第6話
【6】
数日後、また急な全校集会が開かれた。
「二年生の生徒が、昨晩山手の森で見つかりました。生徒は体調不良で休みと言うことになっていましたが、実は行方不明になっていたのです」
校長の話に、生徒はザワついた。
郁も緊張した面持ちで話を聞く。
「生徒は三日前の夜に、近くのコンビニに行くと出て行って、それから戻らなかったそうです。警察にも捜索願を出し、山手の方も何度も捜索されました。しかし二日間も見つからなかったのです」
幸い、生徒は少し衰弱しているものの、命に別状は無かったらしい。
しかし。
「生徒は、山に入っている間の記憶がスッポリ抜け落ちていました」
またざわめきが大きくなった。
郁もハッとなる。
(白い妖精は記憶を消せる……これって、もしかして……!)
警察によると、なんとこういった行方不明が、最近この近隣で増えているらしい。
神隠しだ、と大騒ぎになった学校もあるのだそうだ。
今回も決していたずらに騒がないように、という厳命があった。
校長の話は続く。
「原因が分からない今、できることは、夜出かけない・人気の無いところに行かない、ということです。もうすぐテスト週間です。皆さんは学校が終わったら、まっすぐ家に帰り、家で過ごすようにしてください。塾などはどうするのか、家でまたご家族と相談してください。貴方たちが元気で過ごしてくれることが、我々教師の、そして親御さんの一番の願いです」
校長の話は、そう締めくくられた。
郁も、さすがに図書館には行けなかった。教師が下校を見張っていたし、友人のひなちゃんやすずちゃんにも、猛反対されてしまったのだ。
『さすがに今日図書館行くのは良くないよ』
『公民館も山手の方じゃん。それより、一緒に帰ろうよ』
両方から腕を組んでくる二人に、さすがの郁も折れた。
同じ方向だからと、いつも声を掛けてくれる二人。とてもありがたい存在だ。一緒に帰りながら、お気に入りの雑貨や、最近買ったスニーカーの話をしながら帰るのは、とても楽しかった。
二人と居るのが嫌なわけでは、決して無かった。
帰ってから郁は、週に一度の掃除機を、さっさと掛けてしまう。本当はいつも金曜日にやっていた――そのため金曜日は図書館に行っていなかった――のだが、早く帰ったときの習慣になっているのだ。やらないと落ち着かない。
それから、読みかけの本を持ってきて、読みふける。自室に居ても良いのだが、たまに宅配便などが来たとき、気付かず受け取れないと、また両親に文句を言われるのだ。
そうして一時間も過ごすと、ガチャッとドアが開く音がする。母が帰ってきたのだ。
母は仕事の後、祖母の病院に寄ってから帰ってくるので、帰宅はいつも午後七時を回っていた。郁が掃除機掛けを担当するようになったのも、祖母が入院してからだ。
「ただいま~」
「おかえり」
「お夕飯急いで作るからね。何が良い?」
「なんでもいいよ」
「なんでもいいはやめてって言ってるでしょ!?」
ピシャリと言われて、郁は首をすくめる。
リクエストを求められるが、これで、材料が足りない料理を言っても、また雷が落ちるのだ。郁は慎重に言葉を選ぶ。
「……コンソメ味が良いな。コンソメ炒めとか」
「あら、そんなのでいいの? やっぱり洋風の味が良いわよね~」
どうやら正解を引いたらしい。郁は胸をなで下ろす。
母が買い物してきたものをしまって、料理を始める。
郁は自室に帰ろうと、本にしおりを挟んだ。
そのとき、母が口を開いた。
「そういえば、スーパーでひなちゃんのお母さんに会ってね。聞いたんだけど、郁、あんた彼氏ができたんだって!?」
「――は!?」
郁は機嫌を伺うのも忘れて、大声で聞き返してしまった。
「な、なにそれ!? 彼氏って誰!?」
「えっと、同じクラスの、堤君? 眼鏡の大人しい子らしいじゃない」
郁は目の前がザアッと暗くなった。まさか奏太と、そんな噂になっていたなんて。
立ち尽くす郁には気付かず、母は上機嫌に話を続ける。母は、恋バナとか、そういった話が大好物なのだ。
「優しい子なの? いいわね~、初彼氏! 私も初めてお付き合いしたのは中学生の頃だったわぁ。中三だけどね」
「……違うから」
「え?」
「堤とは、そんなんじゃないから!!」
「ええ? でも、毎日ひなちゃんたちと帰るのを断って、堤君と公園で会ってたんでしょ? 図書館から一緒に帰るところも見たって」
(最悪だ……)
図書館から一緒に帰ったことなど無い。おそらく、喫茶エルノーからの帰りだ。途中まで一緒に歩いていたので、それを誰かに見られたのだ。
学校でも、奏太はあまり他人と話さない。それが、最近郁とたまに話すようになったから、目立っていたのだろう。
それを、ひなちゃんが言ったのだろうか? ひなちゃんやすずちゃんが、陰で噂していたのだろうか?
バシッ!!
郁は、持っていた本を、ソファに投げつけた。
「ちょっと、郁!? 今なに投げたの!!」
「うるさい! 放っておいてよ! なんで余計なことしか言わないの!?」
「余計なことですって!? アンタが何も話さないから――どこいくの!!」
郁は母の制止も聞かずに、スニーカーに足を突っ込むと、家を飛び出した。
走って、走って、気がついたら駅前まで来ていた。
郁は自動販売機の陰にうずくまる。
母は、娘が自分と同じような人間だと信じて疑っていない。ピンクやファンシーな物が好きで、恋愛話が好きで、中学生で恋人を作るような、そんな人間だと。
実際の郁は、ファンシーよりスポーティが好きだし、恋人なんてまだ考えられない。しかし、母の中にそんな娘は居ないのだ。
ムカムカしてたまらなかった。一刻も早く縁を切りたいと考えてしまう。
それに、友人も。
友人だと思っていたのに、陰で人を噂のエサにしていたなんて。図書館ばかりに行って、付き合いをないがしろにしたせいだろうか? けれど、奏太が好きだなんて話は一度もしていないのに、勝手なことを言うのは、失礼では無いだろうか。
友達だと思っていたのに、信用できないと思ってしまう。ひどくショックだった。
(なんでこんなことばかりなんだろう)
祖母が病気になって、母が忙しいのは仕方ない。助けになりたいと思う。しかし、助けになったとて報(むく)われない。
友人は、所詮他人だった。自分をエサにすることしか考えていない。
奏太たちと話したい、と思った。奏太や、結翔や志希と。
自分の〝日常〟とは無関係な人々。話せばきっと、気晴らしになる。
けれど、だからこそ、電話などできなかった。そんな話をする仲では無い。急に親との不仲を相談したって、迷惑を掛けるだけだ。これは自分で抱えるしか無い問題なのだ。
どんどん気分が暗くなる。
暴れ出したいような気持ちだった。
たとえば、そこの自動販売機を、壊してみるとか。
顔をうずめていた両腕から顔を上げて、自動販売機をにらみ上げる。
と、そのとき、両腕に紫のオーラがまとわりついているのを、郁は認めた。
(紫のオーラ!)
「妖精さん……っ!」
郁が呼びかけると、朱妖精がポケットから飛び出した。すぐさま朱色の力が郁に送られる。
郁は全身に力を込めた。何物も弾(はじ)くかのように。
パン、という手応えがして、紫のオーラは朱色のオーラに吹き飛ばされた。
「なんだ、もう慣れたのかよ。つまんねー」
少し離れたところから、声がした。
郁は素早く立ち上がって、そちらを睨んだ。
「おっと、またやっちまった」
そこには松浦が、口を押さえて立っていた。
郁の記憶は曖昧(あいまい)だったが、見覚えがある気がしたし、三杉中学の制服を着ていることが裏付けになった。
「あんた、紫妖精で悪さしてる奴ね!?」
「なんだよ今更……って、記憶が無いのか。松浦(まつうら)朔久(さく)だ。またよろしくな、宮本サン?」
「誰がよろしくするもんか!」
郁はオーラをまとって身構える。
松浦は両手を挙げた。降参するように。
「そんなに怒るなって。なんとも無かっただろ?」
「なんともなかった、だって!?」
郁は怒りで髪が逆立つようだった。
「最悪な気分にさせられたよ! こんな、人を傷つけて、何が楽しいの!?」
そういうと、松浦は一瞬無表情になり、それから、ニンマリと笑った。
「全てが楽しいね。今までで一番楽しいよ」
「……最低!!」
「最低なのはこの世の中だろ?」
松浦は紫の力を両手の間で固めた。固まった紫のオーラは一枚の板のようになる。
松浦が手を翳すと、オーラの板は郁めがけてビュンッと飛んできた。
「っ!」
郁は飛び退き、なんとか避ける。
その間にも、松浦は次の板を出現させていた。
「世の中、なにもかもつまんねー。もっと怒ったり、暴れたりする奴が居たって良いはずだろ? 良い子ちゃんぶって、気色悪いったらねぇな」
ビュンッ ビュンッ!
板が立て続けに発射される。
一枚は避けるが、もう一枚が追撃してくる。
郁は両手で身を庇った。
朱色のオーラが強く全身を包む。
バキャンッ
郁にぶつかった紫の板は、ガラスのように粉々になった。朱の力で郁の体が強化され、紫の板より強くなっているのだ。
郁は両手を見下ろす。それから、身構え直す。
松浦は板を二枚繰り出して、郁の両サイドに飛ばした。
板は旋回して、郁を挟み込もうとしてくる。
たしかに、板より体が強化されていても、挟まれれば苦しいだろう。
郁は右から来る板に狙いを定めた。
両手を突き出し、突き飛ばす。
バリンッ!
右から来た板は、突き飛ばされて砕け散った。
左から、ドンッと板が当たる。
郁は向きを変えると、板を振り払った。
「このぉ!」
バキャッ
左から来た板も粉砕された。
「あははは! 宮本サン、強ぇな! もっと遊ぼうぜ!」
楽しそうに松浦は笑った。笑って、板を次々と繰り出した。
郁は強化された足でステップを踏み、素早く板を避けていく。しかしバックステップするうちに、壁際に追い詰められてしまった。板は容赦なく狙ってくる。
郁は大きくジャンプしてそれを避けた。
空中に居るところも狙われる。飛んできた板は、両手で体を守って砕き、やり過ごす。
スタッと着地すると、そこは松浦の目の前だった。
松浦が『しまった』と顔をゆがめる。
郁は、松浦の傍(かたわ)らの紫妖精に向けて、両手を突き出した。
ガキィッ!
固い音と共に、重い手応えがあった。松浦が、ひときわ分厚い紫の板を作りだし、妖精を守ったのだ。さしもの朱の力でも砕けず、ひびが入るにとどまる。
郁の両手はジィンとしびれた。
大きく飛び退いて、距離を取る。
郁と松浦はにらみ合った。
「――みんな暴れたいはずって、どういう意味!?」
郁がまた尋ねる。
「みんなクソだってことだよ。学校・友達・家庭・塾、どこもクソ人間ばっかりで、気持ち悪いったらねぇ。本当は自分の手で殴りてぇよ。みんな思ってんだろ? 『こいつ殴りてぇ』って」
「……それは、すごくわかるけど」
郁は視線を落とした。不服(ふふく)だが、今、周囲の人を攻撃したい気持ちが、分かってしまう。明日ひなちゃんと会って、自分は平静(へいせい)でいられるだろうか?
だが松浦は、面白くなさそうに片目を細めた。
「はぁ? お前の父親、不倫してんの? 女ばっかで帰ってこねぇの? 機嫌悪いと子供にも他人にも暴力振るう奴? 違うだろ。勝手に分かってんじゃねぇよ」
「不倫はしてないけど、母親が家にほぼ居ないかな。おかげで家の掃除は私の担当。居たら居たでヒステリーだし、人の性格勝手に決めつけてくるし。挙げ句に、彼氏できたのーとか、過干渉(かかんしょう)。居ない方が良いって気持ちは分かるよ」
松浦はいつしか、真剣な表情になっていた。
飛ばそうと構えていた紫の板が、消える。
「……ほとんど居ないのに過干渉って、わけわかんねーな?」
「本当に。たまに居て、余計なことだけ言ってくるって、最悪」
郁と松浦は、しばしにらみ合った。
やがて松浦が、完全に紫の力を引っ込める。
「わーかった。宮本サンに免じて、今日はやめてやるよ」
松浦は構えるのをやめた。妖精を引き連れて、立ち去ろうとする。
紫の妖精は、少しぐったりして見えた。
「あの!」
郁は思わず声を掛けていた。
「ん?」
「妖精さん、もっと声とか、掛けてあげて。嬉しそうにするから」
「……考えとくよ」
松浦は紫妖精を手に乗せて、チラリと見やると、ブレザーのポケットに入れて今度こそ立ち去った。
郁は力が抜けて、またうずくまってしまった。
朱色の妖精が寄り添う。
「ありがとうね。あなたのおかげで、松浦さんと話ができたよ」
声を掛けると、朱妖精は嬉しそうにクルクルと回った。
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