屍喰女アリアはシがない恋を知らない。
益荒男 正
第1話
俺は
水卜市は田舎町の集まりで、最寄りのコンビニまで徒歩15分、駅の電車は1時間に1,2本で終電は午後10時という不便さ。
あまりに不便だから周りの市と合併するなんて噂もあるが、まぁどうでもいい。お偉いさんがどうこうする話だ。
「いこ、がっこ、はやく」
こいつは俺の幼なじみ、
ツヤツヤの黒髪は蒼光りする。白い肌は病的なほど透き通る。猫みたいに小さくて丸い顔に、紅い瞳が輝いている。クール系の美人さん。
だけど、身長190cm超、体重80kg超、握力100kg超、ベンチプレス200kg超……こんな怪物でなければもう少しかわいげがあっただろう。いっしょに並ぶと俺の倍くらい大きい。
普段同じベッドで寝ているが、いつか押し潰されやしかないかと心配になる成長具合。俺たちは今日もいっしょに学校に向かう。
俺に両親はいない。物心ついたときから1人だった。病気でシんだのか? 俺が捨てられたのか? 真相は知らない。知りたくもない。
アリアも両親がいないが、おばあちゃんがいた。俺は隣に住んでいたおばあちゃんに引き取られ、アリアといっしょに育てられた。姉弟みたいなものだ。
中学生になっておばあちゃんが失踪するまで、俺たちを立派に育ててくれた。今はおばあちゃん家で2人で暮らしている。
俺が今年17歳で、アリアが18歳。アリアは1年留年して、俺と同学年になった。それには理由がある。
「しくだいやった? おわた?」
「やったに決まってるだろ。俺を誰だと思ってる」
「おぅおぅ、しゅごい~」
「アリアは? 特別学級の宿題、今日までだったろ。絵日記ちゃんと書いたのか?」
アリアは下唇を噛んで指をいじいじする。
「まさか……やってないのか?」
「う、う〜」
「うんうんうなってもダメ。やってないんだな。あれだけ時間あったのに、何してんだよ」
「だってだって……ずっとおそとにいっててぇ……カラスさんとねこさんであそんでてぇ……」
「だってじゃありません。俺が言われるまでやらないんだから。また先生に怒られるぞ」
「グスッ……だって……グスッ…だってだって……グスッ……きのうにやれっていわれなかったしぃ……グスン」
紅い瞳に涙を溜めて鼻をすする。俺が怒られるとなるといつも泣きべそをかいてしまう。体は大きいのにいつまでも子どもみたい、呆れてしまう。
「泣くな泣くな。俺もいっしょに先生のとこ行ってやるから。休み時間に謝ろう、な?」
「グスン……うん、おねがい」
アリアは勉強が苦手。というより脳に病気があるらしい(昔、おばあちゃんいわく)。
言葉のしゃべり方がたどたどしいし、文字だってうまく書けない。鉛筆をグーで握って、5秒かけてひらがな1文字書くのがやっと。
高校の授業なんてついていけるわけない。だから1年生で留年した。本人は俺と同じ学年になれてうれしがっていたけど。
俺が入学する年に、新しく特別学級というクラスができた。アリア専用のクラスで、保健室の先生が一対一で授業してくれる。
授業といっても、今日あったことをおしゃべりしたり、お絵かきしたりといった優しい内容。俺もときどきこのクラスに顔を出しては、先生とのコミュニケーションを助けるのに一役買っている。
体育や学校行事は俺のクラスと合同でやる。今日はサッカーの時間。体操服に着替えてフンスフンスと校庭へ。アリアはフィジカルが強すぎるので、俺といっしょに男子と混ざる。それでも頭1つ抜けているけど。
チーム分けは、サッカー部3人含めた11人vsアリアと俺含めた6人(ゴールキーパー無し)のハンデ試合。キックオフと同時にアリアにサッカー部3人がマークする。
『アリアちゃんにボール渡ったら終わりだぞ!』
『絶対離れるな!』
『攻撃参加しなくていい、ずっとマークしてろ!』
3人が全力でディフェンス。しかし、アリアにとっては何でもない。他5人でボールを回し、アリアに向かってボールを高〜くパスする。
アリアの身長とジャンプ力には誰も追いつけない。3mの高さでヘディングトラップし、そのまま胸の位置に落としてからボレーシュート。
流れ星のようなボールがディフェンスの上を通ってゴールネットの右上隅に突き刺さり、先制点。3人はため息をついてうなだれる。
『なんだよもう、またこの展開かよ』
『ディフェンスの意味無くね? 反則だろあの高さ』
『コート全部シュートレンジだもんな、嫌んなるって』
意気消沈する相手チームをよそに、アリアが俺に向かってピースサイン。俺も『頑張ったな』の意味でピースを返す。うれしそうにピョンコピョンコ跳ねるアリア。やる気が出たみたい。
「サッカー部のメンツがあるから、ほどほどにな」
俺の忠告は聞こえなかったようで、その後もゴラッソを連発。たった45分の試合で13点をたたき出して圧勝した。サッカー部3人は肩を組んで涙を流していた。
体育終わり、アリアが鼻歌を歌いながら俺の腕をつかんで女子更衣室に連れて行こうとする。俺は慌てて引き止めた。
「コラコラ! 俺は女子更衣室に入れないの。さっき言ったろ」
「う〜、ぬぎぬぎてつだってぇ〜」
「ふてくされてもダメ。俺が入ったら犯罪なの、捕まるの。俺が牢屋に入って二度と会えなくなってもいいのか?」
「や、やぁ〜な」
「だろ。だったら1人で着替えるの。いいな?」
「う、う〜」
大きな背中を丸めて、すごすご女子更衣室に入っていく。家では服を着るのも脱ぐのも俺に甘えようとする。せめて外でくらい1人でできるようになってほしい。
その後、着替え終わったアリアにタックルまがいのハグをかまされて、背骨を痛めるまでがルーティーン。
他の授業は別々に受ける。俺が数学の授業を受けてる間、アリアは端っこの教室で保健の先生から授業(もどき)を受けてるはず。
今ごろ何をしてるんだろう。ひらがなの練習かな。音読の練習かな。それとも宿題の件を怒られてるかな。フォローしてやらないと。
板書をノートに移しながらも、ついついアリアのことを考えてしまう。俺は弟でありながら、保護者でもある。何か粗相してないか心配でならない。何となく授業に身が入らないまま、お昼どきになる。
お昼休み。ご飯を食べに特別学級まで迎えに行く。
「ごはぁん! たべる、ごはん、んぅ〜」
「おいおい、廊下は走るんじゃないぞ」
ウキウキなアリアに腕を痛いほど引かれて購買へ。定食弁当、おにぎり、菓子パン、カップラーメンからお菓子まで育ちざかりにありがたいご飯がたくさん。
賑わっていてなかなか商品棚までたどり着けない……ように見えるが、アリアが近づくと人波がサッと避ける。海を割るモーセのように道ができた。
アリアは購買の主(1番いっぱい食べる子)、みんな畏敬の念を払っているのだ。悠々と道を歩き、棚の向こうにいるおばちゃんに話しかけるアリア。
「んおぁ~」
『ありゃあ、アリアちゃんじゃないの。今日も元気? 学校は楽しい?』
「んん~」
『そうかいそうかい、若い子元気が1番だからねぇ。最近うちの子はめっきり外に出なくなっちゃってねぇ。アリアちゃんみたいにご飯をいっぱい食べてほしいけど、なかなか……』
「おばちゃんどうも、いつものください」
おばちゃんはアリアを見るとついつい長話を始めてしまう。お昼休みの時間がなくなるから、かわいそうだけどさっさと切り上げる。
『あぁそうだったねぇ、はい、いつものね』
おばちゃんは棚の後ろから、『アリアセット』を取り出す。弁当4人前、おにぎり各種7個、菓子パン各種8個、袋に入ったお菓子2kg、2Lコーラ1本。これがアリアの1食分、税込3,000円。商品棚とは別に取り置きしてくれている。
一緒に暮らしてて1番困るのがアリアの食費。俺の10倍かかる。アリアは体が大きいから消費カロリーが多いのは分かるし、本人の食欲を止めろというのもかわいそうだから、好きなだけ食べさせているけど……
よくこれで肥満体型にならないな、と思う。アリアはどれだけ食べても体重80kg台から変わらない。そういう体質なのだろう。うらやましい。
俺のお昼ご飯もついでに買う。おにぎり2個とお茶。300円。すごく小さく見えるが、普通なのだ。ニコニコで抱えてクラスに戻る。アリアは気にしないが、みんなの視線が痛い。
『あれ1人で食べるの?』
『合宿の量だろ』
『俺あれの半分も食えないぞ』
『たくさん食べてかわいいなぁ』
なんて声が聞こえる。恥ずかしい。クラスに戻ると、机にご飯をドサッと広げて、いただきます。まずは弁当。1個あたり10秒で食べてしまう。ほぼ飲んでいる。
「よく噛んで食べろよ、消化に悪いぞ。一口30回噛むんだ」
「30? ん~、123456789……」
ズガガがガガガ、とアリアが高速で噛む振動が床に伝わり、教室全体が揺れる。工事現場のランマ―を近くで作動させているみたい。
立っていられないほどの衝撃に、本当の地震なのか、アリアの噛む振動なのか、どっちか分からなくなる。
あまりにひどいからアリアに噛ませるのをやめて、『普通に食べて』と諭す。すると振動も止む。どんなフィジカルしてるんだ、本気で不思議に思う。
ぱく、ごくん、ぱく、ごくん、とどんどん食べ進める。俺がおにぎり1個食べ終わるうちに、弁当とおにぎりを全部食べてしまった。もはや胃袋に直接ご飯を投げ込んでるくらいのスピード。
コーラもくぴくぴくぴくぴ、と一気に半分飲んでしまう。アリアの怖いところは、これだけ食べてまだ満腹でない、ということだ。夜ご飯があるから腹8分目に抑えているという。本気を出したら購買の商品全部食べられそう。
俺がちびちびお茶を飲んでる間に、お菓子まですっかり完食。ごちそうさま、と舌なめずり。ほっぺについてるお菓子のクズを拭き取ってやる。
「栄養補給したし、午後の授業もがんばるんだぞ」
「あぃ~」
「返事ははい、だ」
「はぁい~」
「よし」
お昼休みの終わり、寂しがるアリアを置いて、自分のクラスに戻る。俺も本当だったらアリアとずっといっしょにいたい。心配だから。
だけど、俺もやることはやらないといけない。将来アリアを養うためにも、今勉強しておかないといけないから。なんとかやる気を出して午後の授業に臨む。
そうして午後の授業も終わり、放課後。さっさと帰り支度をして特別学級へ。他の生徒は部活や委員会に向かうが、俺たちは何もない。
俺たちは全校で唯一、帰宅部でいることが許されている。アリアの識字事情もあるし、そもそもアリアのパワーを留めておける団体なんて存在しない。大人しく家に帰るのが平和的だ。
特別学級では、ちょうどアリアも帰り支度をしている。プリントをカバンにぐちゃぐちゃに入れて、先生に小言を言われてるところだった。まだ何か言われてる途中だけど、ガッとカバンをつかんで俺の方に駆け寄ってくる。
『あ、ちょっと! まだ話は終わってませんよ!』
「先生すみません、さようなら~」
「あいなら~」
俺たちは逃げるように特別学級を去り、学校を後にする。まだ賑やかな校内を背に、2人だけ帰路につく。田んぼ道を歩きながら、今日あったことについて話す。
「先生どうだった? 宿題のこと、何て言ってた?」
「3ばいにされた、らいしゅうのえにっき。おに、あくま、ひとでなし」
「そんなもんだろ。先生もお前をちゃんと教育したくて必シなんだ。言うこと聞いてやれよ」
「きいてる。おこりんぼじゃなかったら、もっときいてる」
「そりゃそうだなぁ」
まだ夕方には早いころ、アリアは黒髪を風になびかせる。切れ長の目に紅い瞳、白い肌にピンクの唇。整った横顔、ついつい目で追ってしまう。
ときどき想像する。もしアリアが普通の女の子だったらどうなっていただろう、と。普通に言葉を話せて、文字が書けて、パワー……はどっちでもいいけど。
とにかく、モデルか女優にスカウトされていたに違いない。こんな高身長健康的美人、ハリウッドでもなかなかいない。きっと日本を背負う大スターになるだろう。俺なんか手の届かないところに行ってしまって……
そうなると、アリアはこのままでよかったな? 美人だけどコミュニケーションができなくて、みんなから距離を置かれて、俺以外頼る人がいなくて……俺だけのアリアで……
いや、そうじゃないだろ。できることなら、アリアにもっと広い世界を見てほしい。色んな人と関わり合って、色んなことを知って、色んな学びを得てほしい。俺はそのサポートをするんだ。
幼なじみの使命として、この純粋な命を飛躍させる補助輪になる。おばあちゃんがいなくなったとき、アリアがわんわん泣いてしかたなかったとき、そう誓った。
ぐぎゅる~
「ごはぁん……おなかすいたぁ……なんにするぅ?」
大きな腹の虫が鳴った。つい噴き出して笑ってしまう。いいな、アリアはあくまで純粋だ。俺もあくまで自然体でアリアに接しよう。ありのままで、隣にいよう。
「そうだな、晩ご飯は何が食べたい?」
「カレー! ハンバーグものっける!」
「お、いいな。レトルトでどっちもあったはずだ。今夜はハンバーグカレーにするか」
「わーーーーーーい!」
「声デカ、鼓膜破れるかと思ったぞ」
ピョンピョン跳ねて帰り道を急ぐアリアの後ろをのんびり追いかける、そんな日常。
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