第6話・2006.4.21 (Fri.) 08:16:04紺野の養母視点
ずっと前に付き合ってた人が、突然いなくなったと思ったら、10数年ぶりに私のところに戻ってきて、結婚しようと言い出した。別れた当時はまだ若かった私も、気がついたら38になっていて、それでも一人でいたのは、やっぱりその彼を忘れられなかったからだと思う。
どうせ他に相手もいないし・・・・そう思って結婚することを決めた。彼には連れ子がいると聞いたけど、この年だし、さほど驚かなかった。でも、彼がその子を連れてきた時、私は思わずあっけにとられる。彼にまったく似てない上に、その子はもう中学生だったから。
佐藤比呂というその子は、私たちに正式に引き取られる形で、紺野比呂という名前になった。
ずいぶん無感情な男の子だなあ・・・というのが比呂の最初の印象だ。しかも話をするのがとても遅い。単語と単語の間が長くて、時々言葉につまって黙る。あとから『ストレスからくる精神障害なんだよ』と主人に聞かされ、私はただただ呆然とした。
見た目は普通で、どちらかといえば垢抜けたような感じの子で・・話の筋はちゃんと通ってるし、ゆっくり聞けば意味も通じている。だけど、やっぱり普通ではない。戸惑う私は相槌のタイミングもわからず・・そしたら比呂は、『ああ。』とか『はい』とか、そういうことしか言わなくなっていった。
共同生活は妙なものだった。比呂はほとんど家に帰ってこない。なのに毎月食費を入れてくる。当時の比呂は中学生。親から小遣いを貰うことがあっても食費を入れるなんてありえない。受験生だし、家で勉強しなさいといっても、『大丈夫。』といって言うことを聞かない。
カメラマンの彼も仕事上なかなか帰ってくることができず、私は毎日ひとりだった。
このまま私が動かなければ、きっと状況は変わらない。そう思った私は駄目元で、比呂に話しかけることにした。『今日は帰るの?』『夕飯、好きなもの作るよ。』『たまには一緒に外で食べようよ。』比呂は私の問いかけに、返事すらせず家を出て行く。たまりかねた私はある日『せっかく家族になったのに、私は一人で寂しい。』と比呂に言った。
相変わらず比呂はそれに返事をしなかったけど、それからだったと思う。比呂が毎日家にちゃんと帰ってくるようになったのは。
この頃から、少し状況が変化してきたような気がする。
たまにケーキを二つ買ってきて『よかったら・・』といって私に渡してくるから『ありがとう。じゃあ一緒に食べよう』って私は毎回言うんだけど、あの子は甘いものが嫌いみたいで『おじちゃんと食って』・・とそのたびに断られる。
だけどコーヒーをいれると付き合ってくれた。ケーキは食べないけど私の愚痴を黙って聞いてくれて、悩みを話すと、それなりに相談に乗ってくれたりもした。ずいぶん大人びた子だと思った。
話し方は相変わらず遅いけど、でも私が『それで?』とか『だから?』とか・・そういう言葉で急かさないようにしたら、比呂は徐々に二言三言と、話をするようになってくれた。
そんなひと時に私は、思い切って話を切り出した。
「なぜ比呂は、バイトをするの?学校で禁止されてるでしょ?」
すると比呂はちょっと考えてから
「お父さんに、男は経済力だって言われたから」と小さな声で答えた。
「経済力?」
「そう。自分で働いた金で、欲しい物を買って、大切な人を食わせなきゃ駄目だって」
「・・でもまだ中学生じゃん。比呂は・・」
「・・・・・・」
黙ってしまった比呂。ここから先は立ち入り禁止かな?とおもって、私はすぐに話題を変える。
もうひとつ疑問に持っていたことを、比呂にたずねてみることにした。
「何で比呂は、あたたかい日もマフラーしてるの?」
比呂は、それにもあまりこたえたくないみたいで「別に」とだけいって、コーヒーをすすり、そして黙った。
その日の夜、珍しく早く帰った彼に、比呂と話したことを打ち明けた。そして彼から比呂のマフラーの意味を聞いて私は、とても悲しくなる。幼い比呂が冬の夜、母親に『寒いから一緒に寝て。』と頼んだとき、母親は家中のマフラーを比呂に投げつけ、自分の部屋のドアを乱暴にしめたのだという。
比呂は、その日、その夜、マフラーをかき集めて布団に入り、抱きつくように眠り朝を迎えた。よっぽどあたたかかったのだろう・・比呂は、その冬は毎日マフラーを抱いて眠ったのだそうだ。
美容師をしていた比呂のお父さんが、マフラーは首に巻くものだと教えて
そこで比呂はマフラーの使い方を初めて知る。マフラーを父親に巻いてもらいながら比呂は『ママが沢山くれたから、毎日あたたかかった。』と言って、笑っていたという。
夜中に目を覚ました私は、比呂の部屋をこっそりのぞく。すると比呂はカーテンを開けっ放しにした窓から入る月明かりに照らされて、小さく丸まるように寝ていた。マフラーをしていて、あたりには鎮痛剤の殻が落っこちていた。
数を数えたら3つほどで、ちょっと飲みすぎかもしれないけど、体温も落ちてないし、だからそのまま寝かすことにした。
あまり喋らない比呂。この子には何の罪もないのに。
比呂の精神障害は、本当ならばとっくに回復しているはずなのに、今もそれを引き摺っている。比呂の心が何らかの感情や記憶を引き摺り続けているのだ。
こういう状況で私たちに引き取られたことは、果たして彼にとって幸せなことだったのだろうか。髪を撫でると、比呂は静かに咳を一度して、寝返りを打った。
翌朝。顔を洗おうと洗面所に行くと、マフラー巻いたまま歯を磨いてる比呂がいた。『おはよう』と声をかけたら、ちょっと間をあけて『おはよ』とこたえる。髪の毛に微妙に寝癖がついてるとこが、やけに子供っぽくてかわいい。私は比呂の隣で歯を磨いた。私よりずっと背の高い比呂。真っ黒なマフラー。
「鎮痛剤の殻があったけど、頭でも痛かったの?』
「・・・」
「・・・・のみ過ぎちゃ駄目よ?」
「・・・・」
「・・・のみ過ぎると死んじゃうんだよ?」
「・・・」
「比呂が死んだら私は泣くよ」
比呂は、口をぶくぶくとゆすぎ、歯ブラシを洗って、私の横を通り過ぎる。
そして洗面所から出るときに、『わかった。』ってボソッと言った。
階段を上がる足音を聞きながら、私は涙が出そうになる。
大人として・・比呂の母親と同じ女として
比呂に私は何をしてあげられるのだろうか。
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