第34話_前夜総会と選べる基準

 文化祭を翌日に控えた夕暮れ、図書室の修繕室には一枚の赤枠の紙が置かれていた。そこには「前夜総会」の議題が並び、全校を巻き込む審議の内容が端的に記されている。

 1)監査人提案「全校一括修繕」審議の最終スケジュール

 2)「緊急モード」運用の統一標識

 3)展示・導線・静けさの基準——公開版

 4)その他

 由依は紙の角を指で押さえながら、低くつぶやいた。

 「ついに来たね…。いよいよ「全校一括修繕」の可否を決める」

 咲子は眉を寄せつつ、「でも、私たちが積み上げてきたのは「選べる」仕組み。光でも音でも、同じにそろえるんじゃなく、それぞれに合った道具を札で支える。それをどう総会に伝えるか…」。

 奈緒子は机に散らばる今日の検収票を束ねて、言う。

 「数字は確かに出てる。光も音も、均すよりも「選べる方が成果が出ている」。でも、それが「効率的でない」と切られたら?」

 龍平はその言葉に短くうなずき、壁に寄りかかったまま吐き出した。

 「監査人は「公平」の名で全部一緒にしたがる。事故を減らしたい、混乱を防ぎたいって理由はわかるけど…。その線を受け入れたら、俺たちがやってきた札や運用は『例外』にされるかもしれない」

 卓哉は笑ってごまかそうとしたが、その声は乾いていた。

 「例外って札は、すぐ剥がされるんだよな。目立つから」

 沈黙が落ちる。重たい空気を断ち切るように、大夢が立ち上がり黒板に大きく三つの語を書いた。

 〈ぜんぶ直す〉/〈ぜんぶ受け持つ〉/〈ぜんぶ同じにする〉

 「「一括修繕」って、どの意味で聞くかで全然違うだろ」

 彼はチョークを回しながら続ける。

 「「ぜんぶ直す」なら賛成だ。壊れた場所を放置しないのは当然。でも「ぜんぶ同じにする」なら、今の俺たちの仕事は否定される。「ぜんぶ受け持つ」なら、現場の手を無視して机上のルールだけ増える」

 その解釈に、由依の目が少し光った。

 「言い換えで角度を変えるの、大事だね。総会で「ぜんぶ同じにする」って意味に固定されないように、私たちが「ぜんぶ直す」の方で返さなきゃ」

 咲子は頷きながら、総会用のメモに走り書きを始めた。

 ——《一括=均一ではなく、欠けを埋めること》

 奈緒子はそこに補足するように言った。

 「証拠がいる。今日の「光の配分」みたいに、数字で出せば説得力になる。「選べる基準」は決して無駄じゃない」

 龍平は短く「数字は俺が出す」と言い、検収表の集計を手早く確認した。

 倉本先生が顔を出す。手に持った厚い封筒を机の上に置きながら言った。

 「生徒会からの正式な委任状だ。図書室修繕班は、今回の総会で「現場報告」をする役目を任された」

 部屋の空気が一段と張り詰めた。彼らがただの裏方ではなく、議場で直接「言葉」を差し出す立場になったのだ。

 「俺たちが「選べる基準」を守る最後の線ってことか」

 大夢が笑うが、その声は震えていた。

 その夜、彼らは修繕帳を開き、一つ一つの項目に赤鉛筆で線を引き直した。

 ——音の配分

 ——光の配分

 ——弱光席の試行

 ——水物事故ゼロの仕組み

 それぞれに「数字」と「理由」を書き添え、「選べる仕組み」が確かに成果を出していることを示した。

 由依は最後に、一行を付け足す。

 「同じにするやさしさよりも、選べる強さを。強さを札で守る」

 その言葉が、翌日の議場でどんな響きを持つかは、まだ誰も知らなかった。

 前夜総会は、体育館の観覧席(GY-02)の封鎖を一段だけ解いて開かれた。足下灯は等間隔、蓄光矢印は二股に分かれて「静けさの避難先」へ続いている。天井の吊りモビールは停止フックで固められ、鈴は鳴らない。——ここまでが、今日の「紙で整える」最終確認だ。

 議長の木槌が短く鳴り、赤枠の議題がプロジェクターに写る。ざわめきが薄まり、全校の視線が前方の演台へ収束する。

 「第三議題、『展示・導線・静けさの基準——公開版』。報告者、図書室修繕班」

 由依が一歩、前に出た。手には薄い綴り——分厚い説明ではなく、選べる基準だけを集めた「紙の総覧」。大夢は隣で、三段書きの見出しだけを掲げた。

 A:「同じにしないで、選べるように」

 B:「光/音/時間の「橋」を三本ずつ」

 C:「理由:事故ゼロと混乱減少は「合図の太さ」で達成できる」

 「数字を先に置きます」由依は声を張らず、しかし届く角度で言う。

 「停電訓練+本番、復電まで十三分。怪我ゼロ。混乱の投書ゼロ。『静けさの避難先』活用で離脱者は順路を踏み外さず戻れました」

 「雨対策モード、紙防波堤の交換四回。浸水ゼロ。水位最大十二センチ。紙土嚢はA八・B六・C四——廃棄と再利用を明記」

 「図書室『沈黙の運用』、青札借用百二十三件、平均一分五十八秒。『声の窓』二枠、苦情ゼロ。『読み上げ可席』延べ十六名——「居場所ができた」という投書が四」

 数字が並ぶたびに、体育館の空気が少しずつ平らになる。賛否が固まる前に、体が理解する種類の報告。

 大夢が紙の総覧を空へ掲げ、言い換えを載せる。

 〈ぜんぶ直す〉=欠けを埋める

 〈ぜんぶ受け持つ〉=現場を無視しない

 〈ぜんぶ同じにする〉=選べる強さを痩せさせる

 「…「一括修繕」を、〈ぜんぶ同じにする〉の意味で通すなら、僕らの基準は『例外』になって剥がれます。〈ぜんぶ直す〉の意味で進めるなら、公開と連番で「誰でも」運用できる。——その差を、今日ここで決めたい」

 ざわ…と波が立ち、一つの視線が立つ。

 監査人——前・生徒会長の姉が、演台の脇に立っていた。白い封筒を持つ指先は、いつもの丸い書き癖と同じだけ繊細で、しかしぶれない。

 「「例外」は事故の母体になる。私はそれを、七年前の失敗で学んだ」

 会場の呼吸がひとつ詰まる。

 「『同じにする』ことは、弱い人を守る一番速い方法。あなたたちの「選べる基準」は、遅い。遅い間に、誰かが傷つく」

 その言葉に、龍平が一歩、出た。

 「——速さの話なら、なおさら、線の太さだ」

 彼は示す。「緊急モード」赤枠のテンプレ。対象・期間・権限が「同じ太さ」で並び、名前ではなく役割で記録される。

 「名前を出さず、役割で出す。公開と連番で、谁でもたどれる。速さは「同じにする」からだけは来ない。「見える」から来る」

 「事故はゼロが続いている」倉本先生が短く補足する。「速さと安全は両立できる。——『札の速さ』で」

 監査人は黙って聞き、封筒から一枚の紙を取り出した。

 ——〈一括修繕・提示案〉

 1)導線・静けさ・展示の基準は「全教室同一」

 2)緊急モードの発動・解除は「中央承認制」

 3)例外運用は「申請制」

 「「同じ」を先に置く。例外は、申請の隅で扱う」

 その「角度」が、会場の温度を低くするのが見えた。

 由依は、うなずいた。「その恐れはわかります。でも、例外を「裏口」に置くと、弱い人の居場所が最初から削られる」

 彼女は青札と灰青のカード、光フィルム、紙の秒針を一列に置く。

 「「選べる基準」は、誰かのための「特別扱い」ではなく、誰もが選べる「並列」。表示は同じ太さ。申請はいらない。ただ、『公開』と『役割』で担保する」

 大夢が続ける。

 「僕らの作戦は——「使わないこと」。修繕帳の「最後の一枚」は使わない。紙は運用だけに使う。総会の間は、演出も、最適化も、何も「直さない」。——それで回るかを、この場で見せます」

 ざわつきが一段跳ねた。「使わない」の五文字が、会場の空気を熱くする。

 議長が短く頷き、即時の小テストが始まった。

 ・導線を片側通行に

 ・「静けさの避難先」へ四十名を誘導

 ・演台前に行列形成

 コマンドが三つ降り、修繕班は紙だけで動く。蓄光矢印は昼光下では目立たない——だから卓哉が青枠の矢印札を「必要なところにだけ」追加し、過剰に増やさない。咲子はA-B-Cで立札を短く置く。龍平は手振り三種を高く掲げる。奈緒子は「紙の音温計」で現在地を貼る。森本は渡し札の連番を走らせながら、履歴の公開欄を空けて待つ。倉本先生は「声の窓」を十分钟だけ開き、避難先へ流れる語を「刺さらない」高さに抑える。

 五分後。

 ・行列形成時間:二分二十六秒

 ・避難先誘導:四十名/離脱ゼロ

 ・音温計:薄青→白へ

 ・事故:なし

 「——回ってる」誰かが小さく呟いた。

 監査人は、は頷かない。「今日はあなたたちがいるから回った。明日は?」

 由依はそこで、用意した一枚を掲げた。

 ——〈基準の公開〉

 ・テンプレPDF/掲示の色/矢印の角度

 ・連番の振り方/赤枠の使い所/「窓」の時刻

 ・「役割で名乗る」こと

 「人に依存しないための『見える化』です。誰がいなくても、紙を見れば「同じ太さ」で置ける。明日の午前中に、全校へ配布します」

 「申請は?」監査人。

 「いりません」由依はやわらかく、だがまっすぐ。「「選べる」こと自体が基準だから」

 議場の一角、三年の視聴覚委員が手を挙げた。「「読み上げ可席」、ありがとう。——「特別扱い」に見えない言い方も、もう見つけました。「読む声の席」」

 別の角から一年が続く。「「弱光席」、『眼の休憩』でお願いします」

 言い換えの札が、会場のあちこちで小さく増える。均一よりも、合意の速度が増えていく。

 議長は議題を二つ目へと進めた。「「緊急モード」の統一標識」

 赤枠のテンプレが掲示され、監査人が条件を読む。

 「中央承認制を——」

 「否」龍平が食い気味に被せたわけではない。先に紙が上がっていた。

 A:「発動=赤枠宣言」

 B:「解除=斜線一本」

 C:「理由:事故は「現場の先着」でしか止められない。履歴は即日公開」

 「中央は「承認」ではなく「公開」を受け持つ」倉本先生が締める。「上下ではなく分担。——これが、今日示した『同じ太さ』」

 討議は一時間続き、最後に議長が提案を区切った。

 「採決は明朝、文化祭開幕前に行う。——本日の結論は、両案の「同時試行」」

 体育館の空気が一度ゆれ、収まる。「同時試行」——今夜から明朝まで、二つの線を並べて歩くのだ。

 解散の合図が出たとき、監査人が修繕班の前に歩み寄った。白い封筒を由依へ差し出す。

 「明朝八時。あなたたちの『選べる基準』を最終版で提示して。——私は「全校一括修繕」を〈ぜんぶ直す〉の角度に寄せて再提出する」

 「寄せる?」

 「あなたたちの「紙」は、筋が通っている。——速さのために、私も角度を変える」

 監査人の目は、赤かった。厳しさの外側に、七年前の残響が揺れているのがわかった。

 修繕室へ戻る廊下。非常灯の緑が細長い楕円になって床を撫でる。

 「…やること、増えたね」

 咲子が肩で笑い、卓哉が手を合わせる。「テンプレPDF、図面、配布動線…徹夜、回避できる?」

 「回避する」由依が即答する。「「使わない」から。——徹夜は判断を鈍らせる。今日決めたのは『夜は守り、朝に説明』」

 「じゃあ、段取りを「明け方用」に組む」奈緒子は目を輝かせる。「印刷は五時スタート。配布は六時半——矢印は「細く短く」」

 黒板に最後の段取りが並ぶ。

 ・PDF最終:22:30

 ・印刷:05:00

 ・配布:06:30(役割名で)

 ・演台セット:07:30

 ・採決:08:00

 大夢は修繕帳の余白に指を置いた。黒い丸が二つ、現れる。

 ——検収:通過。

 ——観察:「使わない」作戦、総会で有効。※「同時試行」に伴う公開の徹底。

 赤い細字が添えられる。

 ——「「均し」より「選び」。「承認」より「公開」。夜は守り、朝に決めよ」

 最後に、大夢は今日の一行を書く。

 窓の外、校庭の照明が一つ、また一つと落ちていく。体育館の中は静かだ。——紙の角だけが、明朝に向けて薄く光っていた。

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