第8話
〇都市核北部
ホログラムの表示や音声案内が安定しなくなった道を歩きながら、ナツメはさっきのことを思い出していた。
"もし、"選んだ”という感覚自体が、誰かの設計だったら、どうでしょうか"
きっと、きっとそんなことはない。
だって、仕事終わりに残灯村に行ってみようと決めたのは、紛れもないわたしだから。
白い監獄から抜け出した、何にも縛られない暖かい生活。
あの火をまた囲いたい。
女性が担ぐ、自然から採れた魚をまた見たい。
"味"を感じたい。
洗濯物があちこちに干してあって、子どもが走り回る、自由な集合体。
それらを求めて来たのだから。
残灯村の人々は、前と変わらず生活していた。
「今日も、魚ですか?」
川辺から戻る女性に声をかける。魚は担いでいない。
「ああ、この前の」
女性はどこか嬉しそうに答えた。
「今日の担当は違うやつだけどね」
軽やかに笑うその声に、ナツメは思わず問い返す。
「当番があるんですか?」
「そうさね。食料担当、料理担当、なんでも仕事を振らないと、みんな働かなくなっちまうね」
「へぇ」
意外そうにナツメは答えた。
「ずっと魚係ってことですか?」
「こう見えてうまいんだよ。教えることが増えて来たくらいにはね」
含みのある言い方に気になり、不意に言葉が出た。
「ずっとこの村にいらっしゃるわけではないんですか?」
「最近からさね。わたしもあんたみたいに、ここが気に入ったのさ。だろ?」
「……はい。あの、」
「ごめんね、ちょっと呼ばれてんだ。また今度話そうね」
住んでみてどうですか、と聞きたかったが、女性は行ってしまった。
少し歩いて回ると、井戸の前に列ができているのを見つけた。
子どもから大人まで、手に鍋や桶を抱えて並んでいる。一人が水を汲み終えると、次の人にひしゃくを渡す。その動きは無駄がなく、誰も文句を言わない。
「水って……配ってるんですか?」
思わず尋ねたナツメに、先頭の少年が笑って答える。
「みんなの水だから!上手に使うんだよ。朝は飲む、昼は洗う、夜は火を消す。家では使い方が決まってんだー」
「使い方……?」
「うん。勝手に使うとめっちゃ怒られるんだよ」
少年は当たり前のように言い、またひしゃくを回した。
少し先では、女たちが服をすすいでいる。使う水は大事に少しずつ、最後のすすぎ水は丁寧に桶にためていた。残った水を畑の周りの花や背の高い野菜に撒く女性が見え、驚く。やりくりしているのだ。水を。都市核では考えられない。水を大事にしようなんて、考えたこともない。というか、そもそも水はボットが管理、運用している。自分がもし水を使うとなったら……、途端に枯渇するだろう、とナツメは想像し、身震いした。
「自分で生きるって、こういうことなんかな……」
アオヤマの問いの答えを求めて、わざわざ都市核の外まで歩いてたのだ。何か、見つかりそうな気がする。
気分を変えようと、村中央にある焚き火に向かう。パチパチと音を立てる火の周りに座ると、初老の男性が湯気の立つ椀を差し出した。
「はじめまして。ゆっくり過ごしてくれ」
「……いただきます」
少しの豆と魚の切り身を使った、透き通るスープだ。あたたかく、魚介の香りが立っている。魚がいつも採れるわけではないことを考えると、おそらく、この村では贅沢な部類に入るスープと思われる。
調理ボットが作った方が間違いなく美味しい。魚の鮮度を落とさないまま下処理を済ませ、食べやすくするべく骨や鱗を取り、香りや風味を飛ばさないように、絶妙な火加減でスープを作る。ボットならそれが叶う。しかし、そうではない。そうでは、ないのだ。
ナツメは食べる手を止めた。舌に広がるこの不均一な塩加減や、骨の欠片が残る舌触りが、なぜか胸に残って離れない。美味しい……美味しいと“感じて”いる?このスープは美味しいという感情を"選んだ"?
アオヤマの声が、スープの湯気にまじって蘇る。
——大切なのは結果ではありません。自分で選んだと“感じる”ことです。
温かさの中にいるのに……ひどく孤独を感じる。このスープを「美味しい」と思った感覚が、本当に自分のものかどうか、まるで——呼吸を意識すると途端に違和感を覚えるように、まばたきを数えると急に目を閉じるのが億劫になるように——自分の境界が曖昧になるが……、とはいえ、残灯村にセンサーはなく、支援AIもいないのであれば……今の感情こそが紛れもない自分のもので……そして、それこそが"自由"ということなのではないか、ぐるぐる、思考は止まらず、進み、だんだん気が遠くなる———。
ナツメは黙り込んでいき、やがて火を囲む人々の会話も途切れ、ひとりの女が立ち上がり、燃え切っていない薪を火ばさみで一つ取り除いた。
「では」
その声を合図にしたかのように、皆が静かに器を置く。木のテーブルとお椀がぶつかる。
「……え?」
こつんと揃った音にナツメはようやく気づき、思わず声を漏らす。隣の少年が囁いた。
「決まりなんだよ。食べ終わるのは、この合図のあと」
女性が薪をもう一度焚き火に戻す。がさっと灰が舞い、火花が散る。それを見届け、残灯村の人々はぐいとスープを飲み干した。
戸惑いながらも、見よう見まねで同様に器を傾け、スープを飲んだナツメは、周りを見渡す。
——村の人々と自分との間に、ほんの少し隙間が生まれた気がする。
「これは……どういうことですか?」
ナツメは尋ねる。
「しきたりみたいなもんだ」
近くにいた老人が、鋭い目をして言い放った。
「ここにいる理由だ」
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