第2話
〇自宅
午前6時45分。
カーテンが開き、室内に「起床支援モード」の光が広がり、ナツメは自然に目が覚める。気温は適温、湿度は肌にちょうどよく、部屋の空気はわずかに柑橘の香りがする。
(今日は柑橘系か)
調理ボットがすでに朝食の準備を済ませ、温かい色味をした木製テーブルに、整然と食器が並んでいた。
豆のサラダと調整スープ。
味は悪くないが、食べ終える頃には舌が何を感じていたか曖昧になる。昨日のスープの舌が起きる感じと比べちゃうな、とナツメはぼんやり思いながら、手早く食べ終えた。
洗面台には今の気温、紫外線量や天気に合わせたスキンケア、メイク用品が厳選され、並ばされている。鏡の横には「本日の推奨服装」がホログラムで表示されている。快適度と印象度のバランスによって、AIが推奨する服装が選ばれる仕組みだ。朝は生活支援AIが大活躍。
慣れた手つきで準備を済ませ、
「よし」
と出発した。
〇出勤
通勤ルートはホログラムで3つ提示された。
「最短」「ストレス低減」「ランダム」、ナツメは「ランダム」を選ぶ。
選んだ理由は、とくにない。
ランダムで選ばれたルートは少しだけ傾斜が多く、最短ルートよりやや時間はかかるものの、小鳥の鳴き声が爽やかに聞こえるものだった。朝のひんやりとした空気のおかげで、気持ちよく出勤できる。
"Good Condition. 感情曲線、適正範囲"
AIが告げるのを耳にしながら、ナツメはほんのり上気しつつ、歩き続けた。
〇職場
業務支援AIが提示する候補A・B・Cから、今日はAを選択し、昨日の作業から適宜修正しつつ、プロジェクトを進めていく。
(昨日より、見えやすくなった気がするな)
〇昼休み
ホログラム掲示板の前で、ナツメは会社の調理ボットが淹れたコーヒーを飲んでいた。
そこへ見慣れた顔が通り、ナツメは少し嬉しそうな顔で話しかけた。
「ヤイヅさん!お疲れさまです」
少しびっくりした様子で、ヤイヅは答えた。
「ああナツメか。おつかれ、ちょうどよかった」
「え?」
「あのスープなんだけどよ、どこで手に入れたって言ってたっけ?」
相変わらず軽い調子だったが、ナツメは昨日のヨシダの言葉を思い出してしまった。
"気をつけてくださいね"
「どうしたんですか。まさか気に入っちゃいました?」
「まあな。テクノロジーを否定した連中に少し興味が湧いたんだわ」
(それは、環外派として?まさか)
「まあ、昨日みたいなのもたまには悪くないよな。
妙に頭に残る味っていうか──システムに怒られそうでさ」
いつものヤイヅの様子に、ナツメは笑って返した。
「またからかってるんですか」
「はは。そう思っとけよ」
「……スープは北のゲートの方ですよ。配ってたんです」
「ああ。そう言ってたな、ありがと」
「いいえ!あ、もう行かれるんですね」
「またな、ちょいと忙しくて」
ナツメはひらひらと手を振り、調子のいい先輩を見送った。
何気ない雑談に聞こえた。
(なんでわざわざスープなんか)
……はずなのに、ヤイヅとの会話は、妙に頭の奥に残った。
〇午後
作業も大詰め、いよいよアップデートが完了しそうという頃合いに、小気味の良い通知音と共にメッセージがホログラム表示された。
"感情保全課アオヤマ氏より面談要請"
「……面談?」
ログには特に問題なし。
勤務評価も適正、感情曲線も問題ない。
(感情保全ユニット)
感情保全課は通常、行動ログの逸脱率や、感情曲線の異常の際に面談要請を送る。ナツメは以前、新しい課に配属された頃に感情保全課から呼び出されたことがあるが、その際は感情曲線の悪化を整えるものだった。
つまり、今回呼び出される理由は、基本的にはないはず…だが、とはいえ、今のナツメには心当たるものが2つ存在した。
(残灯村のスープか、ヤイヅさんか…)
どちらにせよこんな要請があるから感情曲線が悪化するんだ、と軽い悪態をつきつつも、日程調整を行いメッセージを返し、作業に戻るナツメだった。
〇退勤
朝はランダムルートだったことから、帰りはいつもの道を選択し歩いていた。ふと、
「?」
空を見る。
何羽かの鳥が円状にぐるぐる回り、鳴き声もあげずに飛び続けている。ちょうど、先頭のいなくなったアリの行軍が、指揮を失い円を描くように。
ナツメは自分の視野情報を保存し、後で画像として確認できるようにしておいた。
(珍しいこともあるもんだな)
そう思い……、なぜか目が離せなかった。
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