第8話_図書館の消えた索引カード

 夏休み前の図書館は、普段よりも人の出入りが多い。宿題やレポートのために調べ物をする生徒で、机のすき間はほとんど埋まっていた。けれど、咲子が借りたいと探していた郷土史の本は、いくら検索しても見つからなかった。

 「コンピュータでは「所蔵あり」なのに、棚にないの」

 咲子が眉をひそめる。司書の先生に確認すると、困ったように首を振った。

 「カード目録からも消えているんです。あの古い引き出しの…」

 図書館の奥には、コンピュータ導入以前に使われていたカード目録の木製の引き出しが並んでいる。白い厚紙に手書きされたタイトルや著者名が記されたそれは、今でも補助的に利用されているのだが、その一部が抜き取られていたのだ。

 「消えたカードは、郷土史の棚ばかり?」

 大夢の問いに、先生は頷いた。

 「はい。しかも「戦時中の記録」に関するものばかりです」

 六人は修繕室に戻ると、早速議論を始めた。

 「これは、単なる紛失じゃないな」

 龍平が言い切ると、奈緒子は目を輝かせた。

 「「誰かが意図的に抜いた」ってことね。…面白いじゃない」

 「面白いかどうかはさておき、利用する生徒にとっては大問題よ」咲子が真剣に返す。「資料が無いとレポートが進まないんだから」

 由依は机に身を乗り出し、修繕帳に指先を置いた。

 「これ、「記録を戻す」ことに使えないかな」

 だが卓哉が首を振る。

 「でも、帳面は「直す」ためのものだろ? 消えたカードを勝手に「復活」させたら、それは俺たちが情報を作り出すことになる。証拠もなく」

 沈黙が落ちた。確かに「勝手に復元」すれば、改ざんと変わらない。

 「じゃあ、こうしよう」

 大夢がと提案する。

 「帳面は「元の状態を戻す」時だけ使う。その前に、まず現物を探す。に抜かれたカードが残っているはずだから」

 六人は二手に分かれ、図書館の隅々を捜索した。書庫の裏、返却台の下、古い雑誌の間。埃まみれの空気の中、奈緒子が最初に声を上げた。

 「見つけた!」

 古い段ボール箱の中に、厚紙の束が無造作に押し込まれていた。どれも郷土史や戦時記録に関するカードばかり。

 「どうして、こんなところに…」

 由依が眉を寄せた瞬間、背後の気配に気づいた。そこに立っていたのは、図書委員の上級生だった。

 「…そのカード、返してくれる?」

 薄暗い書庫の匂いの中で、上級生はと近づいてきた。図書委員長・白石先輩。整った字で「返却期限」をいつも書いている人だ。けれど今の彼女の声は、その字とは反対に少し震えていた。

 「…そのカード、返して。元の場所に戻すのは、待ってほしい」

 咲子が一歩前に出る。手帳を胸に抱え、声は柔らかい。

 「理由を聞かせてください。私たちは「直すため」に探しました。でも「直さないほうがいい理由」があるなら、並べて考えたい」

 白石先輩は一つ息を飲み、段ボールの角に視線を落とした。

 「郷土史の「戦時記録」って、名前が生々しく載ってるの。動員された工場、寄付をした家、当時の役員…。図書館は「記録」だから置くのが筋。でも、先週、閲覧席でその名前をスマホで撮って、SNSに流そうとしてた一年生がいてね」

 「噂になるのを、止めたかった」

 先輩の言葉は、言い訳にしないよう必死に削られていた。

 由依がうなずく。

 「感情はわかります。けど、カードを抜くのは「事実の道」を消すことにもなる。レポートを書けない子が出る」

 「じゃあ、どうすればいいの」

 白石先輩の目が、助けを求めるみたいに揺れる。

 大夢は、段ボールから一枚取り上げた。端がほつれ、インクが薄れている。

 「「道を閉じる」んじゃなく、「道標を増やす」。—第三案。索引カードは戻す。ただし「閲覧上の注記」を付ける。『氏名等の記載があります。引用・撮影はガイドに従ってください』。ガイドは図書館と生徒会とで作る」

 龍平は腕を組んだまま、低く付け加える。

 「それと、閲覧は「記録席」で。スマホは置き台に伏せて、必要なら司書立ち会い。撮影は原則不可、引用は写し取り。…面倒だが、「改変」も「拡散」もしにくくなる」

 奈緒子がカードの紙質を指で確かめる。

 「このカード、湿気で繊維が緩んでる。戻す前に「紙の体力」を直したい。—帳面、使っていい?」

 由依と咲子が頷く。

 「「事実」に触らず、「紙」だけを直す。ルールに合う」

 大夢は修繕帳を開き、文字を絞った。

 切り取った紙片を束の上に置く。薄い光が紙の中を流れるみたいに走り、ほつれが落ち着いた。角が立ち、読みやすさが戻る。

 白石先輩は、ほっと息をこぼした。

 「ありがとう…。でも、ガイドを作るのは一人じゃ無理」

 「だから、並べるんです」

 咲子は手帳を開き、5W1Hを書き付ける。

 卓哉が段取りを引き取る。

 「注記カードの見た目は、怖くならない程度に目立たせよう。イラストは「指差し注意」アイコン。談話スペースにも「歴史の話を安全にする小ネタ」貼っとく」

 「「面白さは最後」って覚えた?」

 由依が小声で突っつくと、卓哉は苦笑して頷いた。

 その日の夕方。図書館の長机でミニ会議。司書の倉本先生、生徒会の担当、白石先輩、リペアログの六人。

 「カードは戻します。代わりに「閲覧注記」と「記録席」を運用します」

 咲子が要点だけを示すと、倉本先生が即答した。

 「賛成。閲覧の導線は私が作る。生徒会は「校内ルール」に格上げしてね」

 生徒会役員が「了解」と頷き、白石先輩は深く頭を下げた。

 「勝手に抜いた分は、私が記録を書きます」

 段ボールの束は、その日のうちに木製の引き出しへ戻された。引き出しの手前には、新しい小さなカードが並ぶ。

 「止める」ではなく「導く」言葉。

 作業を終え、修繕室に引き上げる途中、裏庭の通路で大夢は立ち止まった。掲示板の端に、見慣れない小紙片。

 丸い書き癖の文字。七年前から続く誰かの「観察」の匂いがした。

 夜、ログをまとめる。

 ・目的:索引カードの「道」を回復

 ・手段:カードの紙繊維のみ補修/閲覧ガイド新設/記録席運用

 ・観察:閲覧トラブルの抑制/レポート作成の遅延解消

 ・次回:裏庭石碑の現地確認

 大夢は最後に一行足す。

 その隣に、赤い細字で短い注記。

 「見ている」のは誰だ。疑念より、背筋が伸びる。

 午前、記録席には三人の生徒が座った。由依は様子を見る。

 「引用用紙、便利だね」「スマホ使えないの、逆に集中できる」

 つぶやきに、白石先輩は肩の力を抜いた。

 「ありがとう」

 彼女はリペアログの掲示の前で足を止め、ペンを取る。

 感情の紙も、事実の紙も、同じ掲示板に並ぶ。

 放課後。六人は掟に新しい一行を加えた。

「注記で導く、禁止で塞がない」」

 咲子が読み上げ、奈緒子は「紙が元気だと、言葉も読みやすいね」と笑う。卓哉は談話スペース用の小ネタカードに「郷土史の豆知識」を描き、龍平は記録席の時計に新しい電池を入れた。

 最後に、大夢と由依は裏庭へ足を運んだ。古い楠の陰、雨に磨かれた石碑。寄付者名の列に、見覚えのある姓が混じる。

 「…元顧問の、家名」

 由依が小さくつぶやく。

 大夢は石肌に紙を当て、鉛筆で擦った。転写の文字が浮かぶ。過去は消えない。けれど、辿り方を間違えなければ、誰かを傷つけずに手に取れる。

 修繕室に戻ると、机の上の封筒にまた一枚、紙が差し込まれていた。

 遠い影が、輪郭を少しずつ増やする。

 大夢はチョークを取り、黒板に短く書く。

 「直さない勇気は、記録を消さない勇気と同じだ」

 粉が舞い、夏の空気が冷たくなった気がした。

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