第12話
【12】
――妖精の主を巡って争ったあの日から、十年。
時刻は昼下がり。宮本郁・二十三歳は、喫茶エルノーが入っているビルの、非常階段を、一番上まであがっていく。
扉を開ける。
そこには、あのときの七名が勢揃いしていた。
「ギリギリセーフだな、宮本」
腕時計を見ながら言うのは、スーツ姿の堤奏太。彼は志望通り公務員となり、役所で働いていた。〝郁を見ているうちに、人の助けになる仕事がしたいと思った〟と言う動機は、最近になって聞いた話だ。
「宮本サン、久しぶり~」
ひらひらと手を振るのは、松浦朔久・二十五歳。彼は定職に就かず、非正規で仕事を転々としていた。事務から現場仕事まで様々に挑戦していて、経験だけは蓄積されている状態だ。
奏太や松浦は今でもよく連絡を取り合い、夕飯に行ったりする仲だった。
「仕事いそがしい? なんか大変? 俺と結婚する?」
「だからお前、それやめろって……」
軽口を叩く松浦に、奏太が呆れる。
郁は苦笑いした。
「ギリギリまでメール返してて。間に合ったから許して」
郁は手を合わせて謝る。
「もちろん、全然問題ないよ」
そう笑うのは、白い肌に黒いロングヘア、私立高校の制服を着た、阿部・真音・エルノー十六歳。小さかった真音だが、すっかり大きくなり、身長など郁を超してしまった。大人しかった性格は少し積極的になり、今も人好きのする笑みを浮かべている。その愛らしい顔立ちは健在だ。
彼女が、本日の主役である。
「じゃあ、そろったことだし、早速始めようか」
音頭を取ったのは佐々木結翔。現在三十代前半のはずだが、その容姿は出会った頃とほとんど変わりない。『結翔さんなら老けなくても納得する』とは奏太の言(げん)である。
逆に、志希は様子が変わった。結婚し、子供を産んで、今は四歳児の母である。長かった髪も落ち着いたショートに変え、雰囲気などが全体的に丸くなっていた。ちなみに旦那さんも妖精のことは打ち明けられており、それを聞いても気味悪がらず、簡単に信じてくれたツワモノである。医療機器メーカーの営業マンで、志希が怪我をして通院していたときに出会っていた。
簡易テーブルに置かれていた妖精の瓶を、真音が手に取る。
ポンッと、簡単に開けられる蓋。
真音が掲げるように瓶を持つ。
「これでお別れか……」
惜しむように言ったのは、白妖精を手に持った大槻(おおつき)旭陽(あさひ)・二十三歳。有名大学から有名企業へストレートで合格し、今は仕事で忙しい身だ。
しかしそれでも、妖精を側に置かなかった日は一日も無かった。
紫妖精を手に持った松浦が、ニヤニヤと大槻を見る。
「お、惜しんでる惜しんでる。やっぱり手放すの嫌になったか?」
「そんなことは言っていない! 十年も一緒に居たんだぞ!? 感慨(かんがい)にくらい浸らせろ!」
郁は朱と赤の妖精を持ちながら、うなずく。
「そうだね、十年かぁ」
中学一年生が、社会人になるまでの年月だ。
色々あった。
中学でクラス替えがあるだけでトラブルが起きたり。
高校の志望校で親と揉めたり。
郁は経営を学ぶため大学を志望し、親はもはや無干渉になっていて、勝手に奨学金を借りて勝手に大学へ行った――必要な保護者のサインはかろうじて、父がしてくれた――。
それから学生の間に起業して、便利グッズのネットショップを開いた。今では自ら商品企画し、制作会社に発注して、商品を売るまでになっている。
全て簡単にいったわけでは無い。むしろ、躓(つまづ)いてばかりだった。高校時代も、大学時代も、起業してからも、泣いていた記憶の方が多いくらいだ。
そして、泣き言をいつも、奏太や松浦、大槻、結翔や志希が聞いてくれた。
同級生のことで悩んでは味方になってくれたし、起業するときは本当にお世話になった。結翔のことは、師匠と仰いでいいくらいだ。
本当なら関わらなかったであろう、こんなみんなと、自分をつないでくれたのは、この妖精だった。どの思い出にも、いつも側には妖精の姿があった。
妖精のことだって、しょっちゅう相談し合っていた。イタズラしたくてうずうずしてしまう子、具合が悪くなって言葉を掛けても元気にならない子、いろんなトラブルがあった。
喫茶エルノーに集まって、みんなで知恵を出し合い、なんとか十年、妖精達を守ってきたのだ。
それが、今日終わる。
大槻だけで無く、皆、感慨もひとしおだ。
「色んなことがあったね」
郁が言うと、みんな、深く頷いた。
「でも、宮本の言ったとおりになったな」
「え?」
奏太の言葉に、郁は聞き返した。
「妖精は分け持った方が良い・支え合った方が耐えられる。十三歳のお前が言ったんだぞ。本当に、お前一人に任せなくて良かった。とても一人で乗り越えられるものじゃなかったよ」
「あははー、偉そうなこと言ったねぇ私!」
郁は照れて頬を掻く。
それに、『そうそう』と松浦が同意した。
「俺の紫ちゃんが、病弱キャラだったなんてね~。俺一人じゃ死なせてただろうし、宮本サンに背負わせなくて良かったよ」
「それは本当にそう。みんなで考えられて、良かった」
郁も頷き返した。
「私は――」
皆の中央にいる真音が口を開いた。
「妖精のおかげで、こんなに素敵なお姉さん・お兄さんに支えてもらえたのが、何より嬉しいです。もちろん、妖精をバラバラにしてしまった責任はあるんだけど。妖精がいたから、郁さんや奏太さんと出会えた。小さい頃の私って、気難しかったじゃ無いですか。今高校で、友達が出来て、トラブル無く過ごせてるのって、郁さんたちのおかげです。だから、出会わせてくれたことを、妖精達にありがとうって言いたい」
皆、感慨深く真音を見つめた。
「真音ちゃん、本当に大人だね……!」
「いや、こんな高校生居るか? これはこれで浮かないか? 大丈夫か?」
「まあ、真音女史は最初から、子供離れした覚悟の持ち主だったしなぁ」
「改めて思うよ、君こそが妖精の真の主だって」
大槻の言葉に、真音は苦笑する。
「私が妖精の家を管理するだけですよ。いつでも会いに来て、いつでも連れ出してくださいね。妖精達もその方が、嬉しいでしょうから」
大人達一同はまた『大人だ……!』と天を仰いだ。
真音を中心に半円を描いて、皆が立つ。
郁は朱と赤の妖精を取り出し、目の前に掲げた。
「朱色の妖精さん、赤の妖精さん。おうちの準備が出来たって。私はいつでも会いに行くから、一度おうちにお帰り」
言い聞かせるように言葉を掛ける。
みんなもそれぞれ、相棒の妖精に言葉を掛けていた。
朱と赤の妖精は、顔を見合わせる。
郁が視線で真音の方を示すと、つられてそちらを見た。
真音は妖精全体を視界に入れ、微笑んでいた。何者も包み込むような、暖かな微笑みを。
妖精はスイと飛び始める。左右にユラユラしたり、まっすぐ飛んだりしながら、真音の持つ瓶の方へ向かっていった。
妖精はみんな、迷い無く瓶へと収まった。
九つの光が、瓶の中から輝く。
真音はソッと、コルクの蓋を閉めた。
「これで、一段落だね」
結翔が言った。みんな、神妙に瓶を見つめていた。
真音が頷く。
「はい、一段落です!」
ポンッ
閉めたばかりの瓶を、真音は景気よく開封した。
「えっ!?」
皆、思わず声を上げる。
真音は笑う。
「開けておきます。きっと、私がちゃんとしていれば、脱走もイタズラも、勝手にしないから。瓶も、喫茶エルノーに置かせてもらう話になってるんです。いつでもお店に来て、いつでも妖精と交流できるように」
「か、敵わないなぁ」
郁達は声を上げて笑った。
奏太が松浦に肘打ちする。
「で、お前はいつになったら宮本に真面目に告白するんだよ」
「いや~、妖精が帰ったらって思ってたけど、帰っちまったな」
「今日までに準備しておくのが筋ってもんだろ」
「でも、毎回言い寄ってるのに、冗談と思われてるしな~」
「あの言い方で本気にする奴が居るか。だからやめろって言うんだ」
「俺、定職にも就いてないし」
「そんなこと言ってたら、横からさらわれるぞ。志希さんみたいに、どこに出会いがあるか解らないんだからな」
「……うわっ、それは嫌。絶対許せねぇ」
「本気だってことだけでも、今言えよ」
『どうせ宮本本人以外は全員知ってるんだし』と、奏太は呆れる。
松浦は、横入りされる可能性を考えた途端、顔つきが変わり、真剣な顔で郁を見ていた。
「宮本サン」
何気ない様子で、松浦は郁に近づく。
「なにー?」
真音と談笑していた郁は、いつもと変わらない調子で応じる。
松浦はおもむろに、郁の手を握った。
「妖精のことも一段落したし、そろそろ本気で考えてくれない? 俺は宮本さんが好きだよ、本気で。結婚も視野に入れて、俺と付き合ってください」
横で真音が、口に手を当てて飛び上がった。
結翔と志希は、どこかホッとしたように顔を見合わせた。松浦が真面目に伝えられるか、ヤキモキしていたのだ。
当の郁は固まってしまった。
「え……? それは、いつもの『結婚する~?』ってやつじゃなく?」
「あれも全部本気だったよ。結婚しようよ、宮本さん。いや、今すぐじゃ無く、定職ついて、ちゃんと迎えに行くから。待ってて」
「え、え?」
郁は周囲を見回す。
みんな、頷き返した。松浦は十年前から郁に惚れていると、皆が知っている。
郁はボッと赤面した。
「えええ~!?」
郁の悲鳴が、街にこだまする。
人生の悩みや苦難は、まだまだこれからだ。
妖精のカマラード・ドゥ・ジュ 宇城 加衣 @karie557
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