行います。属性とは、あくまでドルイドたちが後から、霊詩の効果や性質に応じて学問上の分類をしたものですが、これを否定するドルイドはいないというほど、権威的な区分になっていますので、必ず覚えてください。」


そう言ってローフは、6つの属性の特徴と、それぞれの主神の説明をした。


「…まぁ当然、今すぐこれを諳んじられるようになれ、なんて気がふれるようなことは言いません。」


「えっと、赤属性の主神がブリギで炎、青がマナで水と氷、緑がオグで風、黄がミディで岩と土、白がルーで光と癒し、黒がモリで闇と毒…間違ってるところ、ある?」


ローフは驚いた。いや、完全に引いていた。


「完璧です……普通は一回じゃ覚えませんよ、メモも取ってませんよね?」

「取るまでもないよ?」

咳払いの後、ローフは恐る恐る聞いた。

「…もしかして、それぞれの属性の相克関係も覚えちゃってたりします?」

「強い順に、青、赤、緑、黄、で、また青に戻る。白は黒だけに強く、黒は赤と白以外の全てに強い。」


(…マジかよこいつ)


ローフはキャラ崩壊するほど鳥肌を立てた。


「君は想像を越える逸材です。半年もかかるというのが、最早随分な謙遜になってしまっていますよ――よし、早いですが休憩にしましょうか。」


マドラは談笑を持ちかけた。

「先生はさ、非常勤とはいえ、教師なんでしょ?なんでこんな郊外でのんびり暮らしているの?」

「理由あって、今年は休んでいるんですよ。領主からの依頼で報酬がもらえるので、生活には困りませんしね。たまにはあの殺伐とした雰囲気から逃れてみるのも、悪くはない。」


そして、ぽつりと付け加えた。

「やはり私は、生まれ育ったこの町を……なんだかんだで愛しているんです。」

「それを理由に休んじゃうくらい、殺伐としてるんだ。」


ローフは、慌てて訂正をした。


「私が休んでいる、いや、休まされているのは、講義をほっぽり出して、妹の出産に立ち会うために無断で欠勤したからですよ…。彼女のこととなると、つい、ね。」


衝撃的なことを言っているはずなのに、妙に冷静に答えた。


(……シスコンなんだ…。)



その夜、結局マドラはすぐに寝てしまった。昨日の寝不足が堪えたのだろう。


一方のローフは、一人部屋で考え事をしていた。あの記憶力があれば、間違いなく合格できるし、好成績で卒業できるはずだ。

しかし、とにかく得体の知れない少年だ。なぜ、ドルイドになりたいのか、2年も待っていられない、その背景には何があるのか、小ゴール島から、どうやって、何のために来たのか――好奇心が揺さぶられた。


(平穏な生活には、まだまだ遠いな。お兄ちゃんのお節介を、笑っておくれ、リア。)


遠く離れて住む妹に、思いを馳せた。


一週間――つまり九日ほどが過ぎ、勉強にも少し慣れてきた頃のことだった。


「今日は、この国の柱石とも言える《ゴール四枝》についてお話しします」

「……ゴール四枝」

それは、ゴール連合王国の宰相にあたるドルイド長、アラム・ベルテーンが、この国で最も優れたドルイド4人を指して名づけた総称だ。


「これも試験に出ますので、しっかり覚えてください。まずは黄属性、我らがドルイド長アラム・ベルテーン氏」


(……自分で自分を“優れてる”って言っちゃうんだ)


黄属性の使い手で、御年八十四。四枝の中で最年長であり、政治的にも実質的な最高責任者である。


「二人目は緑属性、マルジン・ルナツ氏。彼が全ドルイド中最強であることに、異論を唱える者はいません。そして三人目、青属性のビビアン・ホロゥウェン女史。若き学者にして根の国の研究者——以前、名前を出しましたね」

マドラは相変わらず、メモを取らずにすべてを頭に刻んでいた。


「そして四人目。赤属性の使い手にして、ベルテーン氏の幼馴染。かつて“神童”と呼ばれた男、

オーウェン・アウルスト氏です」


「……は?」


マドラは耳を疑った。祖父はずっと小ゴール島で暮らしていたはずだ。なぜ今も「この国の柱石」として讃えられているのだろうか。結局、あの正直な懺悔を受け取ってなお、自分は祖父の全てを理解していなかった、ということなのか。


「どうかなさいましたか?」

「……いや、その。」


言うべきか、否か。この人には、小ゴール島出身であることを話している以上、血縁のことを話しても構わないはずだ。だが、祖父が四枝に数えられている理由はわからないし、この国での彼の評価によっては、自分の立場も危うくなる。


少し悩んだが、


(…お前は正直に生きなさい。)


少年は、当の本人から、そう言われていたのだ。この正直が、正しいことなのかは、今のマドラにはわからない。しかし、祖父の遺言を信じることにした。


「オーウェン・アウルストって、僕の祖父の名前なんだ。」


ローフは眉をあげた。この少年には驚かされるばかりだ。


(学長、とんでもない隠し事をしていたのだな。)


目の前の少年の真っすぐな目を受け止め、知りうる全てを語ることにした。


「…ドルイド長アラム・ベルテーン。彼が13歳のとき、カリブルヌス帝国が小ゴール島に来襲し、フコーカーで暮らしていた彼は大ゴール島まで船で家族と逃げました。彼は小ゴール島に、大切な親友、オーウェン・アウルストを置いて行ってしまいました。フコーカー学院で神童と称えられていたアウルスト氏の威名を語り継ぎたいと考えたドルイド長は、彼の実力を顕彰すべく、各属性の最も優れているとされるドルイドたちと彼を並べ、ゴール四枝という総称を作った、と私は聞いています。」


マドラの心に、一筋の澄んだ風が吹いた。

「……おじいちゃん、そうやって顕彰されてるって聞いたら、喜ぶのか、呵責を起こすか、どっちだろうな。…ちょっと待ってて。」

そう言って、静かに席を立った。懺悔録と宝珠を取りに行ったのだ。


「この二つ、形見なんだ。お金は持たなかったのに、これだけは持っていかないとと思ってさ。この手帳は、僕には読めないけど。」

ローフは懺悔録を受け取った。

「丸文字ですね。君もドルイドの学びを深めていけば、読めるようになります。」


しばらくローフは読み込んだ。読み進めるにつれ、眉間の皺が濃くなっていった。

「…お労しい。これ以上はとても読めません。しかし、噂に違わぬお人よしだと思いました。君のその血縁関係は、恥じるものではありません。今まで黙っていて、さぞ心苦しかったでしょう。」

ローフの声は、庇護者として低く深く、鐘の音のようにマドラの心に響いた。

——父代わりの祖父の、そのまた代わりが、今のマドラにはいる。



翌日、マドラは半日以上留守番をしていた。もう耳学問で教えることはない。そうローフに言われ、ひたすら座学に勤しんでいた。といっても、彼の記憶力からすれば、造作もないような難易度のものばかりだった。


そんな彼の主な関心事は、自分のドルイドの資質が如何ほどなのか、ということだった。


祖父に対しては、あの懺悔から幾日も経った今、改めて色々な感情が湧いている。僅かな怒り、僅かな憐れみ、そして不条理への憤り。しかし、神童の孫であるということは、素直に少年の誇りとなった。これは否定できない。自分はその血を、どのくらい引いているのか、何属性の適性があるのか。


——根の国への関心も、同じくらい強い。


「ゴール人が信仰する”ダース神族„は、”根の国„へと身を隠した。」


あの日、レイが遺跡で読んでいた史書にも、そう書かれていた。

無神論者だった少年の心を、根の国は大きく揺さぶっていた。そこに行けば、神を目視できるはずだ。しかし、そこへの行き方は、どの本にも噂程度のものしか書かれていない。ローフも、これについてはいつも言葉を濁す。


(学院にいけば、何かわかるのかな)


そう思って、勉強の原動力にすることにした。


それから半年以上が経過したエリーズ月の23日。

遂に師弟は、翌日のスカイ学院入学試験を受けるべく、首都エイドへ出発した。


スカイ学院には、1年コース、3年コース、10年コースがある。マドラは1年コースを志望した。学費はローフが全額負担するということで、さすがに何年も世話になるわけにはいかないと気が引けたのだ。


晩夏の太陽が、2人の頬に汗を流す。道中、泉の水で喉を潤しつつ進んだ。魔獣は、前にマドラが倒したマゲットと同じくらい、あるいは少し強い程度のものだった。特筆すべき話はない。全てローフが倒した。


セヤンのような雰囲気の郊外の霊樹林を抜けると、一転、町人で溢れかえる大都市が聳え立っていた。エイドの中心地では、商人は色鮮やかな品物を露店に広げ、職人は木槌を高らかに響かせ、傭兵は汗と金属の匂いをまとって歩いていた。苔や花に覆われた家々、茨や古木の幹に抱かれた詰所や店の数々。その奥に、巨大な要塞が顔を出していた。


「あの要塞はトーク地区。エイドの中でも中心部にあたるところで、政庁と宮廷、そしてスカイ学院があります。」

「あそこに、僕の学舎が。」

「気が早くありませんか?」

……マドラは恍惚とした表情を浮かべた。


同じ頃、エイドの北東のとある村。


「お父様とお母様をよろしくね、フィナ。」

「はい!いってらっしゃいませ、エール様。」


マドラに大きな影響を与えることになる少女が、新たな一歩を踏み出していた。


――――――――


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