第03話 群衆のざわめき
王都の中央広場は、朝の陽光に照らされながらも、重苦しいざわめきに包まれていた。
昨日までただの石畳だったはずの場所が、今は人の波で埋め尽くされている。
子どもを肩車する親、興奮した顔で笑いあう若者、そして冷たい目を光らせる老人たち――押し合いへし合いしながら集まった彼らは、皆、何かを待ち望んでいた。
そのざわめきは、期待とも、好奇心ともつかない熱を帯びていた。
「……何があるんだ?」
俺は立ち止まり、自然と耳を澄ませていた。
ここに来るつもりなんてなかった。
ただ、歩いていた足が人の流れに吸い込まれ、気づけば広場の端に立っていたのだ。
「知らないのか?今日はあの伯爵令嬢が断裁されるんだ」
「そうだそうだ、あの高慢ちきな伯爵令嬢、シンシアが!」
「ようやくか……!ざまあみろってやつだな」
噂好きの市民たちの声が、途切れることなく耳に飛び込んでくる。
『断罪』――その言葉に、胸がざらついた。
人々の顔には笑みが浮かんでいた。
それは慈悲や同情から生まれたものではなく、他人の不幸を楽しむための笑みだ。
広場の中央に設けられた舞台の前に群がり、口々に彼女を罵る言葉を吐き出している。
「派手なドレスばかり着て、いつも鼻で人を笑ってたんだ」
「殿下を誑かそうとしたんだろ? 卑しい女め」
「これで溜飲が下がるってもんだ」
誰もが断罪を『娯楽』として待ち望んでいた。
俺は、その光景をただ眺めるしかなかった。
……いや、眺めることしかできなかった。
ほんの少し前、俺も似たような断罪を受けた。
勇者パーティーからの追放。
『役立たず』の烙印。
誰にも必要とされない存在だと突きつけられた、あの瞬間を――忘れられるはずがない。
だからこそ、俺はこの場に足を止めざるを得なかった。
彼女が断罪される姿が、なぜか自分に重なって見えて仕方がなかった。
押し合う群衆のざわめきは濁流のように渦巻き、広場全体が熱にうなされているかのようだった。
子どもがはしゃぐ声に混じって、男たちの嘲笑、女たちの蔑みの声が飛び交う。
「悪女だ、悪女だ」
「王家を愚弄した女にふさわしい末路だ」
口々に放たれる言葉は、まだ姿を見せぬ彼女を、徹底的に貶めていた。
俺は思わず唇を噛みしめる。
――どうして人は、こんなにも容易く、誰かを切り捨てられるのだろう。
昨日、『役立たず』として俺を追放した連中の顔が脳裏をよぎる。
結局、俺も同じだ。
群衆の中に混じり、ただ黙って見守っているだけの傍観者に過ぎない。
人垣の隙間から、舞台が見える。
磨かれた木材で作られた壇上には、金の装飾が施された椅子が置かれていた。
そこに座るのは――王子か、あるいは王家に連なる者か。
そして、その前に引き立てられるのが『伯爵令嬢シンシア』。
「シンシア様も終わりだな」
「殿下を騙そうとしたのが運の尽きだ」
噂は、尾ひれをつけて広がっていく。
真実がどうであれ、彼女は『悪女』として舞台に上げられる。
その事実だけが、揺るぎなく広場を支配していた。
人々は、誰も疑わない。
そこにいるのは悪女で、裁かれるべき存在で、だから罵っても構わないのだと。
その光景は、俺にはどうしようもなく寒々しく映った。
群衆の波に押され、前へと進んでしまう。
肩がぶつかっても、誰も謝らない。
皆、舞台の一点を食い入るように見つめている。
俺の心臓は、妙に早く鼓動を打っていた。
(……なぜだろう?)
知らない令嬢のはずなのに、これから彼女に降りかかるものを想像すると、胸の奥が締めつけられる。
笑い声。罵声。嘲り。
――その中に、昨日の自分がいた。
あの広間で、リカルドに突きつけられた言葉。
マリーベルの冷笑。
ガレスの侮蔑。
あの時と、何も変わらない。
彼らも群衆も、俺の存在を否定した。
そして今、それが彼女に向けられようとしている。
俺は拳を握りしめた。
けれど、その拳に力は入らない。
助けることなんてできない。
俺にできるのは、ただ見ていることだけ。
――それが、なおさら胸を苛んだ。
石畳の上に立ち尽くしながら、俺は舞台を見つめる。
人々の歓声は高まり、ざわめきはますます熱を帯びていく。
――伯爵令嬢、シンシア。
その名前を耳にしたとき、胸の奥で何かが引っかかった。
見たことも、話したこともない相手。
それでも、不思議と耳から離れなかった。
群衆は、彼女を待っている。
裁かれ、辱められ、突き落とされるのを。
舞台の幕が上がれば、彼女は孤独な断罪の場に立たされるだろう。
そして俺は、また傍観者として、その光景を見届けることになる。
逃げ出したい気持ちと、目を逸らせない衝動がせめぎ合う。
広場のざわめきはさらに高まり、鼓動と混ざり合って耳鳴りのように響いていた。
やがて――鐘の音が鳴る。
広場全体が、ざわめきを止めた。
人々の視線が一斉に、舞台へと注がれる。
――断罪が、始まる。
俺もまた、抗うこともできず、その場に立ち尽くし、舞台を見つめるしかなかった。
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