なんの匂いもしない女

「ええ。夜半に騒がしく暴れる者達や、邸店の荷を荒らす者はいますのに、翌朝荷を調べても全部あるとかで。まあ、暴れられてますので、幾分かの損失はありますが……実に不思議なことです。邸店に荷を預けていた客商は、荷が盗られなくて良かったと話しておりますが、わたくしからすると、盗人の目的がわからず恐ろしく思ってしまいますわ」


 客商とは、各地を周り荷を運搬する専門商のことだ。何人もの荷運び人を雇って、大規模な輸送網を持っている客商もいる。取引規模が大きい客商ともなると、邸店という倉庫を借りて、その中に一時的に荷を預けたりしている。


「いつも気に掛けていただいて、ありがたいですわ」

「とは言っても、具体的に俺が何かできるわけじゃないからね。ただ、これからは街を歩く時は、人の動きも注意して見てみるよ」

「ありがとうございます、ラン様」


 陶器の擦れる音が止むと、衣擦れの音がして軽い足音が遠ざかっていく。


「雪仙、いつもの時間に起こしてくれ。それまで誰も――」

「はいはい、誰も入らないようにでしょう。何年のお付き合いだと思っておりますの。他の娘達にも部屋周りでは静かにするように言っておきますわ」

「助かるよ」


 扉が閉まる音がして、瞼の裏が一段暗くなった。雪仙が、入り口にあった灯籠の火を消していったのだろう。


「はぁ……」


 ごろりと横を向く。

 動いたことで麝香の香りが立ち、鼻孔をかすめた。

 麝香の香は高級品で、香りが敷物に移るほどに焚きしめられる者は限られている。


 霓裳楼の当紅とうこう――一番人気の妓女――と名高い雪仙だ。

 彼女がこれを使っているといるということは、人気の香りなのだろう。


「くさっ……」


 一度も良い香りと思ったことはないが。


 後宮などもっとひどかった。様々な后妃達の香やら化粧の匂いやらが混じりあって、いつもむせかえるような匂いが立ちこめている。


 後宮の酒宴に参加した時など最悪だった。臨席した官吏達などは、煌びやかな笑顔を湛え玉声を掛け合う美妃達を見て、百花繚乱などとほざいていたが、盲目もいいところだ。


 彼女達は、腹の中に飼った醜い獣の腐臭を隠すために香を纏い、本音を誤魔化すために濃い化粧で笑顔を描いているだけだというのに。


「ああ……あの女は、珍しくなんの匂いもしなかったな」


 化粧も最低限という感じだったか。

 女史長といえば、それなりの地位だし、俸禄もそれなりにもらっているだろうに珍しい。内文学館の女史は質素にしないといけないのか、と思ったが前代の女史長はそんなことなかったはずだ。彼女は今は尚宮に就いているのだったか。薄ぼんやりと覚えている前女史長の顔は、しっかりと化粧が施されていたように記憶している。


 であれば、化粧が薄いのも香を纏っていないのも、あの女人――小琳の趣味なのだろう。

 その点だけは褒めてもいい。

 それ以外はいただけないが。

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