第33話_窓際の机と光の配分

 青札と紙の秒針がようやく落ち着きを見せ始めた週の半ば、別の声が投書箱から滑り出た。白い便箋に細かな字で並んだ訴えは、こうだった。

 ——「窓際の机に座りたいのに、夕方はまぶしくてノートが見えません。ブラインドを閉めると暗すぎて、眠くなってしまいます。光の加減をどうにかしてほしい」。

 図書室の窓は南向きに大きく開いている。春から初夏にかけては日差しが柔らかいが、秋口の午後四時を回ると傾いた光が机を斜めに切る。机の片側は真っ白に照らされ、もう片側は影が深い。机を二人で使えば、片方はまぶしさに目を細め、もう片方は暗さにペン先を見失う。

 「光の偏りか…」大夢は窓際の席に腰を下ろし、ノートを開いて試してみた。斜めに差し込む陽光でページの半分は眩しく、もう半分は影の谷間に沈んでいる。

 「確かに、両方つらいね」由依は隣で小声をもらし、手のひらをかざして光の筋を遮った。

 倉本先生は「施設のブラインドを使えば済む話かもしれない」と言いつつ、首を横に振った。「でも、それで一律に閉めれば暗さの苦情がまた出るでしょうね。照明も古いから、窓際の机を全部均等に明るくはできない」。

 龍平は椅子の背に寄りかかり、「光の分け方を変えるしかない」とつぶやく。「全部を平均化するんじゃなくて、席ごとに役割を変える。まぶしい席、暗い席、ちょうどいい席。…選ぶようにすれば?」

 そこで由依は黒板の片隅に三つの短文を書いた。

 A:「窓際の机は「光の席」です」

 B:「ブラインド半分閉め/照明追加なし。光をそのまま活かす」

 C:「理由:強い光で覚えやすい人もいれば、暗めで落ち着く人もいる。「一律」より「選択」が静けさにつながる」

 咲子が頷いて、机の端に貼る小札を作った。

 ——「光席」「影席」「均等席」

 窓際四卓を「光席」として札を立て、ブラインドは半分だけ下ろす。中央の列は蛍光灯を追加し「均等席」、壁際の列は少し暗めに残し「影席」とする。

 試しに放課後の二時間を三種類の席で過ごした生徒の感想は分かれた。

 「光席は眠気が飛ぶ」「眩しいけど短時間の暗記にはいい」「影席だと集中できる」「均等席は安定してて安心する」。意見はばらけたが、苦情の票は出なかった。「選べるのがいい」と白票に添えられる。

 ただし一つ問題が残る。夕暮れが深まると「光席」も「影席」も等しく暗くなるのだ。照明の色が頼りなく黄ばみ、文字の縁がぼやける。奈緒子が「蛍光灯の寿命じゃない?」と指摘し、卓哉が工具箱を持ち出す。古い蛍光管を一本取り替えると、光が少し白く強まった。だが残り十本以上ある。は換えられない。

 「紙で補えないかな」奈緒子は机にかけていた透明の下敷きを掲げた。窓際の席に置くと光が柔らかく分散する。まぶしさが半分に削がれ、影の境もゆるむ。

 「「光フィルム席」だね」由依は小さく笑って言い、翌日、文具室から余っていた半透明のファイルを切り出した。机の端に引っ掛けるだけで即席の光フィルムになる。

 その日の検収会。

 ・光席:利用32名/感想「短時間集中に良い」多数/苦情0

 ・影席:利用21名/感想「落ち着く」多数/苦情0

 ・均等席:利用44名/感想「安定」「選びやすい」/苦情0

 ・光フィルム:試験導入6枚/感想「眩しさ軽減」「文字が見やすい」/返却率100%

 西田は記録をめくり、「席の選択肢を増やす方が、全体の沈黙を守る」と評した。東雲は「光フィルムは安価で持続可能。数を増やすべき」と付け加えた。森本は「席ごとの利用率を一週間単位で出せば、調整の目安になる」と提案する。

 最後に倉本先生は、板書を更新した。

 ——ルール㉟「窓際の机と光の配分」

 1)窓際=光席

 2)中央=均等席(蛍光灯補強)

 3)壁際=影席(落ち着き用)

 4)選択は自由。苦情が出た場合は席替えで調整。

 「光も静けさの一部なんだね」由依が呟くと、大夢は頷き、修繕帳に記す。

 ——検収:通過。

 ——観察:「光の分配」は選択肢で沈黙を守る。

 赤い細字が添えられる。

 ——「静けさは耳だけでなく、目にも宿る」。

 窓際に座った一年生が光フィルム越しにノートを広げた。黄昏の光はやわらかく、静けさを照らす灯のように落ちていた。

 翌日。窓際の「光席/影席/均等席」の札は、朝いちばんから小さく仕事を始めていた。入口の掲示には、前日の利用率と感想が簡潔に貼り出され、机の角には半透明の「光フィルム」が六枚だけ試験的に吊られている。

 「今日は「黄昏(たそがれ)テスト」をやる」

 由依が小声で告げ、黒板の端に新しい紙を三段で起こした。

 A:「16:10—16:40を『黄昏モード』にします」

 B:「光席=フィルム必須/影席=スタンド灯1台/均等席=そのまま」

 C:「理由:夕陽の角度で「眩しすぎ・暗すぎ」が同時に起きるため、席ごとに補助の道具を足します」

 咲子が司書机の抽斗から、静音の小さなスタンド灯を三台取り出す。「影席のうち需要が高い二卓に置こう。残り一台は移動用」。

 龍平は工具箱の底から厚紙の「ひさし」を取り出した。L字に折っただけの素朴な遮光羽根だ。机の上辺に挟むと、窓から斜めに入る光の刃が、紙の上でふわりと鈍る。

 「「均(なら)す」じゃなく「逃がす」」

 大夢はひさしの角を指で撫でてから、光席に並べて置いた。「必要な人が、必要なぶんだけ持つ。——それでいい」

 黄昏モードが始まって十分。ディベート部の一年が眉間を押さえて立ち上がった。「ごめん、頭痛…」

 由依は「読書の避難先」を指さし、青い椅子へ案内する。その背には新しく増えた薄い札——《弱光席》。

 「ここは「低照度」。スタンド灯は消灯、光フィルムは二枚重ねOK。——十六分だけ使って」

 「十六?」

 「『十五分+一分』の余白」由依が微笑む。「焦らない一息の分」

 避難先の隣で、奈緒子が「紙の光度計」を配っていた。灰から白までのグラデーションが五段。机上に置いて、紙に落ちる光の「白」が三段目に合えば合格、二段目以下は暗め——そんな、紙だけの基準だ。

 「電子の測光じゃなくても、目と紙で水平が取れるよ」

 彼女が光度計を傾けると、窓際の一本の光が、基準の「灰」に合わせて鈍った。

 その頃、入口の借用棚では小さな詰まりが起きていた。光フィルムが足りない。

 「「ないから使えない」は避けたい」

 咲子は代替を出す。

 ——〈光フィルム不足時の代替〉

 1)厚手トレーシングペーパー(A4二枚まで)

 2)「紙ひさし」を優先配布(机上L字)

 3)席替えの提案(光⇄影)

 A:「フィルムは各机「最初の一枚」を優先に」

 B:「追加はトレペで補助」

 C:「理由:限りある資材を「広く薄く」」

 午後四時二十八分。影席に座っていた二年の女子が手を挙げた。「すみません、影が濃くなって字がにじみます」

 龍平は頷き、スタンド灯の角度を一段だけ上げた。光は机の面で広がり、紙の繊維が浮き上がる。「「刺さない」光がいい」

 そう言って戻る途中、大夢は紙の上に零れた水滴に気づいた。隣の一年の水筒がこぼれている。反射で気づかなかったのだ。

 「水物の「線」も足そう」

 由依はその場で小さな札を作り、光席の手前に置いた。

 A:「光席では「水物ふた閉め」」

 B:「こぼしたら「紙タオル→乾燥棚」の順で」

 C:「理由:反射で見落としが起きやすいため」

 ルールは相手の目的語で書く——誰かを責めず、事故の「流れ」をせき止める。

 黄昏モードが終わる頃、投書が三通届いた。

 青票——「光フィルム、すごい。板書の写しがラク」

 黄票——「影席のスタンド灯、もう少し「暖色」がいい」

 赤票——「窓際のひさしが「見栄え」悪い。図書室の雰囲気が壊れる」

 返答は三段で戻す。

 A:「感想ありがとう。暖色の「読書灯」を一台試験で入れます」

 B:「ひさしは「透明版(PET)」に置き換え予定。紙版は試験用でした」

 C:「理由:『効果』と『景観』の両立。道具は「刺さらず、浮かず」を目指します」

 夕方、辞書コーナーの影から白い封筒が滑った。丸い書き癖の一行。

 ——「「均し」すぎると、誰かの「得意」も消える。多様は「雑」ではない。札で残せ」

 監査人の角度は、いつも「平均」にブレーキをかける。

 夜の検収会。紙の束が並ぶ。

 ・光席:利用41名/フィルム借用36/「紙ひさし」借用18(うち戻し18)

 ・影席:利用29名/スタンド灯ON 22(暖色希望8)

 ・均等席:利用53名/変更希望2

 ・弱光席(16min):利用7/頭痛→軽減報告5

 ・紙の光度計:配布50/返却48(紛失2→許容)

 ・事故:水こぼし2→紙タオル→乾燥棚で処理/資料汚損ゼロ

 ・投書:青1/黄1(→反映)/赤1

 東雲は記録を読み、「「足りない資材の分配」が上手い」と短く置いた。西田は「暖色灯は電源分岐の負担に注意」と付箋を貼る。森本は「フィルムの洗浄・保管手順」を紙の図で清書し、倉本先生は「「弱光席」の表示をやわらかい言葉に」と示す。

 候補:〈やすむ席〉〈まぶしさ避難〉〈眼の休憩〉。刺さらず、でも届く言い換えを探す。

 掟の黒板に新しい行が足された。

 ——ルール㊱「光の配分」。

 1)窓際=光席。中央=均等席。壁際=影席(読書灯)。

 2)「黄昏モード」を導入。

 3)「弱光席(仮)」を設け、頭痛・眩しさの避難先を常設。

 4)水物の扱いは光席で厳しめ。

 5)道具は「刺さらず、浮かず」。見栄えと効果の両立を紙に。

 「言い換えると、「光は平均せず、選べるように」」

 咲子が読み、卓哉は透明ひさしの図面を引き、奈緒子は光度計の型紙を改訂する。龍平は読書灯の配線図を見直し、森本はフィルムの連番ラベルを印字した。

 ひと段落ついたところで、放送部の一年が駆け込んできた。汗で前髪が額に貼りついている。

 「生徒会から回覧! ——明日、「文化祭前夜総会」の最終案内を出すって」

 差し出された紙には、見慣れた赤枠が踊っていた。

 ——《前夜総会・議題》

 1)監査人提案「全校一括修繕」審議の最終スケジュール

 2)「緊急モード」運用の統一標識

 3)展示・導線・静けさの基準——公開版

 4)その他

 「ついに——」

 由依が小さく息を飲む。紙の角が、重く見えた。

 修繕室に戻ると、机の上の紙束の色が一段と増えたように感じる。今日つくった「光の道具」は、全部「局所」の話だ。けれど、明日の議題は「全校」。便利さの大きな線と、主体性の細い線が、正面からぶつかる。

 「総会の資料、『言い換え』を一個置こう」

 大夢がペンを取る。「「全校一括修繕」——言い換えるなら?」

 由依は黒板に三つの語を並べた。

 〈ぜんぶ直す〉/〈ぜんぶ受け持つ〉/〈ぜんぶ同じにする〉

 「角度が違うだけで、意味は変わる。——「同じにする」は、今日の「光」には合わない」

 咲子が頷く。「「選べるように」を、総会の言葉にして持っていこう」

 最後の確認。週報の末尾に、今日の運用と数字が並ぶ。検収印が二つ、滲む。

 ——検収:通過。

 ——観察:「光の配分」運用妥当。※「弱光席」の言い換え試行/透明ひさし導入。

 赤い細字が添えられた。

 ——「「同じ明るさ」はやさしいが、「選べる明るさ」は強い。強さを、紙で護れ」

 窓の外はすっかり群青に落ち、図書室の光は各席で違う濃さの島になっている。人はそれぞれの島に腰を下ろし、必要な明るさで文字を追う。

 大夢は修繕帳の余白に、今日の一行を書く。


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