第5話
【5】
郁と奏太は、また喫茶エルノーに招待された。
店は相変わらずモノトーンで落ち着いていて、二名ほどの客がコーヒーを楽しんでいる。
結翔はカウンターに入る前に、エプロンを取り替えた。
「まずは、二人が無事でなによりだよ。コーヒーを淹(い)れるから座って」
促されて、郁と奏太はカウンターに腰掛ける。
店主の知り合いが来たと見てか、客はパラパラと帰っていき、カフェオレが淹れられる頃には、他の客はいなくなった。
カフェオレが目の前に置かれる。
「あの、お店は大丈夫だったんですか?」
奏太が尋ねた。呼び出してしまったが、結翔は勤務中だったはずなのだ。
結翔はニコリと笑った。
「志希に任せたから大丈夫だよ。志希もコーヒーの勉強をしているんだ。それに、僕は一応店主だけど、エルノー氏に雇われている身でね。雇われマスターっていうやつだね。売り上げで収入が変わったりしないから、大丈夫」
「そう……ならよかったです」
結翔の話は少し難しく、分からないところもあったが、とりあえず大丈夫と言うことらしいので、奏太はそう納得した。
カフェオレをすする。やはり結翔のカフェオレは、どこのコーヒーより美味しい。
郁と奏太は『ふぅー』と息をついてしまった。コーヒーの香りで、ようやく緊張が解けたのだ。
あのときはとっさで、勢いで臆(おく)せず対決してしまったが、今考えると、身震いがした。
他人に簡単に妖精の力を向ける、そんな人たちに襲われた、なんて。
「あの人達……なんなのかな」
郁がポツリと言った。
「なんか、名乗ってたような……」
郁も奏太も記憶をたどろうとするが、やはりぼやけていて、姿や会話を明確に思い出すことができない。
「三杉中学の制服だったのは確かだよね」
「うん」
「それで、妖精を渡せって言ってたような」
「言ってた言ってた」
「妖精の真価がどうとか……」
「それだ。自分が一番真価を発揮させられる、正当な持ち主だ――みたいに言ってたはずだ」
二人が思案するのを、結翔はグラスを磨きながら聞いている。
奏太は結翔に向き直った。
「佐々木さん。妖精の真価ってなんですか? 正当な持ち主って、どうやって決まるんですか?」
「さて、なんだろうね。妖精はただ存在するだけだよ。何かができるから価値がある、というものじゃない、と僕は思っているけれど。ああでも、正当な持ち主というなら、一つ基準があるよ」
「基準って!?」
二人が身を乗り出すと、結翔はニコリと笑った。
「丁度、今日ここに来ていてね。志希、来てくれ」
店の奥に結翔は声をかけた。
物音がして、志希がやってくる。
しかし、やってきたのは志希だけでは無かった。その足下に、小さい人影がある。まだ六歳ほどの、小さな少女だ。
「……!」
その容姿に、郁は少し息を呑んだ。
少女の肌は、まるで陽に当たったことがないかのように白く、しかし瞳は大きな黒真珠のようで、顔立ち全体がくっきりとしている。まるでビスクドールのように可愛らしい容姿だった。
心細いのか、少女は志希の足に掴まっており、結翔が手招きすると、今度は結翔の足に掴まり直した。
その右手には、少女の手には余るような、大きな光る瓶が抱えられていた。
結翔が少女を示す。
「この子は阿部(あべ)真音(まのん)。別名、マノン・エルノー。エルノー氏の一人娘だよ」
(例の、エルノー氏の!)
郁と奏太は驚く。何か言わなければと、慌てて言葉を探した。
「は、はじめまして! 宮本郁です」
「堤奏太です」
「真音、ご挨拶できる?」
結翔が促すと、少女・真音は、こくりと頷いた。
「阿部・真音・エルノーです。お二人が、朱と青の妖精を見つけてくれたって聞きました。ありがとうございます」
ぺこり、と真音は深くお辞儀した。
「い、いえいえ」
郁もついお辞儀を返してしまう。
「……その、持ってる瓶は?」
奏太が控えめに訊いた。
見た瞬間から気になっていたのだ。なにしろ、瓶は中が金色に光っていたのだから。
真音は両手で瓶をかざして見せた。
「これは、妖精のおうちです」
「妖精の、おうち?」
「うん。パパが用意した、妖精のおうち。妖精達はほんとうは、ここに住んでいるはずだったんです」
「真音、お姉ちゃん達に瓶を貸してあげてもいいかい?」
「うん」
結翔が訊くと、真音は聞き分けよく瓶を郁に渡した。
渡されて、郁はどうしていいか分からない。
綺麗な瓶だ。隙間無く模様(もよう)が彫(ほ)られていて、中身はハッキリとは見えず、ただ金色の光が中から漏れて、模様に乱反射している。
結翔は、
「開けてみてくれるかい?」
と促した。
瓶は大きなコルクで栓をされていた。直径十五センチほどのコルク。郁は手を大きく広げて、コルクに指をかける。
けれど、いくら引っ張っても、コルクはビクともしなかった。
「か、固い……」
「え? 貸して」
奏太が瓶を受け取り、同じようにコルクに手をかける。
ミシミシときしむ(・・・)が、やはり栓は少しも動かなかった。
「本当だ……すごく固い」
真音が両手を差し出したので、奏太は瓶を返した。
真音が小さな手をコルクにかける。
ポンッ
「え!?」
「嘘だろ?」
小気味よい音を立てて、コルクは難なく開いた。郁達は驚く。
結翔はクスクスと笑った。
「そう、真音以外にはとても固い栓なんだ。でも、この子には簡単に開けられる。――これが、妖精の〝真の持ち主〟の証拠かな」
「お前はまた、人をからかうような真似(まね)を……」
志希がギロリと結翔を睨んだ。
結翔は両手を挙げて、ホールドアップする。
「聞くより体感する方が早いじゃないか。僕らもそうだっただろう?」
「ふんっ」
志希は〝気に入らない〟という風に、そっぽを向いた。
真音が開けた瓶から、金色の妖精が、ひょっこり顔を出した。
朱の妖精と青の妖精が、金の妖精に駆け寄る。金の妖精は顔を輝かせ、手を取り合ってクルクル回り始めた。
再会を喜んでいるようだ。
「妖精の家を開け閉めできるから、エルノーさんや真音ちゃんが正当な妖精の主(あるじ)、ってことですね」
郁がそうまとめた。
結翔と志希は一瞬顔を見合わせた。
「――それでいうと、今は、真音だけが、正当な持ち主になるかな」
「え?」
聞き返すと、志希が重々しく口を開いた。
「エルノー氏は、妖精と交流する力を失ってしまったんだ。……五年前、交通事故を起こして。飛び出しを避けて電柱に突っ込んで、命に関わるほどの大怪我をした。それ以来、な」
郁と奏太は絶句した。
命の関わるほどの怪我、なんて、二人には想像もつかない。
結翔が話を続ける。
「真音は当時まだ一歳でね。エルノー氏の奥さん……阿部さんは、真音を育てるのとエルノー氏の看病で大変だった。あるとき、阿部さんが目を離した隙に、真音が妖精の瓶を開けてしまった。エルノー氏に妖精を統べる力がなくなっていたから、妖精は散り散りになってしまったんだ」
「当時は真音が瓶を開けられることも、エルノー氏が妖精と交流できなくなっていることも分かっていなかったから、驚いたよ。私と結翔で探し回って、なんとか三匹は懐かせたし、他のも町内にいることは把握(はあく)したんだが。三匹を瓶に返しても、すぐ私たちの元に戻ってきてしまってな」
志希が言うと、真音が口を開いた。
「あのね、パパは〝弱い心〟になったから、妖精が懐かなくなったんだって。真音が妖精をおうちに集めるのには、真音も〝強い人〟にならないとダメなんだって。それでね、いろんなけいけん(・・・・)をして、大人にならなきゃいけないって」
「強い、大人」
郁と奏太は復唱する。
結翔と志希は、顔を見合わせて苦笑した。
「エルノー氏だから許される発言だよなぁ」
「ああ。エルノー氏以外が言ったら、殴っているところだ」
郁と奏太は思案する。
「……今日襲ってきた人たちは、強い心があって、妖精を全員従わせようとしてるんでしょうか」
「さあ、彼らがそこまで理解しているかは、分からないけれど。二匹も妖精を持っているなら、妖精を統べる自信くらいは、あるのかもしれないね」
今度は奏太が尋ねる。
「真音ちゃんが妖精を統べられる大人になるまでって、いつぐらいまでですか?」
結翔は少し苦く笑った。
「僕たちは、十六歳で一度、妖精を瓶に集められないか試そうと思っているよ。だから、あと十年だね」
「十年……」
郁と奏太は声をそろえた。
「十年後って」
「想像もつかないな……」
カフェを出たのは、また十八時を回った頃だった。
帰り道が分かれるまで、二人並んで歩く。
「なんか、すごい話だったね」
「そうだな……」
二人は未だに現実感がわかなかった。
「妖精を悪用する二人組が居て? 妖精を統べる本当の主の真音ちゃんが居て、真音ちゃんに妖精を返すのは十年後で……」
「妖精を持ち込んだエルノーさんは、命に関わる怪我をして、もう妖精と交流できない、だったな。本当、とんでもない話だよ」
「……でも、本当に大変なのは、真音ちゃんだよね」
「そうだな。俺たちはあくまで巻き込まれただけ。しゃしゃり出た外野って感じだな」
「あーあ、そっかー」
残念そうに郁が言った。
奏太は郁を見やる。
「あーあ、って、宮本」
「ごめんごめん。でも、妖精の瓶を開けられなかったの、なんだか悔しくて。妖精と出会ったとき、私、すごく特別なことが始まった気がしたの。でも、私は特別じゃ無かったんだって分かったら、なんだかがっかりしちゃって。はは、性格悪いね、ごめん」
「宮本……」
郁は奏太の一歩先を歩く。
自嘲するその表情は、奏太からは見えなかった。
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