第一章:え、嫌なんですけど……

返答を誤った気がする……っ!

 皇帝や皇后の住まいが並ぶ、後宮中央部のほど近いところ。

 そこに、女官全体を統括する尚宮局しょうぐうきょくの局舎はある。


「忙しいところ呼びだしてすまないわね、小琳しょうりん

「お気になさらず、周尚宮しゅうしょうぐう


 小琳は、正面の座卓に座る壮年の女官――周尚宮に対し、うやうやしく頭を下げた。


「私相手に、そこまでご丁寧な態度なんかいらないのに」

「何を仰います。かつての私の師であり、今や全女官を掌握する尚宮のあなた様に対して礼をとらねば、教育女官の名が廃ります」

「ふふっ、立派に小賢しい理由を言えるようになって。まあ、好きにしなさい」


 相変わらず、美しい上に、さっぱりとして気持ちの良い人だ。


(いつ見ても、私より十五も年上だなんて思えないんだよね)


 確か、彼女は四十五だったはずだ。

 彼女の姿は出会った十数年前とほぼ変わらない。多少目元に刻まれた烏の足跡は濃くなったし、後頭部で羽を広げた蝶のように結われた髪には白線がまじっているが、魅力は少しも衰えない。

 むしろ、若いだけの女官にはない色気すらある。


 自分はというと、長い髪を傾髪に結って地味な簪で留めているだけだし、化粧も色味を抑えたものばかりで、とっても地味。

 まあ、自分は彼女と違って公に出るような機会もないため、地味でも問題はないが。


「それであの……何かありましたか、周尚宮」


 さっそくに、小琳は呼び出された理由を尋ねた。

 本来、下の者から用件を促すような言葉は不躾だとされるが、その状況を聞くなというほうが無理がある。

 実は、部屋に入ってきてから一度も、小琳は周尚宮と目が合っていないのである。


 それもそのはず。

 彼女は、座卓に肘をついて組んだ両手を額にあてがい、俯きがちに『頭の痛そう』な格好をしているのだから。


 今、彼女の視界には、焦げ茶色の座卓の木目か、良くてこちらの足先くらいしか入っていないだろう。日頃から彼女が、木目を数えながら会話をするという、ちょっと変わった趣味の持ち主ならここまで気にならなかっただろうが、あいにく普段の彼女は、しっかりと目を合わせて話すような人だ。

 とても嫌な予感しかしない。


「うん、あー……そうね、うん……」


 ここぞとばかりに、言いにくそうに言葉を濁さないでほしい。

 完全に面倒事を頼まれる気しかしない。


「そういえば、小琳は内文学館ないぶんがくかんに勤めてどれくらいになるかしら?」


 明らかにはぐらかされた。

 しかし、立場が下の自分には、ここで退室という選択肢はない。仕方なく質問に答える。


「確か、もう十年経ちますね。女史長じょしちょうとしては七年になりますか」

「三十で女史長七年ね……異例の出世だわ」

「おかげさまで、で」


 内文学館とは、妃嬪教育や有望な女官達を育てるために置かれた、後宮内の教育機関である。そこで師として教える女官のことを女史と言い、経学や史学、歌舞音曲、詩歌などに精通していなければならない。


 ほとんどの女官が属する六局という組織からは独立した立場に置かれ、後宮内でも一目置かれた存在である。もちろん、そこの長である小琳も、やはり後宮の女人達からは一目置かれている。


「そろそろ、同じことばかりで飽きたんじゃない?」


 そこでやっと、木目を数え終わった周尚宮の顔が上がった。

 花も恥じらうほどの笑顔である。

 これぞ笑顔の手本だと、教本に載っていてもおかしくないほど不自然な笑みだ。

 背中の真ん中を、ゾゾゾと怖気が這い上がってきた。


「い、いえ、飽きることはありません。学ぼうとする者の手を引くのが、私の役目ですから。学ぶ者がいる限りやりがいは尽きませんね」


 意図の読めない質問だった。もしや、異動の打診だろうか。だとするならば、どうしてさっさと用件を言わないのか。とりあえず肯定するのはまずい気がして、もっともな理由を口にしたのだが……。


(し、失敗だったかもしれない)


 周尚宮の貼り付けたような笑みが、眩しいほどに輝き出したのである。


「そうなのね! それはとっても良い心がけだと私も思うわよ」


 喜色滲んだ声で褒められるが、なぜか嬉しくない。


「あの、周――」

「そうだ、小琳。第四太子のことは知っているかしら」


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