第3話

【3】


 奏太が郁から連絡を受けたのは、塾の中でだった。

 塾と言っても、今日は自習スペースを使っていただけだった。連絡を見て、慌てて飛び出す。

 指定された場所に行くと、郁と、長身の大人が待っていた。

 「堤君! 急にごめんね」

 「それはいい、それは。これはどういうことだ?」

 奏太は電話を突きつけた。郁から来た連絡の文章を。

 『妖精のこと知ってるお兄さんに声かけられたから、堤君も来られたら来て? 場所は――』

 郁は首をかしげる。

 「事実をそのままだけど」

 「怪しい大人の男に声かけられた、みたいだろ。 心配するだろ?」

 奏太が怒ると、隣の青年がクスクスと笑った。

 「怪しい大人が声をかけたのは本当だなぁ。飛んできてくれてありがとう」

 奏太は青年を見上げる。

 身長は一八〇センチ近いんじゃないかと言うくらい。細身で、白シャツに黒いスラックスという、小綺麗(こぎれい)な見た目をしている。

 「あんたが、妖精のこと知ってるって?」

 「そうだね」

 青年はスッと人差し指を立てた。

 呼び出されるように、二匹の羽虫が飛んできた。いや、羽虫では無い、小さな人間の姿をした妖精だ。色は緑と灰色――銀色だろうか?

 郁と奏太は目を見開いた。

 「すごい、本当に妖精だ……!」

 「二匹も!? どっちもあんたの妖精なのか?」

 「うん、僕に懐いてくれている妖精だね。君たちに懐いているもののお仲間だよ。――座って話そうか。こっちにおいで」

 青年は先導して歩き始めた。郁がその後に続く。しかし、奏太がそれを引き留めた。

 「なに?」

 郁がたずねる。

 奏太は、

 「なについていこうとしてるんだよ。知らない大人だぞ?」

 と呆れた。

 いくら妖精を連れているからと言って――だからこそ余計、知らない場所に着いていくなんて、不用心(ぶようじん)だ。

 「そうだね、君はえらいね」

 すぐそばから青年の声がした。

 奏太は飛び上がる。

 先に行ったはずの青年は、すぐ近くまで戻ってきていた。

 「僕はこういう者です。佐々木(ささき)結翔(ゆうと)。カフェを経営してる。なんだったら、おうちの人に、この店に寄って帰ると連絡したら良いよ」

 差し出されたのは名刺と、お店のカードだった。〝喫茶エルノー〟と書かれていた。


 喫茶エルノーは、表通りに面したビルの二階にある、静かなカフェだった。

 ソファは、金属の骨組みに黒い革張り。テーブルは白で、モノトーンでまとめられている。背の高いカウンターの他に、二人がけテーブルが四つある程度の、小さな店だ。

 夕飯前の時間帯だからか、店にお客はいなかった。

 結翔はカウンターの中に入ると、エプロンを身につける。

 「座って。コーヒーは飲めるかい? カフェオレにしようか。ごちそうするから安心して」

 にこやかに勧められて、郁と奏太は顔を見合わせる。

 けれど、ここまで来たんだから、と、言われたとおりカウンターに着席した。

 結翔は器具を操作し、手際よくコーヒーを準備していく。豆を砕いたところから、香ばしいコーヒーの香りが店を満たした。

 「妖精を出しても良いよ。他にお客さんもいないしね」

 結翔の妖精が、どこからともなく現れて、店を自由に飛び始める。

緑の妖精は窓際に座ると、そこに落ち着いた。そこが定位置のようだ。

銀の妖精は、シーリングライトの近くを元気に飛び回っていた。羽や体がライトに照らされて、キラキラとよく光る。まるで自身の光を強調しているようだ。

 二人もそれを見て、ポケットから妖精を出した。

 郁の朱色の妖精は、銀の妖精を追いかけて、一緒になって飛び回り始めた。銀の妖精が気付くと、向かい合って手遊びを始める。とても仲が良さそうだ。

 奏太の青の妖精も、緑の妖精に近づく。緑妖精は気付くと、向かい側のスペースを青妖精に手で示した。青妖精はそこに座る。緑と青はそれ以上触れ合うこと無く、落ち着いてそこに座っていた。

 「二人とも、嬉しそうだね」

 「そうだな……」

 「やっぱり、お仲間だったんだよ」

 「それはそうだろうけど……」

 郁は妖精たちの様子を微笑ましく思うが、奏太はまだ警戒した顔だ。

 妖精同士が仲間でも、それを扱う人間が味方かどうか、わからないからだ。

 二人の前にコースターが置かれ、その上にグラスが置かれる。中にはたっぷりのカフェオレと氷が入っていた。

 「どうぞ」

 結翔がとびきりの笑顔で勧めた。

 ストローを取り出し、二人はカフェオレをすする。

 とても香ばしくて、少しの苦み。けれど、牛乳の甘みで耐えられるくらいだ。飲み応えがあるものの、後口はスッキリしていて、とても飲みやすかった。こんなおいしいコーヒーを飲んだのは、二人は初めてだった。

 「すごくおいしいです」

 郁が率直に言う。

 「ありがとう。二人に合わせたブレンドにしたんだ」

 結翔はうれしそうに答えた。

 「ん、ゴホン」

 奏太はコーヒーを置くと、一つ咳払いした。コーヒーのおいしさに、うっかり本題を忘れそうになっていた。

 「ええと、佐々木さん」

 「なんだい? 少年」

 「……堤です」

 「宮本郁、大楢(おおなら)中学校一年生です」

 ぼかして名乗る奏太と、丁寧に自己紹介する郁。

奏太は、頭痛がしそうなおでこを押さえながら、続けた。

 「妖精について知ってるんですよね? 教えてくれませんか?」

 「いいよ。どこから話そうか。聞きたいことはあるかい?」

 聞き返されて、奏太は押し黙る。いざきかれると、困ってしまう。

すると郁が挙手した。

 「あの、この妖精って、本当に妖精なんですか? 絵本に出てくるみたいな」

 「その通りだよ。もとは北欧に居たらしいから。妖精の童話は欧州が発祥だろうから、まさに絵本の妖精そのものだよ」

 結翔はさらさらと答えた。

 郁は奏太に耳打ちする。

 「ほくおう……ってどこだっけ?」

 「え、北のヨーロッパ……だろ?」

 結翔はタブレット端末で地図を出した。

 「ほら、このフィンランドとか、ノルウェーとか。この辺りが北欧だよ」

 「へぇ~。フィンランドから来たんですか? 妖精は」

 「そこは、よく分からないんだ。妖精を連れてきた人が、記憶が曖昧(あいまい)でね。多分ノルウェーだと思う、だってさ」

 「妖精を連れてきた人が居るんですね。誰なんですか、それは」

 「ポール・エルノー氏。フランス人の料理人だよ」

 郁がまばたきする。

 「エルノーさん? このお店の名前って……」

 「その通り、よく気付いたね。この店はエルノー氏から名前をもらっている。僕はエルノー氏の弟子なんだ」

 そういう結翔は少し誇らしそうだった。

 奏太は思案顔になる。

 「妖精を持ってきた、エルノー氏……じゃあ、その人が妖精全員の飼い主ってことですか? なんで放し飼いにして、俺たちに連れ歩かせてるんですか?」

 「ふふ、放し飼いか。エルノー氏も好きで妖精を野放しにしているんじゃ無いんだ。ちょっとした事故が、色々重なってね」

 「ちょっとした事故って?」

 郁が聞き返した。

 そのとき、店の奥から

 「結翔、帰ったのか? お客さん?」

 と、かすかな声が聞こえてきた。

 見ると、奥からエプロン姿の女性が顔をのぞかせた。

 女性にしては長身で、スタイルも良い。バンダナで髪をまとめていて、袖まくりしているのが特徴的だ。

 「志(し)希(き)。こちら、朱色と青色の妖精の持ち主さん」

 結翔は郁達を示して紹介した。

 志希、と呼ばれた女性は、結翔と郁たちを交互に見る。

 すると、志希は突然目をつり上げた。ツカツカと結翔に歩み寄る。

 そして、


 スパーン!


 その頭を勢いよくたたいた。

 「子供じゃないか! なに連れ込んでいるんだ! 親御さんの了承はとったの!?」

 「連絡して良いとは伝えたよー」

 「余計怪しいだろ! お前はただでもうさん(・・・)臭い(・・)んだ。言動に気をつけろ、言動に!」

 郁と奏太はポカンとしてしまった。突然現れて、ずいぶんはすっぱ(・・・・)な物言いの女性だ。

 二人の様子に気がついて、志希は改めて二人に向き直った。

 「私は葛西(かさい)志(し)希(き)。この店で料理を担当している。この怪しい男・佐々木結翔と同じく、エルノー氏の弟子だったんだ」

 「はあ……あ、宮本郁です」

 「堤奏太です」

 「私たち、妖精と仲良くなったんです。私が朱色、堤君が青色」

 郁が自己紹介すると、志希は強面(こわもて)をゆるめ、驚いた顔になった。

 「そうか、朱色と青色を……! 見つけてくれたんだな、礼を言う」

 「い、いえいえそんな」

 郁は手をパタパタと振る。

 志希は腕組みをして結翔を見た。

 「で、どこまで話した?」

 「なんで妖精を放し飼いにしているのかって、訊かれたところだよ」

 「放し飼い……」

 志希は難しい顔で口を閉じてしまった。

 結翔が郁達に向き直る。

 「さっき言ったように、妖精がバラバラになってしまったのは、事故なんだ。僕たちも探して、見つけた分は保護していたんだけれど。志希も一匹持っているんだよ」

 「ああ」

 志希が店の奥へ手招きする。

 黄色い羽虫が飛んできて、志希の手にとまった。

 黄色の妖精だ。

 「僕の銀と緑、志希の黄色。あと、金色の妖精は、居場所が分かっている。妖精はあと五匹居るはずで、僕らはその全てを集めたいと思っていたんだ」

 「妖精は、いたずら者だからな。人間に懐けば言うことを聞くが、野放しにすると何をするか分からない。だから集めなきゃならないんだ」

 「なるほど……」

 奏太は、結翔が事情を説明しようとした理由も、志希がお礼を言ってきた理由も、これで分かった気がした。

 郁は、おずおずと挙手をした。

 「あの、私、紫の妖精を見たかもしれません」

 「なに!?」

 志希が食いついた。

 しかし郁は、しょんぼりと肩を縮めている。

 結翔は訳知り顔でうなずいた。

 「どこで見たのか、教えてくれるかい?」

 「今日、公民館の前で……三杉中学の制服を着た男の子が、連れていました。それで、妖精の力を使って、大人の人を暴れさせていたみたいなんです」

 「妖精の力で、人を暴れさせる!?」

 奏太はオウム返しにした。青や朱の妖精の力では、とてもそんなことはできない。

 だが、結翔と志希は顔を見合わせていた。

 「そうか……三杉中の少年、ね。妖精の中には、確かに人の気分をあやつれる物もいるんだ。紫の妖精は、乱暴な気分を強めて、暴れさせたんだろうね」

 「他の妖精も人の手に渡っているとは思っていた。けれど、そういう奴に渡っていたか……」

 結翔は〝困ったなぁ〟と笑い、志希は険しい顔で黙ってしまった。

 そのとき、


 ボーン ボーン


 店の壁にある、振り子時計が鳴った。十八時を知らせる音だ。

 「おっと、ずいぶん引き留めてしまったね。今日は聞いてくれてありがとう。そろそろお帰り」

 結翔は気を取り直して、笑顔で郁達を促した。

 二人は残ったカフェオレを慌てて飲み、荷物を持つ。

 「では、妖精はお返しします。ありがとうございました」

 奏太はそう言って礼をした。

 すると志希が、

 「待ってくれ」

 と止めた。

 「妖精は、引き続き君たちに持っていてもらいたいんだ」

 「どうしてですか? エルノーさんに返すべきでしょう」

 「事情があってな。エルノー氏は今、妖精を受け取れないんだ。準備が整うまで、妖精は君たちに持っていて欲しい。面倒をかけるが、お願いする」

 志希は頭を下げた。

 郁は飛んできた朱の妖精を手に乗せ、軽く握りしめる。

 「わかりました。準備できるまで、この子は任せてください!」

 「おい、宮本さん……」

 「だって、葛西さん達が受け取れないって言うんだよ? 妖精を預かって、責任を持って面倒を見るのが、私たちにできることじゃない?」

 「そうかもしれないけど……エルノーさんに返せなくても、せめて葛西さん達に預けるとか……」

 「ちなみに、朱色と青色は僕らに懐いていないから、ここに置いていっても君たちの所に勝手に行ってしまうんだよね」

 追い打ちのように結翔が言った。

 勝ち誇ったように郁は奏太を見た。

 「ほら!」

 「……わかったよ。責任を持って、お預かりします」

 「そう堅苦しく考えないで。たまに話しかけてあげるだけで、あとはずっとポケットに入れ居ていても大丈夫だから」

 「でも、悪用とか、絶対したくないんで」

 「ありがとう。良い子だね、堤君」

 そんな風に言われると、むずがゆくて、奏太はそっぽを向いた。


 店の外はまだ薄明るい。

 「じゃあ、また学校でね」

 郁が手を振る。

 「うん」

 奏太は素っ気なく返した。

 「ここにはいつでもおいで。何かあったら、名刺の番号に電話してね」

 見送る結翔がそう言った。

 

 奏太は帰路を歩き始める。

 (妖精を悪用する奴が居て、宮本さんはそれを見たのか……はぁ、心配だ、色々)

 足取りは決して軽くはならなかった。

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