第14話

若い警官が駆け込んでくる。

「署長!瓜生絵梨が……タンクローリーを奪って逃走しました!」


署長の顔色が一瞬で変わった。

「なに……!? タンクローリーだと!? このままでは――」


脳裏に最悪の光景がよぎる。

満載の燃料を積んだ車体が暴走すれば、市街地は火の海になる。

人の命が、数百単位で消えるかもしれない。


「すぐに高速隊と機動隊に連絡を回せ! 各交差点に検問を張れ!」

署長は机を叩き、怒鳴るように指示を飛ばした。

「撃ってでも止めろ! あれは走る爆弾だ!」


署内の空気は一瞬にして張り詰めた。

誰もが理解していた――これはもはや、ひとりの異常者を追う事件ではない。

街全体を守る戦いだ。


一方、タンクローリーの車内も、張り詰めた空気が漂っていた。

ハンドルを握る運転手は、横に座る女の狂気を肌で感じながら、必死に逃げる方法を考えていた。


アクセルを踏み込み、スピードを上げる。

検問の赤色灯が近づいたその瞬間――

運転手は歯を食いしばり、ブレーキを思いきり踏み込んだ。


「ッ――!」


急制動の衝撃で、絵梨の身体が前方に投げ出され、額をダッシュボードに打ちつける。

その瞬間、ぬめるような音が響いた。


ずるずる……。


額から頬へ、皮膚がずれていく。

まるで中身から溶け出すように、顔の皮膚が垂れ下がり、ぶら下がった。


「う、うわぁぁ……っ! ば、化け物だ……!」


運転手は絶叫し、シートベルトを乱暴に外すとドアを開け、転がるように飛び降りた。

「化け物……だと?」


絵梨の声は低く、怒りに震えていた。

その言葉が胸を抉った瞬間、彼女は運転席の床に転がっていた拳銃を拾い上げる。


「逃げるんじゃないわよ、このゴミが!!」


絵梨はハンドルを叩きながら、血のような声を吐き出した。

皮膚が垂れ下がった顔は、憎悪でぐちゃぐちゃに歪んでいる。


「鬼退治のお供という――名誉あるお役目を与えてやったのに……!」

「それを捨てて逃げるなんて……畜生以下じゃないッ!」

逃げていく運転手の背中へ向けて何発も引き金を引いた。

乾いた銃声が響く――が、銃弾はかすりもしない。

生まれて初めて撃つ拳銃、その狙いは大きく逸れていた。


唾を飛ばしながらののしる声は、かすれ、叫ぶたびに皮膚が垂れ下がった頬がぶるぶる震えた。

その姿は人間ではなく、怒りに取り憑かれた亡者だった。

怒号は車内に反響し、狭い運転席にこだまする。


絵梨の手は震えていた。その震えは恐怖ではなく、燃え上がる怒りの衝動だった。


検問線の向こうから警官の拡声器の声が飛ぶ。

「瓜生絵梨! ピストルを捨てなさい! 両手をあげて、ゆっくりこちらへ!」


だが、絵梨は応じない。

警官をにらみつけ、崩れた顔の皮膚を揺らしながら運転席に座り直し、右足でアクセルを思い切り踏み込む。

タンクローリーの巨体が、重低音をとどろかせながら前方へ突進を始めた。


警官たちが慌てて「止まれ!」「撃つぞ!」と叫ぶが、その声は絵梨の耳に届かない。


銃声が数発響き、車体に火花が散る。

だが、弾丸の衝撃は厚い鋼板の車体に阻まれ、びくともしない。

タンクローリーはバリケードを粉砕し、警官たちは散り散りに飛び退くしかなかった。


難なく検問を突破したタンクローリーは、国道を轟音ごうおんとともに突き進む。

その先には、美琴のマンションが――。

「そろそろ……美琴のマンションね」

絵梨はハンドルを握りながら、ポケットから携帯を取り出した。

指先にまだ乾ききらぬ血が残っている。


発信音のあと、普段と変わらない声で囁くように話す。

「……もしもし、美琴? 私、絵梨よ」


受話口の向こうで、一瞬の沈黙。

絵梨の口元が笑みに歪む。


「今ね、あなたの家の前まで来てるの。――居るんでしょ? ねえ、居るはずよね」

追い詰めるように言葉を重ねる。


「美琴! マンションの前まで出てきなさい」

そこで声の調子を低くし、決定的な一言を落とす。


「でないと……大勢の人が、焼け死ぬことになるわよ」

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