二日後

「だからさ、わたしが悪いのはわかってるんだって…………ホントだよ? わかってるからピパニ豆に書けるくらいちっちゃな字で反省文は埋めたし、便器だってべろべろ舐められるくらいキレイに磨いてやった……あ、ううん。舐めるのはやっぱナシ。知ってる? 宿舎の女子トイレってたまに避妊具落ちてるんだよ。絶対ビジャルとルスターのだよ。陰でさ、みんな噂してるもん」


 油に塗れた金属の匂いが狭い作業場に充満している。雑然としているようで、その実ある種の秩序を保って置かれていた工具を手に取って、眺め、適当な位置に戻す。すぐさま大きな舌打ちが聞こえたが――それよりもエフリエッタは溜まった鬱憤を吐き出すことに夢中になっていた。


「結局、連帯責任だってさ。いつものトレーニングメニューに朝の走り込みが追加になって、みんなから散々嫌味言われたよ。三馬鹿は相変わらずバカだし、サラはあれから全然口きいてくれないしさ…………なんか思い出したらますますブルーになってきちゃった」


 所狭しと壁に飾られた銃器と、天井から吊るされた大小様々なパーツに興味が惹かれないといえば嘘になるが、幼いころから見慣れた空間を改めて見渡す意味もない。この作業場の主たる老婆の後ろ姿も見慣れたものであったが。


「このまま仲直りできなかったらやだな……」


 エフリエッタの話を聞いているのか聞いていないのか、黙々と作業を続ける老婆の背中に向けて嘆息し、工具を掻き分けながら机に突っ伏す。がちゃがちゃと耳障りな音を立てて机の端に追いやられたスパナは、重力に耐えかねて床へと転がり落ちた。

 再び舌打ち。エフリエッタは聞こえない振りをした。  


「邪魔するなら出ていきな、このボケナス」

「ねぇ、聞いてた? わたし今すっごい繊細な話してるんだけど」

「気が散るって言ってるんだよ」


 分解された銃のパーツにヤスリをかけながら、老婆――スザンナは即座に返してくる。気を悪くしたわけではあるまい――元々無愛想な、良くも悪くも職人然とした老人だ。

 本当に彼女の怒りに触れたとしたら、客であろうと構わず銃を向けるというのは、近所に住んでいれば子供でも知っていることだった。実際にエフリエッタがその場面に遭遇したことはなくとも、穴が開いた壁の修繕を手伝ったことは数え切れないほどあった。


「ばぁちゃんだけは味方だと思ってたのに。もうこの世界に救いはないんだね」

「……あぁ鬱陶しいったら。だいたい、勝手にアタシのカメラを持ち出した挙げ句、スクラップにしちまったバカに誰が味方するってんだい」

「うっ……だ、だからそれは、ちゃんと弁償するってば。それだけじゃないよ。すごい探索者になって、旧文明のお宝を山ほど見つけて、それで稼いだお金でこのオンボロ工房だって建て直してあげるんだから」

 

 片目だけをこちらにやりながら、スザンナは軽くかぶりを振った。僅かに歪ませた口元から、彼女の感情を読み取ることはできなかったが、少なくとも愉快な言葉が発せられることはないだろう。視線は再び手元に戻る。案の定、エフリエッタの予想を裏切らない毒を添えて。


「自分の得物すらまともに扱えないヤツが外界に行ったところで、何もできずにおっ死ぬのがオチだ。覚悟もないくせに夢ばかり達者で、死体袋になって戻ってきた馬鹿を何人も見てきた。お前もその馬鹿どもと同類になろうって? 無駄死にする前に訓練校なんてさっさとやめて、家事のひとつくらい、まともにできるようになりな」

「……意地悪」

「ありのままを伝えただけだよ」

「わからず屋っ!」

「暇ならちっとは手伝え、アホンダラ」


 それで会話は終わりだと言わんばかりに、スザンナが空の弾倉を投げて寄越してきた。


「暇なんてぜんっぜんないんだから。休みなんて超久しぶりだし、聞いてよ。ケラレク先生さ、酷いんだよ」


 受け止めた弾倉を机に置くと、エフリエッタは口を尖らせながら立ち上がり、作業場の隅に設置された冷蔵室の扉を開ける。冷気に包まれる感触に肌を震わせながら、彼女は低い声でぼやいた。


「わたしとヤグだけ補習だよ。テストに合格しないと、次の野外訓練に参加させてくれないんだって」


 冷蔵庫から青い半透明の液体が満ちたパウチの詰まったケースを運び出し、乱雑に机の上に置く。またしても工具が机から落ちたが、今度は何の反応も返ってこなかった。


「感染症学とかエーテル工学が大事なのはわかるけどさ、魔法原論って勉強する意味あるのかな。魔法なんて誰も使える人いないじゃん」

「ゴーグル、手袋」

「……わかってるって」

「基本を疎かにするんじゃないよ」

「うるさいなぁ」


 それはおそらく、講義に対しても銃の整備に関しても、両方の意味を込めて言ったのだろうが。

 やはりこちらに見向きもしないスザンナに舌を向けながら、両手に分厚い手袋をはめた。


 作業自体は複雑な手順を必要としない。万力に固定した弾倉と、点滴台からぶら下げたパウチをチューブで接続し、エーテル結晶を溶かした薬液が規定量を満たすと、また新たな弾倉をセットする。この工程を繰り返すだけだ。

 エフリエッタは慣れた手つきで準備を終えた。

 

 今まで何度も繰り返してきた工程とはいえ、実際は危険の伴う作業ではある。

 これまで重篤な事故を起こすことなく済んでいるのは、悪態をつきながらも常にこちらに注意を払うスザンナがいたからであろう。彼女の小言を煩わしく思う反面で、エフリエッタはそれをしっかりと理解していた。理解はし、感謝もしているのだが……それを素直に伝えるのは、やはり気恥ずかしさが勝る。


 弾倉の中に一滴、一滴と薬液が落ちて小さな波紋が広がる。そこに映った自分の姿をぼんやりと眺めている。

 もうすぐ十四になる。不細工ではないが、とびきりの美人でもない、強いていえば化粧映えしそうだと言われるくらいの、特徴のない顔。

 入学と同時に切った髪は、いつしか肩のあたりまで伸びている。毛先がくるくると渦を巻いて、にんじんのような赤毛は写真でしか見たことのない母親そっくりだった。


「ばぁちゃん」

「…………」


 返事はない。構わず続ける。


「お母さんってどんな人だったの?」


 一瞬だけ作業の手が止まった気配があり、またすぐに規則的な金属の擦れる音が再開する。エフリエッタは嘆息して、薬液でいっぱいになった弾倉のキャップを閉めた。

 もとより返答を期待していたわけではない。スザンナがエフリエッタの母親の――自分の娘の話題になると口を閉ざすのはいつものことだった。


 安全なシェルターから危険に満ちた外界へ飛び出し、旧文明の調査、結晶生物の駆除、物資の調達を担う者がいる。

 探索者。

 エフリエッタの母は探索者だった。そして彼女を産んで間もなく、外界の調査に出て行方不明となった、らしい。


 弾倉を取り替えて、また新しいパウチと繋ぐ。

 二人が作業する音が、壁に走った亀裂の中心目掛けて吸い込まれていく。エフリエッタが話しかけない限り沈黙は常であったが、今日の空気はやけに重たさを伴う。


 エフリエッタが探索者を目指していることを、スザンナはあまりよく思っていないようだった。

 探索者訓練校に入ったことに理由などない。ないのだが……心のどこかに引っかかるものがあったのは事実だった。

 シェルターの中で仕事をして、結婚し子供を育て一生を終える――そんな未来を想像することができない。

 ただ周りから指摘されるように、母親の影を追っているかといえば、それもしっくりはこなかった。


 つまり、なんとなく。そう言ってしまえばそれまでであるが。


「すごい探索者だったんでしょ。英雄なんて呼ばれてさ。ケラレク先生とも知り合いらしいけど、あの人とそういう話はしづらいんだよね」


 ただ沈黙を埋めるための独り言に過ぎずとも、口を閉ざすことはなかった。つぶやきながら、エフリエッタは祖母の後ろ姿を見つめる。

 銃器の修理や調整を生活の糧とする者はシェルター内部にそれなりの人数がいるはずだが、それが女性となると珍しい。が、身内贔屓にみても偏屈で、口の悪い彼女のもとを訪れる客が絶えないのは、それだけ腕が良いという証だった。

 

 彼女の跡を継ぐと話したことがある。

 向いていないと一蹴されたが。


「死人の思い出話は何割増しか美化されるもんだ。生きて成果を持ち帰ってくれば一流だが……死ねばそれまでさ。アタシにとってみりゃ出来の悪い娘だったよ、アレは」


 珍しく……というよりはエフリエッタの知る限り初めてのことではないだろうか。彼女が、自身の娘について――エフリエッタの母について話すのは。

 一方的な独り言になると思い込んでいたエフリエッタは、返す言葉を咄嗟に思いつけず目を瞬かせた。


「ガキの頃から男勝りで喧嘩ばかりしてた。大人になって少しは淑やかになるかと思いきや、とんだじゃじゃ馬さ。狙って銃を撃つよりもストックで殴ったほうが早いなんて言い出したときは、本当に銃工の娘かと呆れたが」

「 ばぁちゃんそっくりじゃん」

「……だが、一体誰に似たのか気の回る質でね。どこかしこに首を突っ込んでは、いつの間にか味方を増やして、ひとつにまとめちまう。ふン、探索者の連中からすれば、得難い人材を亡くしちまったってとこだろう」

「ふぅん」


 短く相槌を打ち、ふとよぎった疑問に斜め上を見上げる。少し考えて、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。


「お母さんって、本当に死んだの?」


 特に裏もない、率直な疑問ではあったが。

 そこでようやく、スザンナはエフリエッタへと顔を向けた。煤のついた眼鏡の奥で、訝しげに目を細めて、


「フレルセの足取りが途絶えて十三年になる。お前も外を見てきたんだろ。ここらにあった他の大型シェルターはとっくに放棄されて、人間が生きていける場所はどんどん少なくなってる」

「 でもさぁ……」

「外界で生きていけるわけがない。肺を守る濾材も足りなけりゃ、食料や飲み水もない環境で、それでも生き延びているとすれば、それはもう人間じゃない。エーテルに侵された結晶生物――化物だよ」

「うーん」

「やけに食い下がるね。もういいだろう、そんなことより手を動かしな」


 「生きてるわけがないさ」――そう短く付け加えて、彼女は視線を戻した。

 ハイマット・シェルターにおいて行方不明者とは、大抵の場合そのまま死亡者に相違ない。

 常識で――エフリエッタのこれまでの人生で培った知識に当て嵌めれば、スザンナの言葉に誤りはないはずであった。が、


「人が死んだら悲しいでしょ。ハリルのとこのおじいさんが肺炎で死んじゃったときも、悲しかったし。でも、お母さんが死んだって言われても、あんまり実感が湧かないっていうか」

「 それはフレルセと過ごした期間、お前が赤ん坊だったからだ」

「……そうかもしれないけど」


 だからといって、親の死に対してここまで淡泊になれるものだろうか。もし周りに同じ境遇の者がいれば、その答えを聞けたかもしれないが。


「 実はまだどこかに人が生き残ってる場所があって、またそこで人助けしてるのかも」

「…………」

「……なんちゃって」


 スザンナは振り返らない。エフリエッタは肩をすくめて、作業を再開しようとした――


「フレルセは」

「……え?」


 祖母がぽつりと漏らした言葉に、再びその背中を見る。

 彼女はやはり、誰に聞かせようとするでもなく、小さな声でつぶやいた。

 

「遠く西の彼方……——海の越えた向こう側に、空の見える国があるんだと……いつかそこで星を見るんだと、そんな馬鹿みたいなことをいつも話していたよ」

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