第50話 甦りの道を、西へ


 潮岬の壮大な夜明けを見届けた二人は、再び、国道42号線に戻った。次なる目的地は、熊野古道への入り口、那智勝浦だ。

 幸運にも、すぐに一台のワンボックスカーが停まってくれた。乗っていたのは、大阪から来たという、サーフィンが趣味だという若者たちのグループだった。車内は、陽気な音楽と、若者たちの笑い声で満ちている。

 「兄ちゃんら、ヒッチハイク? カッケーな! どこまで行くん?」

 「那智まで行きたいんです」

 「おお、那智の火祭り、見たことある? めっちゃヤバいで!」

 彼らの、底抜けに明るいエネルギーは、昨夜の静謐な雰囲気とは対照的だったが、それはそれで、心地よかった。シオンも、最初は少し戸惑っていたが、やがて、彼らの関西弁の軽妙なやりとりに、時折、クスリと笑うようになった。

 この旅は、本当に、様々な顔を見せてくれる。荘厳な神域もあれば、若者たちの陽気な喧騒もある。その全てが、この国の、紛れもない現実なのだ。


 那智勝浦で車を降り、二人は、熊野那智大社の、長い長い石段の前に立った。

 「…また、石段か」

 シオンが、うんざりしたように言った。

 「山寺よりは、マシだろ」

 彼は笑って、先に歩き出した。

 鬱蒼とした杉木立の中、苔むした石段を登っていく。空気が、だんだんと、神聖なものに変わっていくのが分かる。

 やがて、視界が開け、朱塗りの社殿と、その向こうに、日本一の落差を誇る、那智の滝が姿を現した。

 白い水しぶきを上げながら、絶壁をまっすぐに流れ落ちる、巨大な水の柱。その光景は、美しいというよりも、畏怖を覚えるほど、圧倒的だった。

 「…すげえ」

 シオンが、呆然と呟いた。

 彼は、この滝そのものが、ご神体なのだと直感した。人が作ったどんな社殿よりも、雄弁に、神の存在を物語っている。


 二人は、そこから、熊野古道・大門坂を歩き始めた。夫婦杉を抜け、苔むした石畳の道が、森の奥深くへと続いている。

 平安時代の衣装をまとった観光客の姿もちらほら見えるが、道行く人は少なく、辺りは静まり返っている。

 「…本当に、昔の人も、この道を歩いたんだな」

 シオンが、足元の石畳を、そっと撫でた。

 「上皇も、女院も、武士も、庶民も。みんな、それぞれの祈りを抱えて、この石を踏んで、熊野を目指したんだ」

 彼は、目を閉じ、耳を澄ませた。

 風の音に混じって、昔の旅人たちの、息遣いや、草鞋の音が聞こえてくるような気がした。絶望、希望、感謝、贖罪。あらゆる人間の感情が、この道には、幾重にも、幾重にも、染みついている。

 写真家の女性が言っていた、「甦りの道」。

 その意味が、少しだけ、分かった気がした。この道を歩くことは、過去の無数の人々の祈りの記憶と、自分の魂を、重ね合わせる行為なのだ。その果てに、人は、古い自分を捨て、新しい自分として、生まれ変わるのかもしれない。


 その日の夕方、二人は、古道沿いの小さな集落にある、民宿に宿を取った。

 縁側で、遠くの山々を眺めながら、彼はノートパソコンを開いた。そして、潮岬で見た星空と、那智の滝、そして、この古道を歩いて感じたことを、言葉にし始めた。

 隣で、シオンが、その画面を静かに覗き込んでいる。

 彼の言葉は、もう、彼一人のものではなかった。彼女と共有した景色、共有した感情が、彼の文章に、新たな深みと、温かみを与えていた。

 彼の旅は、そして彼の物語は、二人で歩む、この「甦りの道」の上で、確かに、新しい章へと、生まれ変わろうとしていた。西へ向かう道は、二人分の祈りを乗せて、さらに奥深く、続いていく。

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