不思議な盗難

 雪でも食っているのかというほどに、女の肌は指の先まで白く澄んでおり、随分と緩く羽織った衣装から露わになった細首から胸元も、雪原のように一点のくもりもない。


 これまた、名を『雪仙せつせん』と言い、彼女の白さから名付けられたことは明白だった。

 匂い立つような美女、という言葉は彼女のためにあるようなものと、彼女を見た者は口を揃えて言う。


 成嵐は、皇都に店を構える花楼のひとつ、『霓裳楼げいしょうろう』にいた。

 皇都の西側には大小合わせて数十軒の花楼が軒を連ね、夜でもその一角だけは、空の星を地上に落としたかのように煌々と輝いている。


 霓裳楼は、その中でも最上級と評されるである花楼であった。

 最上という言葉に相応しい建物は中々に壮観で、緑青の柱には朱や黄、紺碧で雲霓や仙女の絵が描かれている。瓦屋根の先は、まるで矜持の高い妓女達の鼻のように、ツンと夜空を向き、先端からは金色の吊るし飾りが垂れている。


 実に金の掛かった装飾であるが、中で優雅に微笑む妓女達のほうがもっと金が掛かると言われるような店だ。


 そんな場所で、成嵐は店一番の売れっ子を傍らに置いて、酒を雑に飲んでいた。

 酒が注がれれば喉に流し入れ、杯が空けばまた酒が注がれる。一種のそういった儀式のようにも見える間断ない酒飲みは、両手足の指折りでは足りなくなったところで、やっと杯が置かれ止まった。


「慈于に妙な師をつけられたんだよ」

「師? あら、この間も師が来たから追い返したとかなんとか、仰っていませんでした?」

「あれは三人前の話。今回はまた別の」


 まあ、と雪仙は酒壺を傍らの盆に置きながら、クスッと笑う。


「相変わらず、ラン様は手習いがお嫌いだこと。師の方もおかわいそうに。そのうち、お父君は頭痛で倒れてしまわれるかもしれませんね。ご子息がこのような感じでは」


 成嵐は、ここでは大家の放蕩息子の『ラン』で通っていた。

 大家の放蕩息子というのは便利なもので、身なりも良く若くして花楼に上がる金もあり、師をつけられるような家で、慈于という小煩い下男がいてもまったくおかしくはない。それに姓を言わなくとも、家を秘密にしたいのだろうと勝手に納得してくれる。


 目の前の妓女も、まさか自分が相手しているのが、放蕩息子ではなく放蕩太子だとは思いもしないだろう。


「それで、その師の方はまた追い返してしまわれたのですか」

「いや……」


 成嵐は口角を下げに下げて、苦々しい顔になる。

 表情からいつもと違うことを察した雪仙が、「あら」と目を丸くする。


「追い返そうとしたんだけどね……気付いたら講義を受けさせられてるんだ、いつも」

「ふふ、それはそれは。相当なやり手の師でございますね」

「やり手ねえ……」


 成嵐は背中から床に倒れた。

 ドスンと音がするかと思いきや、成嵐の身体の大きさと見合わぬ、ポスンと柔らかな音がする。床には、西方から入ってきた刺繍の美しい敷物が何枚も敷いてあった。すっかりと雪仙同じ麝香の香りが染みついていて、異国情緒などみじんも残っていないが。


 成嵐が瞼を閉じると、片付けのカチャカチャとした音が鳴りはじめる。

 そのまま成嵐は瞼を閉じようとしたのだが、思い出したように「あ、そうだ」と、パチッと瞼を上げた。

 瞳だけを滑らせ、傍らで酒の片付けをしていた雪仙を見やる。


「そういえば、最近もまだ続いてるのか?」


 雪仙の背中がピクッと反応した。

 肩越しに振り向いた彼女は、眉をひそめて首を横に振った。


「そうですね、まだ騒がしいですね」

「窃盗が起こっているはずなのに、調べても盗まれたものはないんだっけ」

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