第11話

  走って、走って、爆速の帰宅。急いでメイド服を脱がせ、セーラー服に替えさせる。それから町を出る準備をする。家に残ってるありったけの現金、3日分の着替え、お菓子のおやつをボストンバッグに詰める。


 クレジットやICカードは使えない、個人情報の履歴が残る。スマホは言わずもがな、電源を入れただけで逆探知される可能性がある。逃げてる途中に新しいスマホを買えたらいいけど。


 あくせくと着替えを畳んでる最中、アリアが静かに俺の背後に忍び寄り、どんと頭をのせてきた。鼻をぐじゅぐじゅすすってる音がする。


「グスッ……ごめんなさぁい、アリアががまぁんできなかったからぁ、みんなのまえでぶっころしちゃぁったからぁ……グスン」


 こうなった原因は自分にあると思って泣いてるらしい。確かにクラスのみんなの前で人殺ししたのはマズかった。言い逃れできやしない。一発アウト。


 だけどアリアを責めるつもりはない。俺だって悪い。伊藤の対処をアリアに任せっきりで、体を触られてるのを見てようやく怒った。俺にアリアくらいのパワーがあったら、その時点で殺してた。どっちもどっちだ。


「気にするなって。俺のために怒ってくれたんだろ? うれしいよ。ありがとうな」


「う、う〜」


「泣くのは後回し。早いとこ家を出て遠いところに行くぞ」


「どこにどこまでいくぅ?」


「そうだな……山形県に行かないか。おばあちゃんの故郷らしいし、ご飯はおいしいし、冬になれば雪が降るし。雪、見てみたいだろ?」


「ゆっきぃ?! すのぅ?! さわりたぃ、たべたべするぅ!」


「雪は雨の結晶だから汚いけどな。じゃあいったん秋田を目指そう」


「うゅ! やまがたやまもりやまがたさぁん!」


 アリアに元気が戻った。旅行にいくみたいにウキウキ。実際は殺人の逃避行なんだけれども。山形に着いたら、その後のことをじっくり考えよう。


 田舎で警察におびえながら暮らすか、海外まで行ってしまうか。パスポートは持ってないから密航になるけど。犯罪歴がどんどん積み上がっていきそうだ。


「いこぅ、やまがたぁ、はやくぅ」


「分かった分かった。よいしょっと」


 アリアに重いボストンバッグを持ってもらい、自分はハンドバッグを抱える。ナイフとおばあちゃんの手帳も忘れずに。準備OK。


 慣れ親しんだおばあちゃんの家。その面影がまぶたの裏に焼き付いている。白髪交じりのフワフワな髪、下がった目尻、高い鼻、口元のホクロ……アリアとは全然似てなかった。


 思い出の詰まった家を急に離れることになるなんて、寂しくないと言えばウソになる。だけど、思い出より大事なものがあるから。アリアのためだから。


「アリア、行こう」


「はいなぁ」


 おばあちゃん、俺、頑張るよ。ここを出てもアリアと生き続ける。新天地でもずっといっしょだから。しっかり靴紐を結んで、バッグを担ぎ、アリアと手をつないで玄関の扉を開ける……


 え?


『お、出てきた』


『ちょうどよかったな』


『君たち、ちょっといいかな?』


『屍喰女さんちの子だよね?』


『私らについてきてもらえる?』


 玄関の先で、5人の男たちが待ち構えていた。アリアほどではないが、みんな背が高くて体格がいい。みんな空色の帽子を被って紺色のベストを着る。帽子には桜の代紋、ベストには白文字で『POLICE』……


「アリア、ぶっ飛ばせ!」


「ちょっれぇぃぁ!」


 どっばごぉん


 俺が叫ぶと同時にアリアが飛び上がり、後ろ回り蹴り。男たちの胸に直撃。3人倒れ、2人耐えた。残った2人はアリアが頭を殴りつけ、気絶。その隙をついて玄関から飛び出し、アリアに抱っこして走ってもらう。


「どこいくぅ?」


「最寄り駅……いやダメだ、いったん反対側! 遠回りで行くぞ、こないだ屍喰いした隣町の裏路地、そっちの方に行け!」


「あぃさぁい」


 走るアリアの胸に頭を埋めながら、絶望的な現状を整理する。信じられないが、もう警察が動いている。いくら何でも早すぎる。


 俺たちが学校を出たタイミングでは、まだ通報されてなかった。そこから5分で家に帰って、10分で逃げる準備を済ませた。わずか15分。


 その短時間で現場に駆けつけて、クラスのみんなから事情聴取して、犯人を俺たちだと断定して、家に捜査員を派遣するなんて……


 いくら日本の警察が優秀だからといって、ありえない判断の早さ。最初から俺たちが人を殺したと知っていたみたいに……いったいどうして……


 いや、こんなこといくら考えてもしかたない。無意味だ。原因究明よりも、目の前の問題だ。俺たちは既に警察に追われている。主要な交通機関は張られているだろう。


 水卜市内の電車やバスはダメ、タクシーも危うい。車道は検問されてる可能性がある。車内で見つかったら逃げられない。しばらく徒歩で移動するしかない。


 早く水卜市から出ないと、安全な移動手段もルートもどんどん潰される。捕まるなんて絶対嫌だ、嫌だ。まだまだアリアといたいんだ。


「絶対逃がしてやるからな。幸せに暮らすんだ」


「んぁぉ、たよりにぃにしてるぅ」


 アリアはつむじ風のように町を駆けていく。見慣れた町並み。ビル、田んぼ、スーパー、ホームセンター……もう2度と戻ってこれない。俺たちは振り返ることなく、沙津町を出た。


 隣町、こないだ屍喰いで酔っ払いを殺した裏路地。そこに入って身を潜めようとして……急ブレーキ。警察官が2人、路地に入っていくのが見えた。


 慌てておばあちゃんの手帳を開き、次の屍喰いスポットを目指す。とにかく安全地帯に探さないと。アリアに指示してそっちに向かってもらった。


 だけど、向かう場所はことごとく警察に先回りされており、実に48カ所のスポット全てが潰されていた。アリアも水卜市じゅうを走り回り、いい加減息が上がっている。しかも警察に見つからないよう神経を使いながら。


 俺たちがようやく腰を下ろしたのは、隣の隣の隣町、こないだ不法外国人と戦った山の僻地だった。警察どころか人が1人もいない、あるのは前に埋めた6つの屍体だけ。


 もう日も落ちてしまっていたから、今日はここで休むことに。崩れたアパートの瓦礫を積み木のように積み上げ、ほら穴のような簡易的テントを作った。


 ぐぎゅる〜


 アリアの腹の虫が鳴る。1日走り通しだったから疲れてるはず。バッグからおやつを取り出して口に運んでやる。唇を震わせて歯をカチカチ鳴らし、もむもむと食べる。ハムスターみたい。


 かわいくてどんどん食べさせてやってると、もう半分なくなった。どこかで調達しないと保たない。お腹が満たされたアリアは大きなあくびを1つ、くるんと丸まって寝息を立て始めた。


 俺もアリアに寄りかかり、頭と体を休める。アリアほど動いてないが、ひどく気疲れした。警察の動きが速すぎるのが予想外だった。明日はロクな交通手段なしで水卜市を出ないといけない。アリアにも頑張ってもらわないと。


 アリアの黒髪をとかす。砂と塵がたくさんついてる。今日はお風呂に入れないから洗い流してやることもできない。できるだけ払ってやる。


「お休み、また明日」


「……ぁぃ」


 夜はどんどん更けていく。雲1つない空は星の明かりがよく見えるが、俺の心配はどうにも拭えないでいた。


 翌朝。アリアが起き上がったのに合わせて俺も目を覚ます。いつもは寝ぼすけなアリアが、まだ薄暗いうちに起きるのは本当に珍しい。


 眼の下にくまがうっすらできている。うまく眠れなかったみたい。今日こそ水卜市を出てベッドで寝かせてやりたい。


「さぁ頑張ろう。今日も頼むぞ」


「あっはぁ〜い〜ふぁ〜あんあん」


 俺たちは早速水卜市脱出のために出発。山の中腹を走って抜けていく。道中、乳児服を着て林間を徘徊する変態のおじさんを見つけたので、すれ違いざまに裏拳をお見舞い。首が折れてシんだ。そのまま走り去る。


 地上は警察がうろついているから、道なき道をゆく。あるときはビルの側面を走り、屋上に登って、ビルとビルをジャンプで飛び移る。何十mもある高さを、俺とバッグを抱えながら軽々飛び越えるアリア。


 だけど、二車線の道路を挟んだ反対側のビルに飛び移ろうとしたときはさすがに肝が冷えた。目下の車道はビュンビュン車が通る。歩道もちらほら人が歩いている。対岸のビルまで目測15m。冷たい風がほっぺをつついた。


 アリアが限界まで助走を取る。何度も深呼吸。脚にビキビキと力を溜める。本気でこの距離を飛ぼうとしてるアリアに、俺は恐る恐る声をかけた。


「ほ、本当に向こうまでジャンプできるか? 落ちたらシぬぞ? アリアは頑丈だから大丈夫かもしれないけど、俺は確実にシぬからな? そこんとこ分かってる?」


「わかるわかるわかってるぅ〜! ぴょ〜んととんでみせっちゃぁ〜!」


 すっかり乗り気になっちゃった。俺は腹をくくり、背中にしがみつく。アリアは脚に溜めた力を解放。勢いよく屋上を飛び出す。


「頼むぞ、アリア〜〜〜?!」


「ちゃったぁぁぁ〜〜〜い!」


 大ジャンプ。スローモーションみたいに周りがゆっくりに見える。雲が風に運ばれるのも、トラックが信号待ちで止まってるのも、2人の子どもがはしゃいで走っていくのも、ありありと目に焼き付いた。


 だんだん対岸のビルに近づいていく……が、その屋上にたどり着く前に、俺たちの体が重力に引き寄せられ、自由落下を始める。あとほんのちょっと、2mくらい届かない。


「ちょ、落ちる落ちる落ちるぅ?! アリア、腕伸ばせぇ!」


「ふんっぎょぁ!」


 アリアがぐ〜んと両腕を伸ばす。ビル屋上のフェンスになんとか指がかかった。ギリギリ、本当にギリギリ届いた。『足りないかも』と思った瞬間、生きた心地がしなかった。警察の目から逃れるのは大変だと思い知った。


 まだ道なき道は続く。またあるときは川を渡らないといけない状況になった。30mはあろうかという幅。水の勢いが強く、底は見えない深さ。


 アリアがバッグと俺を頭の上に乗せ、ざぶざぶと川に入っていく。川の真ん中はかなり深く、全く足がつかない。それでもアリアは器用に犬かきして泳ぐ。


「だ、大丈夫か? 顔の半分まで沈んでるけど、息継ぎできるか?」


がぼんったぶんばびびぼ〜ぶっだいじょ〜ぶびびべべっぼぼぶぶぅばばぁいきけっこうつづくからぼぼばばぶぼぼばべびぼ〜ぶっこのままむこうまでい〜こぅ


「あぁごめんごめん、無理してしゃべらなくていいから、泳ぐの集中してくれ」


ばばっばぼ〜わかったぉ〜


 流れに負けず力強く泳いでいき、すいすいと向こう岸に渡る。難なくたどり着いたが、アリアがびしょ濡れになった。犬みたいに体をぶるぶる振って水滴を払う。


「下着も濡れちゃったな、あっちの草原で着替えよう」


「う〜、ブラブラもおっパンティもぐちょぐちょ〜。ぬがしてぇ〜」


「分かった分かった、向こうでこっそり脱がしてやるから」


「むふぅ〜、なんだぁかえっちぃねぇ」


「何言ってんだこんなときに。早く着替えろ、風邪引くぞ」


「あぁん、いけずぅ」


 俺はたんたんとブラのホックを外し、パンツをずり下ろす。アリアの濡れた肢体が露わになる。いつもお風呂で見ているはずだが、日の当たる外で目にすると途端にエロスを感じる。


 濡れてまとまった黒髪、真っ白な背中を水滴が伝う。うなじからお尻の割れ目まで。背中からはみ出て見える乳房にたまらない情欲が湧き上がる。こちらを振り向く顔は実に艶っぽく、ついつい見惚れてしまう。


「しゃむぃよぉ〜、からだふきふきふきりんこしてぇ〜」


「お、おぉ、ごちそうさまです」


「ふぇ? なんでごち?」


「いや、いいから」


 タオル越しでも体に触れると、よりいっそう魅惑につられてしまう。俺は下半身に集まる血流に耐えかね、しっかり前かがみになりながら体を拭き、セーラー服を着替えさせてやった。


 こんな大変な思いを重ねながら、俺たちは隣の隣の隣の隣の隣……隣の町までどうにかこうにか進んできた。後は水卜市の外に続く一本橋を渡るだけ。脱出はもう目の前……


 だったのに、直前でアリアが脚を止め、物陰に隠れる。渋い顔をして口をすぼめる。何があったのかと頭だけ出して外をのぞき見ると……目を疑った。


 細い橋を埋め尽くすほどの警察の大群、目測200人。みんなヘルメットをかぶり、ゴーグルをつけ、分厚いチョッキを着て武装している。盾を構えているのもちらほら。パトカーをバリケードにして橋を封鎖している。厳重な警備、ネズミ1匹通る隙間もない。


「ウッソだろ……こんなのって……」


 俺は頭を抱えた。警察も本気だ。あれだけキツい道を通ったのに、脱出ルートがすっかりバレている。俺たちの目撃情報があったのか、完全に先回りされた。

どうする。引き返して他のルートを見つけるか、強行突破するか。


 俺はアリアの顔を見る。『どしたん?』と平気そうな顔をしているが、肌の透明感が乏しい。髪もバサバサで、目やにもついている。猫背になって姿勢が悪く、かすかに呼吸も荒い。疲労が溜まっているのだ。


 ここまでの道のりで相当無理をさせた。これ以上水卜市を走り回るのは得策ではない。無駄に体力を失った上に、脱出ルートまで余計に潰される可能性がある。


 このまま逃げ回ってもジリ貧で、どんどん包囲網が狭まっていって、ついには1つも逃げ場なく取り押さえられるのが最悪のパターン。だったら今ここで勝負に出た方が……アリアの実力を信じて……だけど……


 俺は悩んだ。どんな道を選んでも、結局アリアに無理をさせてしまう。俺は偉そうに指示するだけで何もできない。できるだけアリアの負担を減らしてやりたいが、もうそんな道は残ってない……ちくしょう……


「でぇじょぉぶだぁ、あれもこれもそれもアリちゃんマンがなんとかぁしてくれるねぇ」


 大きな手が俺の頭をポンポンと叩く。見上げると、アリアがにへらと笑ってる。『こんなの大したことない』とでも言うように。


「あのはしぬけりゃぁええんでっしゃろ? ほんならぬこまいけぇ、あいつらみぃ〜んなぶっとばしてぇさぁ」


 アリアがゴキゴキと拳を鳴らし、目の前の警察をにらむ。本気でやる気なのが伝わってくる。こそこそ逃げ回るのは終わり、正々堂々正面突破するつもりだ。


「いけるのか? 200人だぞ? この前の120人より多いし、みんな武装してるんだぞ? あの強かった外国人が山ほどいるみたいなもんだぞ?」


「およよ〜およよ〜、そんりゃあたのちみぃなこってぇ。いままでぇでいっちばぁんわくわくすりゅしぐるいになりそぅねぇ」


 屍喰しぐるい。そう言われて失笑する。そうか、アリアにとってはこれも屍喰いのうちか。いつだって捕食者の立場だった。今もこれからも変わらない。餌が武装したところで本質はいっしょだ。


「分かったよ。最強で最高の屍喰いをやり遂げよう。終わったらうんとご褒美をやるからな」


「うんとぉ?! ごほ〜びぃ?! なにそれなぁにぃそれぇ!」


「いいよ、俺にできることなら何でも。俺の全部をあげちゃうから」


「なん……でぃも……あげ……ちゃぅ……」


 紅い瞳の瞳孔が割れる。黒いものがにじみ出て、紅を十字に割いていく。


「あげぅ、あげぇ、まじぃ? え、くそぉ、ほんとぅにぃ、そんなのぉ、アリちゃんマンんんん、がまぁんできぃなくぅなっちゃったったぅんよぉぉぉぁぁぁ!」


 アリアの全身がわななく。筋肉がバキバキと盛り上がり、髪の毛が逆立ち、口がほっぺまで裂ける。別の生き物に進化する、そんな錯覚が起きるほどの高ぶり。熱い空気が辺りを満たした。


「ふしゅぅ、ぶっしゅぅぅぅ〜……や、やっくそくねぇ。あいつらぁみぃ〜んなぶっつぶしぃたらぁ、ねぇ、ぜんぶ、ぜぇ〜んぶちょぉだいねぇ」


「もちろん。愛してるよ」


 俺は身震いするアリアの顔にそっと手を添え、優しくキスをした。『全部あげる』ことをここに誓う。いつでもどこでもどんなときも、アリアを信じて突き進むだけだ。


「んっむぅぅぅ! アリアッ、アリアもっ、あいしとぉる! あいしとぉよぉぉぉ!」


「じゃあ、行こう。俺たちの未来のために、邪魔なあいつらを殺すんだ。いいな?」


「いぃぃぃよぉぉぉぁぁぁ!」


「Go,アリア。ショータイムだ」


「ホ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


 最大の雄叫びとともに、アリアが橋の警察目がけて吹き飛んでいった。

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