第3話

〇休日


"11:30、イズミと合流"


ラフな格好をしたナツメはホログラムをちらっと見た。

もう約束の時間は過ぎているが、イズミが現れる様子はない。最新の超高精度調理ボットが作るパスタ、とダイレクトマーケティングでうたわれていたことに惹かれ、旧友を誘いわざわざ北の方へ出てきたのだが。


北側の商業エリアは、昼前だというのに一定の人の流れがあった。その群れは、まるで同じ設計図で動いているかのように、同じ歩幅、同じ速さで進んでいく。誰も隣を見ず、誰も声を発さない。靴音だけが均一なリズムを刻み、街全体が一つの巨大なメトロノームのように響いていた。

ガラス張りの高層棟にはぎっしりテナントが入り、人工緑化された木々がまっすぐに並ぶ歩道をはるか高みから悠々とのぞいている。

風はほとんどないが、空調の吹き出しによる均質な空気が街全体を包み、温度も湿度も快適に保たれていた。それは香りであっても例外ではなく、路面に並ぶ店舗の中でも一際ホログラム表示がきらきらしてる建物からは、一定の間隔でトマトとバジルの香りが噴出され、道ゆく人を誘っている。


ナツメはホログラムをちらと見上げる。透明な空間に浮かんだ宣伝映像には、出来たてのパスタが湯気まで精緻に再現され、光の反射を受け赤々と輝くミートソースは、ナツメの食欲をぐんとかき立てた。

くうと小さくお腹がなる。


人の波は絶えず流れているのに、ここに自分だけが取り残されているような、妙な孤独感があった。透明な存在として、ただ街の背景に溶け込んでしまったような寒さ。

「おそいなぁ」

口の中で呟いた言葉は、誰の耳に届くものでもなかったが、整えられた空間の中で、この声だけはひどく目立つものとなった。


時計表示に目を戻すと、もう約束の時刻から20分は経っていた。

連絡も通じないし、どうしたのだろうとナツメが少し心配していたところ、通知が上書きされた。


"キャンセル:体調不良"

「あっ」


イズミはナツメの古くからの友人で、ともに学生生活を送った間柄である。久々に会えるのを楽しみにしていたために軽く落胆はしたが、昔からそのあたりがルーズだったのもあり、せっかく出てきた時間を活用するかと、ぽっかり空いた時間をどう使うか頭を切り替えていた。


「じゃあ……散歩でもするか」

ぽつりと呟いたのをきっかけに「ストレス低減」「ランダム」「運動効率」のルートが提案され、ナツメの指先は自然と「ストレス低減」に向かった。

ホログラムに浮かんだ地図は、都市核の北側へすっと伸び、緑地を抜け、小さな坂道を越える道筋を指し示している。一見ただの気分転換にちょうどよさそうな散歩道だった。

が、

(珍しいな。普段は街中ばっかりなのに)

そう思いつつ、ナツメはそのルートを選んだ。


しばらく歩いていると、やはり予想通り、いつもの街中を歩くルートとは異なった。

「ストレス低減ルート」とは名ばかりで、段差は多く、舗装も所々剥がれており、むしろ不便だったが不思議と歩き続けていた。

(こんなの、都市核の道じゃないみたいだ)

だんだん音声案内が乱れるような環境。小石を踏んづけてしまい、バランスを崩しかける。

あまりの道の酷さに、思わず笑いがこぼれた。

「小学生以来だなあ……」


気づけば、見慣れない木々の間に小道が伸びていた。

舗装は完全に途切れ、土の匂いが強くなる。

通信感度は弱まり、ホログラム表示も遅延しはじめた。

「もしかして……残灯村?」

名前だけは聞いたことがあった。

再配分の網からもれて都市核外に残った人々が暮らす場所で、システムのカメラも、空気循環のセンサーも設置されていない。そして、あのスープが作られた場所。


「注意、この先、は、環境保全、区域外です」


耳元でAIの声が途切れ途切れながら冷ややかに響く。

"酸素濃度低下、治安リスク、野生動物との遭遇の可能性……"

いつもなら延々と続く警告文が、今日は妙に簡潔だった。

ナツメは立ち止まり、ほんの一瞬ためらう。

吐き出した息が、いつもより少し重い気がした。

だが次の瞬間、足は勝手に一歩を踏み出していた。


———驚くほどあっけなく入れた。


検知音もなければ、足止めもない。

ただ一歩進んだだけで、都市核の輪郭は背後に退いていく。

(……こんな簡単に入れるんだ)

違和感が残ったが、視界に映る緑の濃さと、遠くで聞こえる鳥の声、湿った土の匂い、そしてなにより、ここまでやってきたというわくわくが、それら不安を覆い隠した。

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