第9話
焚き火の明かりが、風にゆれている。すっかり暗くなった村は静かで、向こうから川の流れる音がよく聞こえてきた。小さく乾いた音が、どこかで弾けた気がした。
「ここにいる理由……?」
ナツメの問いに、老人は火の奥を見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
「そう」
老人は火ばさみで木を動かしながら言った。
「みんな、流れ着いた。おかしな街からやってきて、誰かに声をかけられて、それで、ここにいる。"ここなら生きられる”って言葉を、信じて、な」
老人の声は淡々としていた。
ナツメは言葉を探しながら、散った火花を見つめる。燃えた木のはぜる音が、夜の沈黙を埋めた。
「それがいいんだ。自分でここに来て、残り、誰かと動く。それがこの村のやり方なんだ」
ナツメは頷いた。確かに、ここは穏やかで、あたたかい。誰かが笑えば、周りも笑う。手を貸せば、すぐに別の手が返ってくる。そんな空気の中にいると、自分も“何かをしてあげたい”と思えてくる。
「助け合うって、いいですね」
口に出してみると、思いのほか自然に聞こえた。
「そう思えるうちは、ここにいられるな」
老人は笑う。
ナツメは首をかしげた。
「どういう意味ですか?」
「他者に目がいくうちは、まだ“ひとり”じゃないってことだ」
「……なるほど」
老人は近くに座っていた青年に声をかけた。
「お前さんもそんな理由じゃなかったか?」
「ええ……、そうですね」
穏やかな表情の青年が答える。
小綺麗な白シャツに身を包み、綺麗に整えられた髪型は、残灯村ではあまり見ないが、都市核においてはよく見かけるような格好だ。
「わたしの場合は、都市の"支援"という名の押し付けに疲れたのが大きいですね」
人懐っこい笑顔を崩し、都市……E.L.S.I.Aへの怒りをあらわにした。
「まるで、"お前は何もできない、機械に従え"って言われてるようで」
「……」
生活のほぼ全て、特に朝の時間などは支援AIに頼り切っているナツメからすると、かなり鋭い意見だった。
「支援AI、助けてくれるじゃないですか」
「これがね、聞いてくださいよ」
ナツメの発言を聞き、青年は少し嬉しそうな顔をした。不思議なことに。
「わたしはここ数年、通勤から毎日の生活まで、支援AIの提案は無視していますよ。意外と、困りません」
「無視?」
「はい。通勤ルートだの、食事の提案も、全て無視しています。ホログラムを操作しなければ、ボットも何もしませんから」
「……考えたこともありませんでした」
「そうでしょう。あなたも、ぜひわずらわしい機械から離れてみてください」
あまりにも得意げな青年がおかしくて、ナツメはついからかってみたくなった。
「まるで、環外派みたいなことを言うんですね」
「やだなぁ」
青年はまたにっこり笑った。
「わたしは別にシステムを壊そうなんて思っていませんよ。この村の助け合いが好きで、わざわざここから職場まで通ってるんですから」
ナツメは青年の明るい表情につられて笑った。
「本当にこの村が好きなんですね」
老人の笑みが、ひんやりとした夜の風に吹かれた。
ナツメは手にしている椀を見つめる。魚の骨が一つ、底に沈んでいる。豊かな魚介の香りを立てていたスープが、今はただ小さな白い骨だけを残している。その変わりように、なぜかひどく虚しさを感じた。
「この村の人たち、みんな優しいですね」
「優しいよ。みんな、“そうするって決めた”からな」
「決めた?」
「自分でな。誰かに言われたんじゃなくて、“助け合おう”って自分で選んだんだ」
「自分で、選んだ……」
老人はそう言って笑う。その言葉には、どこか誇らしげな響きがあった。
ナツメはうなずいたものの、胸の奥に小さな違和感が残った。——本当にそうなのだろうか。アオヤマの言葉がまた頭の中で響く。
"もし、"選んだ”という感覚自体が、誰かの設計だったら、どうでしょうか"
焚き火の火がぱちりと音を立てた。
ナツメの周りでは、いつの間にか人々が立ち上がっていた。
誰かが声を上げたわけでもないのに、器を手に取り、列を作り始めていた。
「次のひとは洗い場の方へ!」「次!」
若い女の声が短く響く。
その声が届くより早く、人々は自然に動いていた。
息づかいも、足音も、同じ速度で重なっていく。
あまりに洗練された動きに、ひとりひとりが確かに“人”なのに、列の中では、不思議と誰の顔も浮かばない。
ナツメはふと、自分もその流れに足を出しかけていることに気づいた。
——まるで、流れに導かれたように。呼吸のリズムまで、列のそれと重なっていく。
「みんな、よく動きますね」
ナツメの言葉に、老人は満足げにうなずいた。
「それが、うちの“決まり”だからな。助け合いだ。誰かのために、誰かが動く」
焚き火の光が、赤くゆらめいて老人の頬を照らす。
その笑顔には、穏やかさと同時に、どこか"終わり"を受け入れたような静けさがあった。
列が進む。
器が水に沈み、また上がる。
誰が洗い、誰が受け取り、誰が拭いているのか——区別がつかない。
ナツメは、自分の輪郭が少しずつ薄れていく気がした。
ナツメはもう一度、椀の中を見つめた。底に残った白い骨が、光を反射して小さく揺れている。
“自分で選んだ”という言葉が、どうしても頭の中で引っかかった。
——誰かに背中を押されているだけなのかもしれない。
でも、押されて歩くことを“自分の意志”だと思えるのなら。
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