第10話_生徒会からの呼び出し
夏の蝉しぐれが窓を叩く午後。修繕室の扉の下に差し込まれた紙片を拾い上げた大夢は、呼吸を整えるように目を閉じた。そこには簡潔に書かれていた。
咲子が紙を覗き込み、額に手を当てる。
「数字の件を報告したばかりなのに、もう次の課題?」
由依は椅子の背にもたれながら紙片を指で弾いた。
「呼び出しっていうより、確認かも。…ただの「お礼」ってことは、絶対にないよね」
龍平が窓際に立ち、外の陽射しを横目に言う。
「どう考えても、「修繕帳」の存在を疑ってる。会計の森本は触れてなかったけど、内部では話題になってるはずだ」
奈緒子は膝にノートを抱え、何かを書き込みながら口を開いた。
「だったら、隠すよりも「公開」した方がいい。…でも、帳面の力を全部晒すわけにはいかない」
卓哉が腕を組み、机の上で鉛筆を転がした。
「隠す? 見せる? どっちにしてもツッコまれるよな。だったら、「見せても困らない部分」をあらかじめ用意しておくのはどうだ?」
大夢は頷き、机上のノートを開いた。
「これまでの「修繕」を整理しよう。机、傘、図書館のカード、予算のズレ…。どれも、「直した」ことは事実だけど、「どう直したか」を説明できる資料をまとめる」
「「人力でできた」ことにしておくってこと?」
由依が目を細める。大夢は真っ直ぐに返す。
「「できる範囲は人力で」っていうのは本当だから。帳面は「補助」だって線を、強調しておくんだ」
翌日。会議室の扉を開けると、涼しい空気と同時に重い沈黙が迎えた。長机には生徒会役員が三人。中央には会計の森本、副会長の西田、そして会長の東雲が並んでいた。
「座って」
東雲の声は落ち着いているが、内側に硬さを含んでいる。六人は並んで腰を下ろし、机の上にノートや資料を置いた。
「単刀直入に聞くわ」
森本が先に切り出した。「君たち、「修繕帳」って呼んでいる帳面を持ってるね?」
視線が一斉に大夢へ集まった。大夢は少し息を吸い、頷いた。
「はい。けれど、それは「魔法の道具」じゃありません。僕たちは「記録」として使ってるんです」
西田が眉をひそめる。
「けど、現実に壊れた机が直り、消えたカードが戻り、数字のズレも解消された。偶然とは言えないよね」
沈黙が落ちた。由依が小さく手を挙げる。
「説明させてください」
彼女は資料を机に滑らせた。そこには修繕作業の手順、外部に確認を取った記録、証拠となる領収書の写しが整理されている。
「すべて、「人の手で追える」記録です。私たちはそれを揃えて、誰もが納得できる形に整えるのを役割にしているんです」
森本は資料をめくり、何度も視線を上下させる。西田は半信半疑の表情で頬杖をつき、東雲は一度目を閉じて考え込んだ。
「…でも」
森本が再び口を開いた。「帳面に書かれたことが、そのまま「現実になる」って噂もある」
卓哉が身を乗り出した。
「噂は勝手に広がります。俺たちがやってるのは「修繕記録」であって、「奇跡の帳面」じゃない。そう言い切れるだけの証拠は用意してます」
奈緒子がさらりと加える。
「それに、「現実になる」ならもっと派手にやってます。例えば体育館の壁を一夜で塗り替えたりとか。でも実際は、地道に直した机や整理したカードばかり」
東雲は沈黙した後、と目を開けた。
「わかった。君たちの活動は認める。ただし—」
机に手を置き、声を低める。
「「修繕帳」そのものは、生徒会の監督下に置く。内容は定期的に提出、場合によっては調査する」
六人の背筋に緊張が走った。監視の網に入るということは、帳面の力が暴かれる危険も増えるということだ。だが拒否すれば活動は続けられない。
大夢は仲間たちの顔を見回し、答えた。
「…わかりました」
会議室を出ると、蝉の声が一層大きく感じられた。外の光は眩しく、しかしその眩しさが、これからの監視の重さを余計に際立たせるようだった。
会議室のドアが閉まる乾いた音が背中を押し、廊下の蝉が一斉に耳へ戻ってくる。冷房の涼しさが消えると同時に、六人の肩に汗がじわりと浮いた。
「「監督下に置く」。首輪つきで走れってことだな」
龍平が言い、由依が小さく首を振る。
「首輪じゃない。「リードの長さ」を自分たちで決めるってことだよ」
咲子は腕時計を見て、短く段取りを切った。
「一時間で「運用協定案」を書く。提出は放課後。ここからは「交渉」じゃなく「設計」」
修繕室に戻ると、机の上に紙が並んだ。過去の「公開報告」の控え、掟の写し、未遂に終わった紙片の封。大夢がマジックで真ん中に大きく書く。
由依が最初の見出しを置いた。
「①目的:『便利さ』ではなく『安全・公平・参照経路の復旧』」
奈緒子が「②適用範囲:物理/設備/参照経路。人の評価・財務・競技結果・印象操作は対象外」と続け、卓哉が「③手順:一次対応→記録→第三者立会→必要なら帳面(最後尾)」と線を引く。
「④提出:使用の翌日正午までに「公開報告」と「原本ログ」を生徒会へ」
咲子のペンは迷わない。「⑤緊急停止:生徒会・顧問・所管者が「停止」を宣言した場合、即時中止」
龍平が無言で親指を立てた。「⑥立会:月曜の「検収会」を設け、生徒会から一名の参加を受ける」
「最後に「掟の要約」も添える。今の十項目に、これを足す」
チョークを握った大夢が黒板へ向かい、十一行目を書き加える。
紙面が形を持ち始めたころ、会議室から内線が鳴った。「協定案、今日中に見せて」。東雲の短い声。返事は簡潔に「了解」。
提出の前に、もう一度、会議室へ。今度は六人のほうから扉を開けた。冷房の風が紙の端を揺らす。東雲、森本、西田。三人の前に運用協定案を置く。
「「危険だ」と感じる理由は理解しています」
咲子が冒頭にそう言ってから、項目を一つずつ説明していく。目的、範囲、提出、停止—言葉は短く、余計な修飾を載せない。森本がペン先で「財務・評価・競技・印象操作」の四領域に丸を付けて頷いた。
「ここが「帳面の禁止領域」ね。徹底できる?」
「徹底します。掟と、掲示で明文化します」
由依が即答する。
西田が椅子にもたれ、わざとらしく息を吐いた。
「言葉の上ではきれいだ。でも、机上の空論は嫌いなんだ。—テストしよう。いまから「模擬依頼」を一件、ここで受けて。君たちのやり方が「説明に耐えるか」を見たい」
東雲が指でインターホンを押すと、音楽室担当の先生が資料を持って入ってきた。
「放課後の合奏で、メトロノームのテンポが揺れる。機材が古い。業者に出すまでの「安全な一次対応」を提案してほしい。帳面の使用は「最後尾」。時間は三十分」
視線が六人の間を走る。大夢は頷き、時計を見る。
「まず現場確認。記録の役は由依、機材の一次点検は奈緒子、動線と安全確保は龍平、公開報告のドラフトは咲子、周知の文面と場の和ませは卓哉。俺は全体進行」
音楽室。木の匂いと、夏の空気。古いメトロノームは、薄いゼンマイの反発が不規則で、振り子の角度が一定にならない。ネジの座が微妙に擦り減っている。奈緒子が分解を提案しかけ、由依が肩を押さえた。
「「安全に触れる範囲」まで。—記録に「分解しない」と書く」
龍平がコンセント周りの接触を確認し、譜面台との干渉で揺れが増幅していることに気づく。卓哉がゴム足のスペーサを即席で作り、咲子が「「一時対応手順」」の紙に書き込む。
①メトロノームの設置面を固く水平な台へ移す。②周辺の振動源(譜面台・足)の接触を避ける。③ゴムスペーサで微振動を吸収。④テンポ決定は指揮者のカウントを主、メトロノームは裏拍補助に。⑤「業者点検の手配/貸出機の手配」を同時進行。
「帳面は?」
東雲の問いに、大夢は首を横に振る。
「使いません。これは物理の範囲で戻せる。—「最後尾」の出番はない」
テストが終わると、東雲は紙を見て短く笑った。
「…いい。『便利さ』に逃げてない。—わかった。条件付きで活動継続を認める。ただし、二点」
指が二本、すっと上がる。
「ひとつ、協定に「情報公開」を明記すること。「公開報告」は生徒会の掲示板と学校サイトにも載せる。もうひとつ、「緊急停止」の実行権者に「生徒会長・副会長・会計・所管教員」を入れる」
森本が付け足す。
「「監査ログ」も残して。どの案件に誰が関与したか。…それは私たちの義務でもあるから」
「了解しました」
大夢が答え、紙を受け取る。東雲が最後に、目を細めて言った。
「勘違いしないで。私は「君たちが嫌い」じゃない。—『そんな帳面は危険だ』と言うのは、「便利さに飲まれてほしくない」から。学校の空気はすぐそっちへ流れる」
会議室を出ると、空は白くかすんでいた。廊下の端で足を止め、六人は小さく息を合わせる。
「…やれるな」
「やるしかない、でしょ」
互いの声が、ほんの軽くなる。
夕方。修繕室で「運用協定」の最終版を清書する。各項目にチェックボックスを付け、提出窓口と期限を太字にした。末尾に署名欄。会長・副会長・会計・顧問・放課後リペアログ(六名)。紙の上に名前が並ぶと、曖昧だった境界が線になる。
掲示板には「公開報告」の新しい様式も並んだ。目的/手段/観察/説明先/監査ログ/緊急停止の有無。下部の余白に、由依が小さく書く。
黒板の掟の列の下に、もう一行が足された。
龍平がその行を眺め、息を吐く。
「逃げ道が減った、ってことは、背中でしか押せなくなるな」
「押して。私たちが止まりそうなとき」
由依が言い、卓哉は「談話スペース」用の新しい張り紙にペンを走らせる。
「「困ったら、見せて話す」。いいね」
奈緒子は観察票のテンプレに「立会者欄」を追加し、咲子は「検収会」の時間割を印刷して配った。大夢は工具箱の中を一つずつ確かめ、最後に修繕帳の表紙へ手を置く。
「俺たちが「直す」のは、物と道と手順。—人の都合じゃない」
そのとき、扉の隙間から小さな封筒が滑り込んだ。もう驚かない。けれど、全員が一瞬だけ呼吸を止める。封を切ると、一枚の紙。
差出人はない。けれど、丸い書き癖の文字は見覚えがあった。七年前から連なる、あの「誰か」。生徒会とは別の線で、こちらを見ている目。
「…歓迎、って書いとく?」
卓哉の冗談に、誰も笑わなかった。でも、空気は不思議と軽くなった。見られて困らないやり方を選ぶ—それだけだ。
翌朝。生徒会掲示板に「運用協定」が貼り出され、サイトにも公開された。通りすがる一年が足を止め、指で文字を追う。
「「直すことより、説明すること」。へえ」
短い感想が、紙の縁に溜まっていく。修繕帳のページには小さな黒丸が押されていた。
大夢は最後の一行を、いつもの場所に書き足した。
蝉時雨の下、校舎の空気はすこしだけ澄んでいた。六人の歩幅は揃い、紙の上の線は曲がらない。ここから先は、誰かに見られながら、ちゃんと前へ進む。
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