第6話

「では、今日はなぜ呼ばれたのですか?」

ナツメの問いに、アオヤマは一瞬目を細めた。優しく微笑み、首を横に振る。


「安心してください。特別な問題があって呼んだわけではありません」

「……そうなんですか?」

「ええ。本題の前に、今のシステムについて、振り返らせてください。誤解されてる方もいらっしゃるから、ナツメさんにこそ、しっかりと理解していただきたい」


アオヤマは、指先を軽くひらめかせる。

再びホログラムが展開し、街の地図のような映像が浮かんだ。


「ご存じかもしれませんが、この都市核の中には膨大な数のセンサーが張り巡らされています。空気の流れを感じ取るように、あなたの呼吸、脈拍、そして神経の微かなうねり、微弱な脳波を拾います」


街の立体図の中に、点滅する光が網目のように走る。

「それらが、行動ログと感情曲線の基盤になっています。あなたが無意識に感じたわずかな感情、見た景色、やったこと、そうした事柄を数値に変換して記録する。だから、全ての人を管理し誰かが嘘をついてもすぐにわかる、というものではないんです。むしろ“その人らしさ”を浮かび上がらせるためのものです」


ナツメはホログラムを見上げ、わずかに眉をひそめた。

「……そんなに細かく、全部なんですね」

「はい。でもこれだけは誤解しないでくださいね」

にこやかなアオヤマの声は落ち着いていた。

「監視するためではありません。あなたを守るためにあるのです」

アオヤマはそう言いながら、こんとテーブルを叩き、わずかに背筋を伸ばした。その所作は穏やかさを欠片も含まない、どこか演説家めいていた。


ホログラムが切り替わり、今度は過去のデータが映し出された。21世紀初頭から右肩上がりになっている折れ線グラフである。精神疾患の発症数を示しているようだ。

「AIの発展に伴い、我々人類の生活はかつてないほど複雑化しました。ほんの数十年で、人は複雑な意思決定に日々何度も追われ、自分の気持ちを決定するのが難しくなったんです」


ビルのオフィスで頭を抱えたり、部屋から出られない子どもに声かける親の映像が流れる。数世紀前の歴史である。

「結果、年齢や性別を問わず多くの人が精神をすり減らし、決断を避けるようになった……AIに答えを委ねたのです。その方が楽ですから」

アオヤマは少し間を置いた。

「でも、人は弱かった」


今日のご飯や、行きたいところも、AIに尋ねている。ときには、近くにスタッフがいるにも関わらず、店員ではなく端末と会話している。友達に送るメッセージですら、自分で書く人は少なくなっていた。

「AIに依存し、日常生活の全ての意思決定を任せるようになったのです。だから国家は考えました。“どうすれば人は自分で選ぶ力を取り戻せるのか”と。その答えが――この感情や行動を記録し支援する、E.L.S.I.A(エルシア)です」

「共感学習型支援統合システム…」

アオヤマは、優しくナツメに視線を戻した。

「さすが、よく勉強されている」


ホログラムに浮かぶ映像に、Empathic Learning System for Integration and Assistance、"E.L.S.I.A"と上書きされた。

「行動ログは、あなたが選んだ行いを可視化します。感情曲線は、その時の心の揺れを支えます。そして、支援AIは……“誰かに丸ごと"ではなく、“自分で"決めやすいように支えるのです」

「……自分で、ですか」

「そう。相談を促し、ときに選択肢を整理する。けれど、最後に決めるのはあなた自身。国家は“自分で決めた”という実感を守ろうとしているんです。すなわち、ナツメさんが散歩する道を自分で決められたように」


ナツメは無意識に息をついた。

どこかで聞いた内容とはいえ、アオヤマの説明は理路整然としていて分かりやすかった。まるで幼い頃、親にいろんなことを教えてもらった時のように、素直に納得する。ただ、安心感が広がると同時に、胸の奥で小さな違和感がちくりと疼いた。

(……じゃあ、残灯村に行ったのもAIの提案だった?)

「でも……いや、たしかに、支援AIはいつも選択肢を提案します」

アオヤマは気づかぬふうで、柔らかく笑った。


「ナツメさんのように安定した方にこそ、この仕組みを理解していただけると助かります。ご理解いただけない方もいらっしゃいますが、……安心は、人から人へ伝わりますから」


その声音はナツメの耳に優しく届き、今ふと浮かんだ違和感を忘れさせるようだった。


「では、私は……このままで大丈夫なんですね」

「ええ。ナツメさんは、"選んで"います」

「……選んで?」

ナツメは思わず聞き返した。

アオヤマは微笑んだまま言葉を続けた。

「大切なのは結果ではありません。自分で選んだと感じることです。その感覚があれば、人は健やかに暮らしていけるんですよ」

「……」


ナツメの胸に、かすかな引っかかりが生まれた。

自分で選んだことを"感じること”が重要である、と。

それは──健全なのだろうか?

「自分で選んだという、感覚?」

「はい。これがまさに今日お話ししたかったところです」


笑みがさらに深くなる。目の奥が光り、白い部屋の輪郭がどこか冷たく硬く変わる。座り心地の良かったソファが、いつのまにか柔らかな檻へと変わっていくような感覚。

「ちなみに、選んでいる感覚を上手く感じることが難しい人々もいますね」

アオヤマはナツメの目をじっくりと見て言い放った。


「……残灯村のように」


その一言に、ナツメの心臓が早鐘を打ち始める。早くここから帰りたい。思考が言葉にならない。口の中がからからと乾く。ダレダコノヒトハ。ザントウムラナンテ、シラナイ……。


アオヤマは顔から笑みを消し、掌を組んだ。まるで指の節を探すように軽く擦ってから、その小さな合図のあと、——ゆっくりと掌を打った。ぱん、手のひらの音が、白い室内を割った。ナツメの目が覚める。


──まだ、帰れそうにない。

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