第2話
帰宅。玄関前に大きな段ボールが置いてあった。差出人は
「支給品きてるじゃん。アリア、中に運んで~」
「あぃ~」
俺たちは2人暮らしだから、収入が無い。このままでは生活ができない。だから中学校からは市の制度に頼った。
『自立支援制度』なるものがちょうど実施されていて、働くことのできない世帯の生活を支援してくれる。
生活費が振り込まれたり、こうして定期的に支給品を配達してくれるのだ。この制度が無ければ俺たちは生きていけなかった。市には本当に感謝している。
段ボールを開封。中身は1ヶ月分の消耗品。レトルト食品、米、缶詰、水のペットボトル、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、洗濯洗剤、ボディソープ、シャンプー、タオル、ハンカチ、下着、制服の替え……
「サバ缶はそろそろ食べないとな、前のが溜まってる。洗濯洗剤はありがたい、切らしてたんだ。他にボディソープ、シャンプー……制服の替えはありがたい。よく汚すからな。とにかくご飯にしよう。準備するから待っててくれ」
支給品を冷蔵庫やクローゼットに丁寧にしまってから、晩ご飯の準備。といっても、米を炊飯器で炊くだけ。あとはレトルトで済ませる。
おばあちゃんが使ってた炊飯器は一升炊ける。俺の10倍食べるアリアでも安心。米びつから計量カップで10回すくって、炊飯器の内がまでしっかり研ぐ。
研ぎが甘いと米の触感が悪くなるから、入念に。アリアは俺の肩にアゴを乗せて、プゥプゥ鼻を鳴らす。『手伝うことある?』のサイン。
「大丈夫だから、部屋で休んでな」
と言っても聞きやしない。体をピッタリ寄せてくる。正直邪魔。体温が高くて熱いし。でもちょっと嬉しい。肩をすぼめて少しずつ研ぐ。
炊飯器のスイッチを押したら、炊きあがるまで宿題。台所のテーブルで膝を突き合わせる。俺は数学、英語、理科のテキストを黙々とやっていく。
アリアは『学校の地図を描いてみよう』の宿題。鉛筆とクレヨンでガリガリ描いていく。途中何本も折って、『もうや~めた』するアリアの頭をペシペシはたき、なんとかテーブルにつかせる。
「ご飯まで後少しだから、がんばれ」
と励ます。しかし炊飯器の残り時間が10分を示すころから、炊飯器の前でかじりついて待っている。忠犬ハチ公みたい。
俺もカレーとハンバーグを温めないといけないから、やれやれと言いつつ宿題を止める。50分で全ての勉強を終わらせないといけない(自分も、アリアも)のがつらいところ。
ピーピロピー、ピーピロピーと米が炊ける。炊飯器ごとかじりつきそうなアリアのシャツを引っ張って止めながら、カレーとハンバーグを湯煎する。
温めきったら、米をよそう。アリア用の茶碗……というか桶は、戸棚の1番下に入ってる。酢飯を作る用の桶だが、9合は食べるんだからこれじゃないといけない。
炊飯器をひっくり返して桶に広げる。炊き立ての湯気をあますことなく吸い込むアリア。幸せそうな顔。米の上にカレーとハンバーグをぶちまける。カレーは8人前、ハンバーグは6人前。それ以上は備蓄がなかった。俺の分も1個ずつ必要だし。
湖みたいなカレーをドカンとテーブルに置き、紅い瞳を輝かせる。俺の分も一応よそってから、いただきます。
アリアは箸もうまく使えない。今日はカレーだからいいが、普段からスプーンとフォークで食べている。たまに菜箸で練習させるが、面倒らしい。箸が使えないと将来困りそうなんだけど……高級な料亭で食べるときとか……まぁいいか。
「おいしいな、アリア」
「ほいひ~」
アリアは俺の拳ほどあるスプーンを使う。一口が本当に大きい。俺の生首が入りそうなくらいガバッと開けて、ぱく、ごっくん。大量のカレーが瞬く間に消えていく。昼あれだけ食べたのに、いったいどこに入っているのか。
俺が食べ終わるより早く、米一粒残さず食べ終わる。俺のカレーをじっと見つめたあと、ブルブルと頭を振る。まだ食べたりないらしい。恐ろしい。俺は自分のカレーをスプーンでひとすくいし、アリアの顔の前に持っていく。
「ほら、あ~ん」
「わぁ~い」
ガキッ、ガキンと金属音。
「あぁ~?! またスプーンかじって壊した! ペッしなさい、ペッ!」
「ぷぇ~ごめんちゃぁい~」
アリアの口からチャリ、チャリンとスプーンの破片がこぼれ落ちる。アリアはアゴの力もすごい。金属製の食器は噛み砕いてしまう。歯も頑丈で、全く歯こぼれしない。虫歯もないピッカピカ。
アリアの食器は木製の漆器を使っている。それでも月に1回は折れて買い替えるけれど。替えのスプーンで慎重にあ~んしてやった。
食べ終わったら、食器の汚れをキッチンペーパーで軽く拭いてから、洗剤をつけて洗い流す。俺がゴシゴシ水で流したのを、アリアがふきんでキレイに拭く。
手が大きくて握力が強いから、しっかり水分を拭き取ってくれて助かる。力を入れ過ぎて皿を割らないようにだけ注意。
食器洗いまで終わったら、次はお風呂。小学校に入る前からずっといっしょに入ってる。おばあちゃんといっしょに入ってたときの名残で、浴室のあちこちに手すりがついている。
洗面所で全ての服を脱ぎ去り、洗濯カゴへポイ。アリアは何度言ってもシャツを裏返しにしない。ポケットにティッシュやらキレイな石やらが入っていたりするし。手間がかかる子。
ブラジャーもホックが難しいとかで俺につけ外しさせている。体は柔らかいんだから背中まで手が届くだろうに、『いつまでも俺に甘えてちゃいけないんだぞ?』と思いつつホックを外す。
どたぷん、と確かな重力を目の当たりにする。男の本能に回帰する乳房がたわわに実っている。しかし俺は紳士、姉弟同然に育った仲。今さら裸を見たところでどうも思わない。一応、本当に一応前かがみになって浴室へ入る。
アリアを風呂イスに座らせ、頭を洗ってやる。しっかり指を立てて頭皮の汚れを落とす。アリアは高校に入ってからシャンプーハットなしでも平気になった。成長を感じられる。
「や~や~」
「じっとしろ。髪が長いから洗うのが大変なんだ」
「きる~やぁからぜんぶきる~」
「坊主にするのか? せっかくおばあちゃんがキレイだって褒めてくれた髪を? 俺はそれでもいいけどな」
「う、う~」
おばあちゃんの名前を出してアリアを大人しくさせる。おばあちゃんはことあるごとに俺たちのことを褒めてくれた。アリアは髪がキレイ、瞳がステキ、いっぱい食べられてえらい……
俺は小さいのに面倒見がよくてえらい、こっちがお兄ちゃんみたい……うれしかった。どこに行ったんだろう。また会いたい。
じっくり髪を流したら、次は背中。俺より縦にも横にも俺よりずっと広い。筋肉と骨のたくましさを感じる。だけどゴツゴツしてない。肌はしっとり滑らか。できものひとつ、シミひとつない。ハンドタオルでこすると、あまりにツルツルで滑ってしまいそう。
「つぎやる~」
「ん? 俺の背中も流してくれるのか? じゃあお願いしようかな」
攻守交代。俺がイスに座って背中を預ける。汚くないかな、汗もとかないかな、なんて心配していたのもつかの間、岩みたいにゴツイ拳が背中にのっかり、ズリズリと皮膚をこき下ろす。
「よっせ、よっせ」
「いっでぇ?! 力入りすぎだって! もっと優しく、壊れ物に触るみたいに!」
「う~、ごめんちゃぁい」
アリアのパワーは便利だけど危険。俺が近くで注意してやらないと、いつかとんでもないものを壊すかもしれない。まっさきに俺が壊れるかもしれないけど。背中にヒリヒリとした痛みを感じながら思った。
体を洗い終わったら、アリアを先に浴槽に入れる。小さいころはいっしょに入っていたが、成長するにつれて浴槽が窮屈になった。今やアリア1人でお湯があふれるくらい。しっかり肩まで浸からせて、30数える。
「い〜〜〜ち、に〜〜〜い、さ〜〜〜ん……」
「やぁ~」
「コラ! まだ早いぞ!」
「あつい~やぁだ~」
「おばあちゃんも30数えなさいって言ってたろ、ちゃんと入るんだ」
「ばぁば、いないもん、もう」
「今この瞬間に帰ってくるかもしれないだろ。いいから入れ」
「う~」
熱いのを嫌がるアリアをなんとか押さえつけ、20までは浸からせる。妥協。その次は俺が入る番。足の先からゆっくり浸かり、肩まで深く沈む。1日の疲れが溶けだすような心地よさ。ずっと入っていられる……
だけど、アリアが急かしてくる。浴槽のフチで頬杖をつき、指をトントン叩き、ジト目でにらんでくる。『早く出たい』のサイン。
「俺はゆっくりしたいんだ。もう少し入らせろ」
視線を無視して浴槽に居座る。
5分後、アリアが辺りをキョロキョロ見渡す。暇潰しになるものを探している。たいていボディソープでシャボン玉を作って遊ぶ。
10分後、アリアがシャボン玉に飽きる。浴槽に戻ってきてゴツゴツ頭突きしてくる。手でしっかりガード。それでも多少痛い。
15分後、アリアが貧乏ゆすりを始める。地響きがするくらい足を踏みならす。
歯ぎしりの音も追加される。天変地異みたいな揺れが起きる。
ここらが限界、俺はため息をついて浴槽から出る。20分もすればアリアの我慢が限界を突破し、風呂場で暴れ始める。せっかくおばあちゃんが残してくれた家を壊したくない。軽く体の水滴を払ってから、洗面所に戻る。
しっかりバスタオルで頭を身体を拭いてから、ドライヤー。もちろんアリアの髪は俺が乾かしてやる。頭皮から髪の先まで念入りに。
せっかくのキューティクルが失われないように、かつ乾かしすぎでダメージを与えないように。美容師のような気の配り方。一方、本人は大きなあくびを1つ。まぶたを閉じてうつらうつら眠そうにする。
「ったく、こっちの気も知らないで」
なるべく早く乾かしてやった。
お風呂も終われば、いよいよ就寝。お気に入りのパジャマを着て、ダブルサイズのベッドが置かれた寝室へ。
ここは元々おばあちゃんの部屋だった。俺たちをベッドで寝かしつけたあと、自分は床に布団を敷いて寝る。子守歌もよく歌ってくれた。思い出して、ちょっと目頭が熱くなる。
アリアがベッドにダイブ。ズシン、とマットレスが揺れる。布団をくるくる被って丸まる。巨大なカタツムリができた。にゅっと手が生えてきて、来い来いと手招きする。
本当は少し残った宿題をやりたいのだが、ついつい誘いにのってしまう。俺がベッドに足を乗せた途端、カタツムリがガバッと解けて覆いかぶさってくる。
体をからめ取られて、ねじりはちまきのように抱き合う(勝手に)。お風呂上りで熱いはずだが、アリアは満面の笑みで俺を放さない。そのまま倒れ込むように寝入る。
「熱いよ、ちょっと離れないか?」
「う~、くっつくの、や?」
「やじゃない、けど……」
「でしょ! ぎゅ~!」
「いでででぇ?! 背骨が折れるッ、バキボキいってるってぇ~!」
フンスカ鼻息荒いアリアを落ち着かせるために、おばあちゃんがよく歌ってくれた子守歌、『蛍の光』を口ずさむ。
「ほたるのひかり……♪ まどのゆき……♪ ふみよむつきひ……♪ かさねつつ……♪ いつしかとしも……♪ すぎのとを……♪ あけてぞけさは……♪ わかれゆく……♪」
アリアも俺にならって口ずさみながら、だんだん声が小さくなり、まぶたが下りてくる。呼吸が深くゆっくりになり、さらに体を小さく丸める。
3番まで歌い終わるころには、フシュウ、フシュウと寝息を立てる。俺は顔をアリアの方に寄せる。コツンとおでこをくっつけ、おやすみの挨拶。
「おやすみ、また明日」
するとアリアの口角がニマッと上がった……気がする。やがて俺も眠気に身を任せる。
こうして俺たちの1日は終わる。アリアのお世話をするのは大変だけど楽しい。猛獣を飼ってたらこんな感じなんだろうなって思う。
同じように週7日のうちの6日が過ぎる。あと1日、毎週金曜日だけは少し違う。これに深夜のメニューが加わる。
2人で夜の町に繰り出し、あぶれた人間を人気の無いところに誘い込み、ヤッてしまう。これがアリアの秘密、
おばあちゃんがアリアのために残したこの習慣を、『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます