第7話_放送室ジャック(未遂)

 期末テストが終わり、校内にようやく解放感が戻った七月下旬。廊下では文化祭に向けての準備や宣伝の話題が飛び交い、部活動の放送枠をどう使うかという相談が急増した。そんな中、修繕室に駆け込んできたのは卓哉だった。

 「なあ、放送室で「だけ」遊べないかな?」

 彼が机に広げたのは、文化祭のPR用に作ったチラシだった。派手さが足りず、このままでは注目を集めにくい。

 「放送で宣伝すれば、一発で全校に広まるんだよ。マイクの調整を「修繕」して、声を響かせるとかさ」

 「…放送室ジャック?」

 由依が眉を上げ、奈緒子が「それは面白そう!」と即答した。

 「いやいや、待って」

 咲子が冷静に遮った。

 「放送室は学校の公式設備よ。無断使用は説明がつかない。もし「修繕帳」でやったら、文化祭前に活動停止になる」

 「でも、「だけ」だろ?」

 龍平が口の端を上げる。悪戯心に乗りやすい彼は、場を見守りながらも半分面白がっている。

 大夢はチラシを手に取り、しばし眺めた。確かに派手さはないが、地道な宣伝で十分に伝わる内容だった。

 「…帳面を使うまでもない。けど、「第三案」を考える余地はあるな」

 「第三案?」

 「公式放送をジャックするんじゃなく、「公式のPR放送枠」を申請して、そこで遊び心を入れるんだ」

 由依が目を輝かせる。

 「それなら許可があるし、説明責任も果たせる!」

 「でも、派手さは?」と卓哉。

 「そこは工夫次第よ」咲子が笑みを浮かべた。「修繕帳じゃなく、私たち自身の手でやるの」

 六人は放課後、放送委員会に出向いた。卓哉が「文化祭PR放送の枠を使いたい」と頼むと、委員長は快諾。ただし条件があった。

 「必ず「委員が立ち会う」こと。それと「過度な加工は禁止」」

 その夜、修繕室は簡易スタジオになった。由依がナレーション原稿をまとめ、咲子がタイムスケジュールを作る。奈緒子は効果音をスマホで収録し、龍平は音量メーターを見ながら機材を調整。卓哉は「面白さ担当」として小芝居のセリフを練習し、大夢は全体の進行役を引き受けた。

 翌日の昼休み。放送室から流れたのは、文化祭の宣伝に見せかけた六人の掛け合いだった。

 「みなさん、今年の文化祭、桜丘高校は「直す文化」でいっぱいです!」

 「壊れた心も直せるかも?」

 「いや、それは直さないでしょ!」

 軽快なやり取りに、教室中が笑い声で包まれた。

 放送が終わると、校内の空気は一気に和んだ。修繕帳を使わずとも、自分たちの工夫で十分に「響く」ことが証明された瞬間だった。

 その日のログに、大夢はこう記した。

 昼休みの特別放送は、教室ごとに微妙な反応の差を生んだ。よく響いた教室では笑いが立ち上がり、旧棟に近い三階の教室では「なんか、声が遠かった」と肩をすくめる生徒が多かった。放課後、修繕室の机に回収したアンケート用紙が積まれる。

 「「放送、面白かったです。最後の『それは直さないでしょ!』が好き』。…「でも教室によって聞こえ方が違う」」

 由依が読み上げ、卓哉がうなずく。

 「そりゃそうだ、スピーカーの年式バラバラだし。…なあ、マイク側を「通りやすい声」に寄せるのはどうだ?」

 卓上の修繕帳に、卓哉の指が自然に伸びる。鉛筆の先が紙をなぞる軌跡を、大夢は指先で押さえた。

 「「どうしても」の最後尾、だろ」

 「だけど、「聞こえにくい」って意見は事実だ。文化祭PRの公平性にも関わる」

 卓哉の瞳には、悪ふざけよりも責任が勝っていた。だからこそ、危うい。

 由依が間に入る。

 「第三案。—放送室は触らない。触るなら「受け手側」。教室スピーカーの清掃と配線確認を「公開の手順」でやる」

 「手間、かかるぞ」

 龍平の現実的な声に、咲子が素早くスケジュール表をめくる。

 「一時間で三教室×三班。今日と明日で十八教室。配線図は用度係から借りる。報告は放送委員会と共有」

 奈緒子が理科準備室からブロワーと綿棒、接点復活剤を抱え込んできた。

 「見えない埃、音を鈍くするからね。あと、アンプのレベルは統一値に合わせる」

 作業は、放課後の教室を順繰りに巡ることから始まった。黒板の上の古いグリルは、思ったより埃を飲み込んでいる。龍平が椅子を押さえ、大夢がグリルを外し、奈緒子が綿棒でスピーカーの縁をなぞる。由依は分解前後の写真と時刻を記録し、卓哉は接点を軽く拭ってからテスト放送用の「アー、アー」を入れる。咲子は「作業報告カード」に教室番号と観察を書き込んだ。

 「三年B組、ノイズ減。二年C組、左チャネル断線疑い。—配線、後日要修」

 地味な繰り返しが続くうち、通路に小さな人だかりができた。放送委員の一年が興味津々に覗き込み、「これって、魔法?」と目を丸くする。

 「手と紙で直す魔法」

 卓哉が笑って返し、由依が「「説明できる魔法」ね」と付け足した。

 日没前、半数の教室が終わった。テスト放送を流すと、昼より一段くっきり音が走る。

 『—こちら放送委員会。明日の文化祭PRは昼休みです。誇張はしません、でも熱を込めます』

 廊下の空気が軽くなった。

 その夜、鍵を締めに行った大夢は、静かな放送室で息を呑んだ。机上の修繕帳の前に、紙片が一枚切り離され、ペン先が乾きかけている。

 貼付先はまだ空白だった。扉の向こう、窓枠の影から卓哉が顔を出す。

 「…悪い。貼る前に、止まった」

 声は小さく、逃げ道を自分で消している音があった。

 大夢は答えを先に置く。

 「ありがとう。止まってくれて」

 卓哉は自分で苦笑し、紙片を二つに折った。

 「「面白さは最後」。でも、焦ると順番を飛ばしそうになる」

 「飛ばしそうになったら、言え。俺らで順番を戻す」

 短いやり取りのあと、二人は紙片を「誤作成・未貼付」としてログに挟み、封をした。

 翌日。二限目と三限目の間、作業を終えた教室を中心に音の通りが揃っていった。昼休み、二回目のPR放送。

 「今年の桜丘文化祭、「直せること」と「直さないこと」を一緒に並べます」

 由依のアナウンスは、昨日よりはっきり届いた。教室ごとの笑いのタイミングが揃う。拍手は、音質ではなく、言葉の間で生まれる。

 放送終了後、放送委員長が修繕室を訪れた。

 「ありがとう。機材に「何かした」のかと思って正直怖かった。でも、教室側の清掃と配線見直しって聞いて、安心した」

 咲子が「公開報告」の紙を差し出す。目的/手順/観察/次の約束。委員長は目を通し、頷いた。

 「今日の記録、委員会のマニュアルに入れるよ」

 夕方、修繕帳に小さな印字が二つ増えた。

 欄外には、例の丸文字に近い走り書き。

 「誰か」の視線は、校内放送という公共の線に敏感だ。

 六人は掟の下に新しい一行を加えた。

 「言い換えると、「声を良くする魔法」じゃなくて、「耳の通り道を掃除」」

 由依が読み上げ、奈緒子が綿棒をひらひら振る。卓哉はおでこをかき、「次は最初から掃除に全振りする」と白旗を上げた。龍平は鼻で笑い、「その旗、たまに俺が畳む」と肩をすくめる。

 最後に、大夢は黒板の空いた余白へチョークを置いた。

 チョークの粉がぱらりと落ちる。次の回で、この掟をきちんと「見える場所」へ掲示しよう—そう決めて、六人は灯りを落とした。

 帰り際、放送室の窓ガラスに夕焼けが映り、校庭の風が小さな波紋を作る。紙片の封はそのまま、机の引き出しにしまわれた。未遂は未遂のまま、未来のための抑止力になる。


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