第7話

【7】


 「あ、郁ちゃんおはよう~」

 いつもと変わらず、ひなちゃんとすずちゃんは挨拶してくる。

 郁は少し離れたところで立ち止まってしまった。

 「……おはよ」

 なんとか一言だけ絞り出し、足早に席へと向かった。


 休み時間、

 「なあ、宮本」

 と奏太が声を掛けてくるが、

 「ごめん、トイレ」

 素っ気なく言って、郁は席を立った。

 本当は、昨日、松浦と戦ったことを、奏太に話すべきなのだろう。

 けれど。

 (ひそひそ話、聞こえてるんだよ……)

 わざと聞こえるように話しているのかもしれない。郁はやりきれない思いで、廊下をどこまでも遠くへ進んだ。


 それから、ひなちゃん達や奏太は話しかけてこなかった。

 休み時間も、本を読んで過ごす。

 学校で一人で居るのは、とても気楽で快適だったが、とても浮いている(・・・・・)感じがした。


「はぁ……」

 帰り道、思わずため息が出てしまう。

 望んで一人で帰るのと、誰からも声を掛けられず一人寂しく帰るのとでは、同じ一人でも、大きく違った。

 いや、声は掛けられそうだったのだ。校門で、ひなちゃん達が待っていた。

 郁はそれを避けて、裏門から帰ったのだった。

 いつもと違う帰り道。それだけが気を紛らわしてくれた。

 帰ったらまた掃除機で、母の顔色をうかがわなければならないと思うと、吐き気がするかのようだけれど。

 「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

 突然、後ろから声を掛けられた。

 自分に向けられたらしい声に、郁は振り返る。

 見ると、住宅街の路地を、真音(まのん)が小走りに追いかけてきていた。

 「真音ちゃん!」

 「お姉ちゃん、帰り道?」

 「マノン! 飛び出したら危ないです!」

 真音を追いかけて、長身の男性が走ってきた。外国人だ。肌や髪の色が薄く、目鼻立ちがくっきりしている。

 二人はどうやら、住宅地内の小さな公園から出て来たようだ。

 「真音ちゃん、一人で遊んでたの?」

 「ううん、パパと遊んでた」

 「パパって……」

 真音が振り返って、外国人男性を見る。

 もしや、と思ったが、そのまさかだ。

 「エルノーさん!?」

 「ハイ! 真音の父の、Paul(ポール) Ernaux(エルノー)です!」

 「パパ、お姉ちゃん、朱色の妖精を見つけてくれた人」

 「み、宮本郁です! はじめまして」

 「おお! ユウトたちから聞いています! 見つけてくれて、ありがとうございます」

 郁がぺこりとお辞儀(じぎ)をすると、ポールも深々とお辞儀を返した。

 郁は制服のポケットから朱妖精を取り出した。妖精はフワリと飛び上がり、郁の周りを漂う。

 「ああ、本当に……! イク、本当にありがとう」

 「い、いえ、私は何も」

 「見つけてくれて、私はとても助かった。あなたはとても偉大なことをしました!」

 ポールは満面の笑みを郁に向けた。

 お国柄だろうか、感情表現が大げさだ。

 郁はドギマギして、視線をうろつかせた。

 ポールは真音を手招きする。真音はその足に掴まった。

 「マノンとも、仲良くしてくれて感謝です。よかったら、一緒に遊んでください。マノンはいつも、家で遊んでばかりだから」

 「あ、私も本を読むのが一番好きです。家で遊ぶのが好きなのは、悪いことでは無いですよ」

 「おお、そうですね! 失礼しました。実はマノンは、全く友達と外で遊ばないのです。妖精の秘密を守るために」

 「えっ! そうなの?」

 郁は真音に目線を合わせる。

 真音は小さく頷いた。

 「学童保育では遊ぶ。でも外では遊ばない。だって、妖精のことを言うと、みんな変な子って、陰で笑うの。みんなと遊ぶの、やだ」

 「保育園の頃、それでからかわれたみたいで」

 ポールが苦笑いする。真音はますますポールの足にしがみついた。ポールは頭をなでて、真音をなだめる。

 「マノンは変じゃ無いです。日本の人、親切です。分かってくれる人も居る。仲良し、見つけて欲しいです」

 「……エルノーさんは、日本がお好きなんですね」

 「ハイ!」

 ポールは明るく答えた。

 「フランスの次に好きです! 私ははじめ、フランス料理が馴染み無い場所で、レストランをやりたくて、ノルウェーに行きました。けど、日本料理に出会って、フランス料理だけが最高の料理じゃないと知りました。日本に来て、冷たい人も居たけど、素晴らしい仲間に出会えて、色んな人に助けられました。冷たい人より、親切な人の方が多いです! 秘密があったって、受け入れてくれる人も沢山います」

 ポールはどこまでも明るい。本当に良い出会いがあったのだろうと、伝わる。

 郁は、結翔や志希がこの人を師匠と慕う理由が、少し分かる気がした。

 「異国で素敵な人を見つけられるなんて、すごいです」

 「それが解るイクも、素敵な人ですよ、Belle(ベル) femme(ファム).」

 最後のフランス語はよく分からなかったが、褒められたことだけは伝わった。

 郁はむず痒くなって、首をすくめてしまう。

 「フランスが一番好きなら、いつか帰ってしまうんですか?」

 そうしたらそのとき、妖精も連れて行ってしまうのだろうか。

 「そうですね、おじいさんになったら、フランスで店をやるのも良いかもしれません。今は、マノンとオトハと、日本で暮らしたいと思っています」

「音羽(おとは)って、ママの名前」

真音が注釈を入れる。

 郁は胸をなで下ろした。それから、また真音に視線を合わせた。

 「よし、じゃあ真音ちゃん、遊ぼっか。何が好き? ブランコ? シーソー?」

 「ブランコ! こっちこっち」

 真音はポールから離れると、郁の手を引いて公園に向かった。


 郁は真音と、日が暮れるまで公園で遊んだ。

 それから郁は、図書館では無く、大きな書店に寄って、帰った。

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