第7話

アオヤマは掌を合わせたまま、声を低めた。

「残灯村の人々……彼らは、“自分で決めた感覚”に気づけませんでした。だから、孤立した。彼らは支援を拒み、結果として……自分たちで首を絞めたんです」

「……っ」

ナツメの心臓が大きく跳ねる。背中に冷たい汗が流れる。思わずソファーの縁を掴んだ。

アオヤマは静かに続ける。

「私たちは彼らを見捨てたわけではありません。むしろ最後まで寄り添おうとしました。ですが、根本的に支援を必要としていないと言われてしまうと、何もシステムは届きません。まるで、水を握りしめるようなものです」

声はやわらかい。けれど、その穏やかさがナツメの逃げ場を奪っていく。


「ナツメさん、あなたは違います。あなたには感覚がある。“自分で決めた”と確かに感じることができる。その力がある。だからこそ、私たちは安心して見守れるのです」

微笑んだまま、アオヤマの瞳がわずかに細められる。


「……ただし、もしその感覚を疑いすぎれば、残灯村と同じ轍を踏むかもしれませんね」


ナツメの呼吸が荒くなる。

(疑いすぎれば……?でも、何も疑わないのが、安心と言えるの?)

口を開こうとしたが、声が出ない。喉の奥が乾いて、言葉にならなかった。静寂の中、白い壁は無機質に圧迫してくる。わずかな自分の呼吸音が大きく響く。この部屋からは、もう逃げられないと思い知らされる。


その様子を見たアオヤマはゆっくりと立ち上がり、白い壁の前に歩み寄った。

「安心してください。あなたはまだ、"こちら側"にいます。選んでいる感覚を手放していません。だから呼んだのです。今日お話ししたのは……あなたが道を踏み外さないようにするため。共に歩みたいからです」


壁が淡く光り、青白い波形が流れた。それがナツメ自身の感情曲線だと、直感でわかった。

「あなたは今も、迷いながら選び取っている。迷うことは悪ではありません。むしろ健全です。ただし——迷いが増えすぎれば、システムはそれを“不安定”と判定する」


アオヤマは振り返り、ナツメに微笑んだ。

「ですから、"自分で選んだ感覚"を味わいましょう。ナツメさんなら、きっとできます」


優しい声だった。けれどナツメの耳には、判決のように響いた。


──この部屋は、牢獄だ。


ナツメはそう悟った。なんとか抗えないかと、震えながら口を開いた。

「……ですが、自分で選んだという感覚があればいい、というのは、いかにも極論なのではないでしょうか」

「ほう」

アオヤマは微笑んだまま、わずかに首を傾けた。ナツメの様子が変わったことを感じながら、手の震えを見逃さなかった。その瞳は優しいのに、すべてを見透かしているようで、逃げ場のない圧力を生んだ。

「自分で選んだという感覚だけでは足りない、ということですか?」

ナツメは小さく頷こうとしたが、喉の奥で言葉がもつれた。指先がソファの縁をなぞる。なんでこの人は、こんなに人間ぽくないんだろう。


アオヤマはゆっくりと頷き、ナツメの目をまっすぐに見た。

「確かにそうです。でも、それは単純な話ではありませんよ」

声は低く、柔らかい。けれどその柔らかさのなかに、確かな輪郭がある。ナツメはなぜか子どもの頃に親に諭されたような気分になった。安心していい、そのかわり正面から向き合いなさい、と。


「"選ぶ”という行為は、とても複雑で説明するのが難しいものです。ただし、重要なのはそこではない。すなわち、あなたがその感覚を”自分がやった行為”として受け取れるかどうかです」


アオヤマの言葉は優しいが、問いは確実に鋭かった。ナツメは胸の中で反論の火を焚こうとする。自分で歩いたからこそ、残灯村の匂いや温度を覚えている。火の暖かさ、帰る時の躊躇、全て自分の選択だったはずだ——。


「では、こう考えましょう。もし、"選んだ”という感覚自体が、誰かの設計だったら、どうでしょうか」

アオヤマは冷たく言い放った。

「そんなこと——」

ありえない。自分自身で考え抜いたから人間らしい。そう言いたかった。そう信じたい。しかし同時に、E.L.S.I.Aの存在が後ろにちらつく。いや、E.L.S.I.Aに限らない。


ナツメはこれまでの人生を反芻する。記憶のある、小学生の頃から、現在まで。全くの1人で、自分の意思を決めたことがあると、本当に言い切れるだろうか?何かを決定する際、誰かや何かがそばになかっただろうか?AIに限らず、両親、友達、広告、映像、ダイレクトマーケティング……。何か、与えられた環境や刺激の中から、自分が選び取っているだけではないのか?これが、誰かの設計と言えるとしたら……?


アオヤマは壁にを手を触れながら、ゆっくりと息を吐いた。

「なんて、脅すつもりはなかったんですよ。冗談です。ナツメさんは自分の意志で、何かを決め、ここまで来られました。だって、この面談も、拒否することができたはずですから」

その肯定はぬくもりを運ぶ。白い牢獄が、少しずつ色味を帯びていく。

「ナツメさんがここに来るまでに、何万、何億回もの決定があったはずです。その全てが誰かによるものなんて……、冗談でも笑えませんね。失礼しました」


室内の静けさが、だんだん現実らしくなってきた。外に出ればいつもの都市の均質な空気が待っている。ここから出よう。ここはあまりにも静かで、あまりにも、居心地が良すぎる。

だが、ここでの問いはナツメを離さない。アオヤマの言葉は寄り添い、しかし、静かに締め上げていた。気づけば彼女は、逃げ場のない監獄のなかで、自分の意思を試されているようだった。


「ここまでにしましょう。またお話しできるのを楽しみにしています」


アオヤマはそう言い、冗長に手を広げ、退室するよう促した。


「ありがとうございました」

「はい。また今度」


ナツメは逃げるようにして部屋を後にした。靴底が床に吸い付くような重みを感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る