第3話

 金曜日、屍喰しぐるいの日。早めにお風呂まで済ませて寝付く。深夜2時、セーラー服に着替えたアリアに起こされる。


「いこ、しぐるい」


「そうだな、行こう。お片付けセット持ったか?」


「もたよ〜」


「OK、なら出発だ」


 俺もパジャマからパーカーに着替えて外に出る。夜空には三日月が輝き、沙津さづ町を薄く照らしている。空気がひんやりとして肌に染みる。寝ぼけた頭がどんどん冴える。足元に気をつけながら夜道を進んだ。


 30分ほど歩いて、隣町に到着。華金ということもあって駅前はほどほどに賑やか。居酒屋の明かりがちらほら見え、行き交う人は酒気を帯びている。ここらで今夜の屍喰いの相手を決める。


 辺りに気を配っていると、ひどく泥酔したサラリーマンが千鳥足で歩いてきた。


『ヒック、課長のクソ野郎がよぉ! ヒック、仕事ができりゃあ何でも許されんのかよぉ! ヒック、問屋が卸しても俺が卸さねぇぞっ、てぇなぁ、なぁ?! ヒック』


 男は電柱に何やら叫んでいる。ちょうどいい、今夜はアレにしよう。フードを深くかぶってこっそり近づき、話しかける。


「お兄さんお兄さん、ご機嫌ですね」


『あぁ?! ヒック、俺ぁいっつもご機嫌だよぉ、ヒック、課長のバカ野郎がいなけりゃなぁ! ヒック』


「どうです? まだ飲み足りないんじゃありません? いいとこ知ってるんですよ、行きましょうよ」


『でもよぉ、ヒック、俺ぁ給料日前だからよぉ、ヒック、そんなに金持ってねぇぞぉ、ヒック』


「大丈夫です、俺がおごりますから。ささ、行きましょ」


『なぁにぃ?! ヒック、おごってくれるだぁ?! ウソじゃねぇよなぁ?! ヒック、よっしゃあ、どこへでもついてっちゃる! 飲むぞぉ〜! ヒック』


 俺は男を連れて、人気のない路地裏へ入り込む。月明かりもほとんど通らない暗さの中、迷路のようにグルグルと入り組んだ小道を抜けると、三方を壁に囲まれた行き止まりに行き着いた。10畳くらいのスペース。


『んぁ? ヒック、クセェ道を通ってきたかと思えば、ヒック、行き止まりじゃねぇかぁ、ヒック、道間違えてるぞ、ヒック、店がねぇぞぉ!』


「いや、ここであってますよ。ここがあなたの終点なんです。人生のね」


『はぁ? ヒック、何言ってやがんだ?』


「俺は案内人です、役目はここまで。ここからは交代なので」


 俺は身を引く。入れ違いにセーラー服の女が男の前に立ちはだかる。月明かりを受けて黒髪はきらめき、白い肌は光を反射し、赤い瞳は星のように瞬いている。準備は整った。


「アリア」


「うぃ」


「ヤッちゃって」


「うぃ〜」


 ズンズン、アリアが男に近寄る。男はアリアの体格のよさに驚いて後ずさるが、ここは行き止まり、すぐに逃げ場がなくなる。


『な、何なんだよお前? なんでこっちに……』

「だぁ」

 

 アリアが丸太のような脚をギチギチと折りたたんでから、一息に射出。刺突のような蹴りが男のみぞおちに炸裂。


『が……ぁ……』


 体がくの字に曲がって崩れ落ちる。浅い呼吸を繰り返し、口から血を吐く。多分内蔵が破裂した。ひ臓か肝臓か、その辺り。


 アリアは足元に転がる男をポンと蹴る。壁にぶつかって跳ね返ってくる。そこを蹴り返す。跳ね返る。蹴る蹴る蹴る蹴る………サッカー少年の壁あて練習のよう。


 男の体がぐちゃぐちゃにねじれたころ、蹴るのを止める。男の息は絶え絶え、全身に血がにじみ、白目をむいている。命の灯火が消えかかっている。


 アリアは男の体をゴロンとひっくり返し、股を開かせる。脚を180°開脚し、天に掲げる。月に向かってニヤリ微笑んだあと、股の付け根目がけて思い切りかかとを振り下ろす。


「ありゃあぁぁぁ!」


 ギロチンのような足刀。ごちゅん、と鈍い音。玉が割れたのだ。想像を絶する痛み、哀れ。男は泡を吹き、体を震わせ、糸が切れたように動かなくなった。


 こうして人間1人がシんだ。俺たちが殺した。何とも思わない。


「フ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


 アリアの雄叫びが闇夜をつんざく。人間がシんだのを目の当たりにして、テンションが最高潮。


「あんまりうるさくするなよ、外に聞こえる」


「ハァ〜、ハァ〜……うひっ、うひゃあぁぁぁ!」


「アリア」


「フッ、フッ、う〜」


 アリアをいったん落ち着かせる。だけど、屍喰いはこれで終わりじゃない。むしろ始まり。俺はさっきまで俺と同じ生き物だったもの、男の屍体に向き直る。


 シャツの上から体を触る。中肉中背、皮下脂肪多そう、胃腸も荒れてそうだが……脳と心臓くらいなら問題ないだろう。


「アリア、お腹空いてるか?」


「ぺこりん〜」


「そうか。じゃあコレ、喰べていいぞ」


「いぃ〜?」


「いいよ。皮に近いところはばっちいから残すんだぞ」


「ったぁ〜」


 アリアが屍体に近づき、合掌。いただきます。まずは頭を握り、地面に叩きつける。何度も何度も。やがて頭蓋に亀裂が走る。そこに指をかけ、メリメリと引き破る。


 こんなに簡単に壊れるものなのかと驚かされるが、類まれなパワーによるものだと納得する。中からデロンと脳みそが垂れてきた。ピンク色の白子みたい。アリアの手のひらに収まる。


「の〜みそ! みそにぃ! 喰べる?」


「俺はいいよ。喰べな」


「うぶぅ〜」


 口をつけてずぞぞぞと吸引。シワが解けるように口の中に吸い込まれ、ごっくんと一飲み。ほっぺに手を当てて、ペロリ舌なめずり。その恍惚とした表情に、俺はついついのどを鳴らす。


 次は心臓をえぐる。屍体のワイシャツを脱がし、毛の濃い胸元に爪を突き立てる。ビリビリ皮を引きはがし、血が飛び散る。アリアは顔まで血まみれになるが、全然気にしない。


 筋肉が見えたら、胸骨をグーパンで砕いてから、両手で穴を掘るようにえぐっていく。10cmほど掘ったところで、心臓につながる太い動脈と静脈が見えてくる。爪で血管をちぎり、心臓をブチブチと取り出す。


「ひょ〜、ひょ〜!」


 顔を真っ赤にして歓声を上げる。宝物を見つけたようにはしゃぐ。心臓は人間臓器1番の芸術品。眠っているときでさえ休みを知らない。シんでようやく止まることを許される生ける宝石。アリアの手の中で丸く収まる。飲んだくれの酔っ払いでも、心はかくも美しい。


「こころだよ、こころ! いる?」


「いいってば。全部アリアのだ」


「喰べちゃう? いぃ?」


「どうぞ」


 アリアはニカッと笑って、思い切りかぶりつく。ぐにゅっと歯がめり込む。ものすごい弾力。なかなか噛みちぎれない。歯ですり潰すようにしてなんとか亀裂を作り、ちぎりとる。


 ブシュッと血が噴き出すが、あますことなく飲み干す。しなしなになった心臓を、はむはむとしっかり噛んで飲み込んでいく。人間の最高臓器、脳と心臓があっという間に喰べられてしまった。


「んま~、んまま~い!」


「どうだ、満足したか?」


「う~、まだ! もうちょいたべる!」


「だったら肺か肝臓辺りの肉がいい。消化管に近いところ、胃腸は匂いがキツくて食用に向かない。肝臓もアルコールでダメになってるかもしれないから、ほどほどにな」


「あぃ~」


 アリアは俺の助言通り、心臓の穴を大きく広げて、肺回りの肉をちぎっては口に運ぶ。幼い子どもが砂場で遊ぶような無邪気さ。見ていて心が洗われる。満足するまでそばで見守る。


 コレが屍喰い、アリアが人を殺して喰べることである。より正確には不足するタンパク質を摂取している。アリアは脳に病気を抱えているらしいが、他にも生まれつきの疾患がある。


 『蛋白乖離症たんぱくかいりしょう』という体質だ。肝臓機能障害で、タンパク質を体内に貯めておけない。尿や排せつ物に混じって流失してしまう。


 そのため高タンパクの食材を定期的に摂取する必要がある。豆、卵、魚、肉……いろいろ候補はあったが、1番適合したのが人肉だった。一口喰らうだけでまる1日生きていける。満腹するまで喰らえば1週間もつ。だからアリアは赤ん坊のころから週1回のペースで人間の屍体を喰べている。


 この体質に最初に気付いたのはおばあちゃんだった。人肉を欲しがる孫のために、毎週どこからか屍体を仕入れて喰べさせてくれた。


 毎週金曜日になると、黙って家を出て、いつのまにか返ってくる。その手には白い小包をもっていて、中に人肉が入っていた。水卜市のどこかで人を殺して解体し、おいしいところを取り出しているらしい。


 喰べやすいように、小さく刻んで普通の料理に混ぜたりして。煮物とか。多分、俺も知らないうちに喰べたことがあると思う。


 俺が屍喰いを知ったのは、小学校1年生のころ。毎週金曜日は特別なお肉を喰べる日になってたのを不思議に思って、何度もしつこくおばあちゃんに理由を尋ねた。そしたら教えてくれた。


「アリアちゃんは病気だから、人のお肉を喰べなきゃいけないんだよ。いっしょに助けてあげようね」


 カニバリズムの歴史も延々と話してくれた。当時の俺は純粋だったから、『世の中にそういう病気が広まっていて、人肉を喰べるのも普通のことらしい』と理解した。実際中学校までその認識だった。


 だけど、周りの人間と話し合ったり、スマホを手に入れてニュースを読んだりしているうちに、これがアリア特有のものであることに気付いた。


 ちょっと動揺した。人を殺して喰べるのは重罪らしい。頼りにしていたおばあちゃんも突然いなくなった。アリアはわんわん泣いている。どうする。アリアは人を喰えなくなってシぬ。俺は今まで屍喰いを黙っていたとして警察に捕まる……


「嫌だ、そんなの。アリアは俺が守る」


 それからは俺が屍喰いを主導している。おばあちゃんが人を殺していたときに、要点をまとめていた手帳を見つけたから、それを参考にして計画を練っている。


 手帳には水卜市の殺しポイントがまとめられていた。どこかの路地裏、河川敷、公園、下水道、山小屋……48カ所。殺した後の片付け方も場所ごとに記録されていた。


 この路地裏もその1つ。バブル時代に乱立した雑居ビルの間にできたスペースで、今では人っ子1人近づかない。大声を出しても誰も気付かない。


 思う存分喰い散らかすアリアの背中を見つめながら、こまめに時間を確認する。今日の日の出は5時16分。空が白んでくる前に全ての片付けを済ませ、家に帰らないと。


 やがてアリアが喰べるのに飽きて、ただ屍体をおもちゃにしてぐちゃぐちゃにちぎり出したら、満腹のサイン。1週間分のタンパク質を摂取できた。


 午前3時30分ごろ。片付けに30分、家にまでの道のりが30分と考えれば、いいころ合い。アリアの肩を強く叩く。


「アリア、アリア」


「ばぁ~ん、どびゃ~ん」


「ア・リ・ア~」


「あぃ?」


「もうお腹いっぱいだろ? 片付けするぞ。準備して」


「う、う~」


「駄々こねないの。早く」


「あぁいぃ~」


 アリアに持ってこさせたボストンバッグを引き寄せる。中からタオルを取り出し、アリアの手と顔を拭く。こびりついた血肉を落とす。家に帰ってからもう一度お風呂に入るから、ここではサッと拭き取るだけ。


 それから服を着替えさせる。セーラー服が血まみれで赤黒く変色してるから、タオルといっしょにポリ袋に詰めて捨てる。替えのセーラー服は支援制度でたくさん届くから、ここで新しいのに着替えさせても問題無し。


 あらかた血が落ちたら、軍手を装着。ポリ袋をたくさん出す。次は屍体を解体する。


「アリア、ほどよくちぎって。バレーボール大くらいに」


「うんぉ~、おぉぉぉ~~~っいっしょぉ」


 屍体の潰れた頭を抱えて、力を込めて引き抜く。首から背骨にかけてバキボキと抜けた。それをなるべく小さく丸めてからポリ袋へ。こういうときにアリアのパワーは便利。普通の解体なら出刃包丁とドリルくらいは必要になるから、その手間がかからないのは助かる。


 こんな感じで小分けにしていく。アリアが小さくまとめて、俺が袋に詰める。それを繰り返して、20個ほどの袋の山ができた。それぞれの袋の口をしばる前に、とあるものをいっしょに入れる。それは……


「テッテレ~、ホームセンターで買った園芸用肥料と塩素系漂白剤~」


「うぉぅ~」



 これらを袋にめいっぱい入れる。肥料に含まれる石灰の成分が、屍体の水分を吸収して白骨化を促進する。漂白剤はタンパク質を分解する働きがあるから、肉をドロドロのボロボロにしてくれる。これで身元が分からなくなる。


 袋詰めが終わったら、路地裏をちょっと出たところにあるマンホールへ。マンホールのフタは約60kg。普通の人間なら開けてみようと思わない。ここがちょうどいいゴミ捨て場になる。


 アリアにちょいとフタを開けてもらう。中は底が見えないくらい真っ暗で、かすかによどんだ水の臭いがする。


 この奥は地下水路になっていて、道の排水溝とつながっている。大雨の日には水路が下水であふれ、どんなものでも押し流される。ここに捨てれば、雨が降った日には自動的にどこか遠くへ運ばれるというわけ。


 途中で袋が破れて中が漏れても、そのころには肥料と漂白剤の力で、ただのクズ肉になってる。誰かが見てもバレるはずがない。


 袋をマンホール下へポイポイ投げ捨て、フタを閉じる。あとは現場に戻って血溜まりを軽くペットボトルの水で流せば、片付け完了。


 一見するとここで人殺しの人喰いがあったとは分からない。そもそも誰も近寄らないが。警察に通報されることもないはず、一安心。


 全部おばあちゃんの手帳に載ってた方法だ。今こそアリアと2人でやっているが、それでもそれなりに体力を使う。昔は全部おばあちゃんが1人でやってたんだ。どれだけ大変だったかがうかがえる。孫を思いやる愛情のたまもの。頭が下がる思い。


 今夜の屍喰いはこれで終了。さっさと路地裏を後にして、帰路につく。こうやって毎週金曜日、こそこそと人を殺しては喰べている。


 誰かにバレたら終わり。殺人、死体遺棄、人喰い……は何の罪だろう? 損壊? まぁシ刑は免れないはず。そんなのゴメンだ。こっちだって生きるために必シなんだ、やらないとアリアがシぬんだから。それくらいならその他大勢がシんだ方が100億倍マシ。


 俺はずっとずっとこの先も、屍喰いを完遂させてみせる。おばあちゃんの手帳に従って、この水卜市で、アリアと暮らしていく。俺ならできる。やらないといけない。


 アリアの横顔を見る。月明かりに照らされて、美しく輝いている。紅い瞳が燃えるように光っている。この世の何より価値あるもの。これを守り抜く。邪魔するなら、神様だって殺して喰べてやる。


 おばあちゃんの手帳をギュッと握り締めた。

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