第11話_検収会の初日

 昼休みを少し過ぎたころ、生徒会室横の会議室に人が集まり始めた。張り紙には「第一回 放課後リペアログ 検収会」と大きな字。机には水の入った紙コップと、閲覧用の報告書が積まれている。

 六人は背筋を伸ばして着席した。いつもの修繕室とは違い、ここでは一挙手一投足が記録される場だ。隣には生徒会の会計・森本が腕を組み、背後には顧問の成瀬先生が椅子に腰を下ろする。

 「では、第一件目。旧理科室の窓枠補修」

 咲子が報告書を読み上げる。目的、手順、観察結果—形式は決められた通り。奈緒子が実物写真を提示し、龍平が補修材の選定理由を補足した。森本が「安全性の担保は?」と問いかけ、由依が記録を指し示す。

 「乾燥時間を明示し、立入禁止の札を設置しました」

 言葉は短いが、確信がある。

 二件目は、音楽室のメトロノーム。模擬依頼だった案件が正式に扱われた。卓哉が和やかに経緯を説明し、笑いを誘う。副会長の西田は表情を崩さないまま「帳面の使用は?」と確認した。大夢が答える。

 「不要でした。機材と環境の調整で解決できた案件です」

 会議室の空気が、少しずつ変わっていく。形式的な検問ではなく、「一緒に安全を見極める場」へ。森本が書き込みながら、呟く。

 「こうして説明を受けると、危なさよりも工夫が見える」

 それは小さな承認の言葉だった。

 三件目、体育館倉庫の照明不具合。報告書の末尾には「再発可能性あり」と大きく記されていた。奈緒子の観察によれば、配線の老朽化が根本原因。帳面を使えば一時的に光を戻せるが、意味はない。

 「だから使わない。工事依頼を優先すべき案件です」

 そう言い切る大夢の声に、顧問の成瀬先生も頷いた。

 会議が一区切りついたとき、扉がノックされた。入ってきたのは、ひとりの女子生徒。眼鏡の奥の視線が鋭い。手に封筒を持ち、会長の前に差し出した。

 「匿名の投函でした。—「監査ログを偽装していないか、確認せよ」」

 室内が静まり返る。森本が封筒を開き、中の紙を机に広げた。そこには、先日提出した報告書のコピーと照らした赤字がびっしり。

 「…誰かが、内部の記録にまで目を通している」

 六人の心に、再び重みがのしかかる。外からの視線は歓迎していたはずだが、それは同時に「疑い」でもある。

 東雲が指を組み、冷静に言った。

 「いいじゃない。疑われるのも説明の一部。—次回から、「監査確認欄」を追加して」

 生徒会の紙に、赤いインクで線が引かれていく。

 大夢は背後で蝉の声が響く。

 「見られるほど、俺たちは「透明」でいられる。…そういうことだ」

 検収会の初日は、疑いと承認の両方を刻み込んで幕を閉じた。

 沈黙は、長机の木目をひとつ増やす。匿名投函の赤字は、先週の「剣道場床反発測定」の報告にびっしりと踊っていた。—「フレーム数の換算根拠が不記載」「撮影端末の時刻校正なし」「重りの質量証憑がない」。疑いは感情ではなく技術の文法で迫ってくる。

 「…俺が動画を撮った。端末は120fps固定。スローモーションの設定は触ってない」

 大夢が正面から切り出す。指先に汗がにじみ、ペンが滑った。由依が横からフォローしかけるが、東雲の視線が「順番」を示した。

 「端末の機種は?」

 「えっと、S社の——」

 「型番まで」

 森本の声は冷たいのでなく、数字に慣れた速さで動いているだけだった。大夢は鞄から端末を出し、設定画面を示して型番とフレームレートを読み上げる。奈緒子がすかさず、重りの質量が刻印された写真と、家庭科室の秤での再計測結果を提示した。

 赤字の三本目—「撮影時刻の不一致」。動画のタイムスタンプと観察票の記録時刻に二分のズレがあった。由依の胸がきゅっと縮む。彼女が現場記録の筆を取っていたのだ。昼休みの鐘と混線し、開始時刻を書き間違えた。手の中のペンが音もなく転がる。

 「私の記録ミスです。端末側の時刻が正、観察票が誤り。校正手順が甘かった」

 言い終えるより早く、大夢が一歩前に出た。

 「現場責任者は俺だ。ミスの最終責任は俺にある。時刻校正のチェックリストを——」

 「言い訳を先にしないで」

 東雲の声がすっと入る。責めてはいない。けれど、甘えを切る刃がある。

 「「どこが間違いで、どう直すか」。順番はそれだけ」

 由依は深く息を吸い、短く整える。

 「不一致は「観察票の手書き時刻」。修正は「時刻基準の統一」です。今日から全記録は「図書館時計」を基準に、撮影前に「同期」の写真を一枚撮る。端末の時刻は教務の電波時計と照合。観察票の右肩に「同期時刻」欄を新設します」

 森本がペン先で紙を叩く。

 「それで「再現性」は担保できる?」

 奈緒子が頷いた。

 「できます。フレーム数の換算は「1/120s=8.33ms」で固定。算式を欄外に記し、使った端末・ファイル名まで書く。重りは家庭科室の秤で毎回検量して写真添付。——『誰がやっても、同じ値』を目指す」

 空気が戻る。だが赤字はもう一つ、別の案件にも伸びていた。図書館の「複数バーコード抑制」の紙片使用に対し、欄外に小さな問い。

 「この『抑制』が、結果として「読み取りの質」を上げてしまった場合は「印象操作」の禁止に抵触しないか、って意味だろうな」

 龍平が読んで、眉をひとつ上げる。

 咲子は用意していた「定義カード」を机に差し出した。

 「「拡大防止」=「既に発生している不具合の範囲が広がらないように『減らす』膜」。「性能向上」のために『上げる』方向へは使わない。今回、端末側の『複数同時読取』の動作を「オフの状態に留める」だけで、読み取り精度そのものの強化はしていません。——『上げていない』ことを、操作ログと動画で示します」

 東雲が小さく笑んだ。

 「「上げたか、留めたか」。言葉で逃げず、証拠で区別することね」

 そのとき、会議室の後方ドアが開いた。顧問の成瀬先生が振り返るより早く、丸い書き癖のメモをいつも残す「誰か」が、一歩だけ室内へ入って会釈した。肩から下げた薄い鞄。名札はつけていない。

 「傍聴を…少し」

 東雲が目で「どうぞ」と示す。彼女——と呼ぶべき年上の影は最後列に腰を下ろし、机に並ぶ紙と写真を食い入るように見始めた。森本が動じず、淡々と進行を続けるのが救いだった。

 「次、議題変更。「監査ログ」の様式化」

 生徒会側の提示案がホワイトボードに映る。

 ①関与者の氏名と役割

 ②基準時刻の同期写真(図書館時計)

 ③証跡一覧

 ④「帳面使用」の有無と文言

 ⑤「緊急停止」の判断有無と根拠

 ⑥再発可能性と「人手での再現可否」

 「ここに、「ハッシュ」は?」

 奈緒子が口にして、場が一瞬ぽかんとする。

 「ファイルの「指紋」。改ざんチェック。…やりすぎ?」

 「高校の範囲としては「ファイル名と提出先保管」で十分。けど、『改稿履歴』は残そう」

 咲子がさらりとまとめ、東雲が「採用」と短く言った。

 空気が落ち着いたところで、最後の確認に入る。匿名投函の赤字の出所について、誰も問い質さない。問い詰めること自体が「見られて困るやり方」だからだ。代わりに東雲が言った。

 「外からの監査、歓迎する。——だから、こちらも「外へ出す」。報告は生徒会掲示+サイト、さらに「検収会議事録」を週報にして公開する」

 卓哉がぼそり。

 「ネタにされやすいけど、こっちが先にネタを上げ続ければ、妙な噂は死ぬ」

 「それ、名言っぽいけど雑」

 由依が小声で突っ込み、場の緊張がすこしだけ和らいだ。

 会の終わり際、最後列の彼女が手を挙げた。許可を得て、短く口を開く。

 「『基準時刻』、大事。——もうひとつ、「時間の単位」を合わせて。『秒』か『フレーム』か。混ぜると、人はつまずく」

 それだけ言って、会釈して立ち上がった。誰も名前を聞かなかった。名札のない監査人は、扉の向こうに消えると同時に、紙の上の線を一本増やしたように思えた。

 「本日の結論をまとめます」

 咲子が立ち、白紙に黒を置く。

 ・剣道場測定の不一致は「記録側時刻」。基準時刻の統一と同期写真の導入で是正

 ・「拡大防止」の定義カードを作成し、報告に添付

 ・監査ログの様式化を採用

 ・週報として議事録を公開

 「以上、検収は「条件付通過」。追加資料は明日正午まで」

 解散。紙コップの水の輪が机にうっすら残った。会議室を出ると、蝉時雨がまた一段上がる。廊下の途中で由依が立ち止まり、深く頭を下げた。

 「さっき、庇ってくれてありがと。でも、ああいうとき、私が前に出るから」

 大夢は首を振る。

 「役割は「交代制」でいい。俺は道具を持って前に出る。由依は言葉を持って前に出る。どっちが先でも、同じところに着く」

 「…じゃあ、今日はあなた先頭。次は私」

 由依の目の奥に、雨上がりの光みたいな強さがあった。

 修繕室へ戻ると、「基準時刻パック」の準備に取りかかった。図書館時計を背景にした「同期写真」の見本、観察票の右肩に「同期時刻」欄の増設、フレーム換算の定義カード。奈緒子は家庭科室の秤に「毎週月曜ゼロ校正」の紙を貼り、卓哉は「検収会週報」の表紙に遊び心の少ないフォントを選んだ。「面白さは最後」——今日は最後でもない。

 夕方、サイトに第一回検収会の週報が公開された。「疑義と是正」の見出しが並ぶ記事に、閲覧数がじわじわ伸びる。生徒会掲示板の前では、二年の陸上部員が立ち止まり、赤字の付いたコピーを見つめていた。

 「こういうの、ちゃんと書くの、すげえな」

 通りすがりの声に、龍平は肩を一度だけ回して「すげえ面倒だ」とぼそりと返した。けれど、その顔は少し笑っていた。

 夜、ログを閉じる前に大夢は黒板の掟へチョークを走らせた。

 横に、いつもの一行を足す。

 窓の外で、暮れかけた空が校舎のガラスに薄く映る。明日は二人三脚の予選。競技の「公平」は、紙の上だけでは守れない。足を結ぶ前に、目盛りを合わせる——六人はそれぞれの荷物を肩に掛け、同じ歩幅で修繕室の灯りを落とした。


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