第24話_境界線の継ぎ目
文化祭準備の動線がようやく整いはじめた頃、史料室の掲示板に貼られた「境界マップ」が小さな波紋を呼んでいた。赤・青・黄・白、それぞれの票が条件に従って並ぶが、外から見たときの「線の交差」が一部、曖昧になっている。特に「安全」と「意匠」が重なる廊下のコーナー。反対票の赤が三枚、沈黙票が四枚積まれていた。
「ここ、歩く人にとっては「滑り止め」が要る。でも意匠班にとっては「段差の陰影」がデザインの肝だって」
咲子が苦笑混じりに報告する。由依はマップを見つめ、沈黙票の列に指を当てた。
「…「まだ」って言ってるんだね。即決はできない。でも文化祭まであと八日。——決めなきゃ進まない」
龍平は壁にもたれながら短く言う。
「「二重線」で残そう。安全線と意匠線を別々に引く。交差部分は「両方有効」。」
「でも、それだと誰が責任を持つか見えなくなる」大夢が眉をひそめた。
奈緒子が手帳に書き込み、口にする。「じゃあ「継ぎ目」って呼ぼう。——二つの線が出会うところは、両方の担当が並記する。責任は重複じゃなく「共有」。」
「「継ぎ目」か」由依は頷き、チョークで黒板に太字を書く。
夕方の検収会で、その新ルールは俎上にのせられた。
「二重線は混乱のもとになる」東雲は冷静に言う。「見る者が迷う」
「だから「継ぎ目」と明記する。混乱をなくすための混在だ」由依は返す。
西田が補足する。「週報に「継ぎ目リスト」を添えるのは有効だな。責任の所在が紙に残れば、監査側も追える」
成瀬先生は少し考えてから頷いた。「「重ね書き」じゃなく「継ぎ目」としての透明化。成立するだろう」
議論の最中、投書箱に黄票が滑り込んだ。
卓哉が即座にアイデアを出す。「色じゃなく「模様」はどう? 波線とか点線とか」
「じゃあ、交差部分は「点描」にしよう。線の厚みを変えるより、模様の違いなら刷っても潰れない」奈緒子が決める。
こうして「継ぎ目ルール」は次の週報案に組み込まれた。
大夢は作業の終わりに笑った。「線が増えても、折れてない。強くなってる」
由依は窓の外に目をやった。夕焼けの赤と、廊下の白い光。二つの線が重なるように見えた。
放課後、渡り廊下の角に集まった。床には二色のラインがY字で合流し、その重なり目だけ点描の模様が散っている。掲示板では「継ぎ目ルール(試行)」が新しい紙の匂いを立て、端には今日付けの「継ぎ目リスト」がホチキスで留められていた。
——継ぎ目#03:南棟一階・渡り廊下コーナー
対象:安全(滑り止め)×意匠(陰影演出)
担当:安全=公開担当/意匠=美術装飾班
対応順:①安全②意匠
「まずは「安全」。次に「意匠」。順序は紙に出た」
由依が短く言うと、意匠班の班長・相良が肩をすくめた。二年の彼は、鉛筆の耳掛けがよく似合う。
「わかる。けど、陰影の段差を薄くしたら、昼間のストロボが死ぬ。写真の「映え」が半分になる」
「半分、ね」龍平が壁にもたれて見上げる。「なら、もう半分を「動線の溜まり」で稼げばいい」
「溜まり?」
「角の内側に「立ち止まりの丸」をひとつ置く。床に目印を作るんじゃなく、天井から吊りのモビールを下げる。視線が上に行くと、自然に足は遅くなる」
相良の目が明るくなる。「…なるほど。写真の陰影は「上」に移せるか」
奈緒子が温湿度計と滑り計を床に置いた。「まずは数値。今日の湿度は68%、床の静摩擦係数は…不安定。端部のテープが浮きかけてる」
「帳面は「外側だけ」。滑りを均一化する」
彼女は修繕帳を開き、文言を置く。
薄紙が点描の継ぎ目の外側に貼られ、微かな光が吸い込まれていく。滑り計の針が振幅を小さくし、落ち着いた。
「「安全」の手当て、通過」
由依が確認を取ると、相良が両手を広げた。「じゃあ俺たちの番。「モビール案」通す?」
「通す。ただし「渡し札」を付ける。素材・重量・吊り高さ・落下時の停止手順」
咲子が「継ぎ目用渡し札」の欄を新設する。既存の渡し札に「継ぎ目#/対応順/相互立会」の三項目が追加された。
作業に取りかかろうとしたそのとき、角の向こうでバタリと音がした。掃除用具のカートが継ぎ目の点描に車輪を取られ、三年の用務員さんが「あっ」と声を上げる。
大夢は反射的に飛び出し、カートの把手を支えた。水の入ったバケツが揺れて、縁からすこしだけ跳ねる。床に「うっすら危ない」水の輪。
「すみませんね、急いでて」
「いえ。——「継ぎ目」、効いてます?」
用務員さんは点描の模様を見下ろし、頷いた。「見える。けど、夕方の逆光だと、年寄りの目には「薄い」ね」
「「夕方の逆光」」奈緒子がメモする。「照度が落ちる時間帯の可視性、模様だけじゃ足りない」
「じゃ、音だ」卓哉が口笛を吹くふりをして、「足音が自然に変わる床、作れる?」と悪戯っぽく言う。
「床は触らない。——でも「上」なら」由依が顔を上げる。「モビールに薄い鈴を。風で鳴らすんじゃなく、人の動きで「微かに」鳴るように。音が前にいる誰かの気配を伝えて、角での接触を減らす」
相良が「面白い」の顔を隠しきれずに笑う。「それ、採用。——でも「最後」にする」
夕方の検収会に暫定案を持ち込むと、東雲が図面の上で指を止めた。
「「二重線=継ぎ目」。安全優先の順番、妥当。——音の演出は?」
「騒音にはしない。「合図」としてほのかに」咲子が答える。「鈴は1分間平均3回以下の鳴動、分散配置。視覚・聴覚どちらかの可視性が落ちる時間帯に、片方で補う狙いです」
森本が工程表に目を落とす。「パーツ数の増加は予算に響く。共同で持ち寄れる素材に限定しよう。「台帳」にも載せる」
西田が短く言う。「「継ぎ目用渡し札」の連番、会計管理で。吊り物の落下時停止権は所管教員」
成瀬先生が付け加える。「物理危険が出たら「緊急モード」に移行。掲示は赤枠で」
承認。会議室を出ると、廊下の角に一年が二人、「継ぎ目」の足元で左右に揺れていた。点描の斑点を踏むリズムで、足が自然にちいさな半拍を刻む。
「これ、歩きやすいね」
「うん、なんか「角が曲がりやすい」」
見えないところで、線が身体に入りつつある。
翌日。意匠班と一緒にモビールの試作を吊った。透明な糸の先に、乳白の小円板と真鍮の薄い鈴。高さは身長150〜175センチの視野に合わせ、最下端は頭上20センチ。
「視覚は「白」。聴覚は「真鍮」」相良が呟く。「空気を邪魔しない程度の存在感、ぎりぎり」
「試行三日、緊急停止は「停止権者+公開担当」。——渡し札に記載」
由依が立会欄にサインを入れる。役割名だけが並び、名前は出ない。矢印はどこにも刺さらない。
夕暮れ、一日の通行が最も混む時間帯。継ぎ目の角を、列が不思議と「ほどける」。鈴がチリンとも鳴らない程度に、触れそうで触れない距離が自然に保たれる。
「効いてる」
奈緒子が数値をめくり、にやりと笑う。「減速率が平均1.2倍。接触予兆は半分以下」
「映えも死んでない」相良のカメラの液晶には、夕方の斜光で浮かぶ白い円板の縁。陰影は上で揺れ、下は滑らかに曲がる。
そこへ、白い封筒が足元をすべった。拾うと、丸い書き癖の一行。
監査人の文字は、相変わらず温度だけを置いていく。
夜、週報を整える。
・継ぎ目#03 対応経緯:①安全=端部固定圧均一化/点描線表示、②意匠=吊りモビール(鈴/低鳴動)
・渡し札:継ぎ目用#03-001〜006(両方向)
・事故/未然:0/カートの引っかかり未遂1(物理対応済)
・緊急モード:未発動
・台帳更新:会計管理(公開リンク有)
検収印が二つ押され、赤い細字が添えられた。
黒板の掟に、一行が加わる。
「言い換えると、「譲るを設計、曲がるを可視化」」
咲子が読み上げ、卓哉が小さな点描を黒板の隅に散らした。
片付けを終えて角に戻ると、鈴がひとつだけ、風もないのに鳴った。通りかかった一年の肩が、そこで半歩だけ遅くなる。大夢は、その遅れが好きだと思った。遅れは、出会いの形だから。
「由依」
呼びかけると、彼女は点描の上で足を止めた。
「「最後の一枚」、まだ減ってない」
彼女は胸ポケットの帳面を軽く叩き、微笑する。「減らさない。「曲げ方」を書き足すほど、使う必要は遠のくから」
大夢も笑った。今日の一行を、帳面の余白に記す。
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