第13話 大惨事の序章  

「はい、警察です。…はい? 異常な女性が? ええ、場所は国道沿いですね」


 受信員の表情が強張る。

「目がぎらついて、ふらふら歩いている…髪は乱れて…“殺す、殺す、殺す”と繰り返しつぶやいている? ——すぐに警察官を向かわせます!」


 程なくして、パトカーが現場に到着。

 制服警官が車を降り、慎重に声をかける。


「そこの女性! 警察です! 話を聞かせて下さい!」


 女——瓜生絵梨は立ち止まることなく、焦点の定まらない瞳でこちらを睨みつける。唇は震え、呪詛のように同じ言葉を吐き続けた。


「ころす…ころす…ころす…」

 警官が一歩踏み込んだ。

「そこの女性、止まりなさい!」

 腕を掴もうと手を伸ばした瞬間——


 絵梨はふらつきながらも、警官の手を振り払うようにして、突然車道へと駆け出した。


「危ないっ!」

 警官が叫ぶ。


 そこは大型トラックやダンプカーがひっきりなしに行き交う幹線道路。

 クラクションが一斉に鳴り響き、ブレーキ音が重く空気を裂いた。


「止まれ! 戻れ!」

 警官の声は、轟音にかき消される。


 絵梨は髪を乱し、瞳をぎらつかせたまま、車の間をよろめきながら突き進んでいった。

 1台目の軽自動車は、ドライバーが急ブレーキをかけたことで、前方わずか数十センチのところで辛うじて停止した。


 しかし、その直後だった。


 後方から走行していた砂利を満載した大型ダンプが、必死にブレーキを踏み込んだものの、重量に押され制動が効かない。

 タイヤが路面を擦りつけ、白煙を上げる。

「——ッ!」

 衝撃音とともに、トラックが軽自動車の後部に激突した。


 乾いた金属音に続き、ガラスの砕け散る音。

 軽自動車の車体は一気に前方へ押し出され、車内の乗員が大きく揺さぶられる。


 道路上には砂利が飛び散り、周囲の車が次々と急停車を余儀なくされ、現場は一瞬にして騒然となった。

 警官は、激突音を聞くやいなや駆け寄った。


「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

 窓越しに声をかける。


 運転手は顔面蒼白でシートに身を沈め、両手でハンドルを握りしめたまま固まっていた。

 意識はある。呼吸も確認できる。

「……だ、大丈夫……たぶん」

 声は震えていたが、応答は明瞭。出血も外傷も目立たない。


 警官はすぐさま無線に連絡を入れ、後方の交通を誘導するため手を挙げて制止の合図を送った。


 一方、衝突した大型トラックからは白煙が立ちのぼり、運転手も車外に出て呆然と前方を見つめていた。


 警官が怪我人に気を取られていると、背後から足音もなく絵梨が近づいてきた。

 右手には、病院から盗み出した細身の医療用メス。

 乱れた髪の隙間から覗く瞳は、ぎらつき、理性の光を失っている。


 絵梨はためらいなく刃を振り下ろした。

 鋭い切っ先が警官の首筋を裂き、鮮血が噴き上がる。

 警官は驚愕の表情のまま声を上げる間もなく崩れ落ち、周囲の悲鳴が一斉に響いた。


 絵梨の顔に血しぶきがかかる。

 しかし彼女は一切動じず、口角を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべていた。

 倒れた警官の体から、絵梨は素早く拳銃を奪い取った。

 血に濡れた手でも、その握りは異様にしっかりしている。

「……これで、美琴を殺せる……」


 彼女の視線が周囲を彷徨い、ふと止まった先には幹線道路にずらりと停まっている大型トラックの列。

 荷台に砂利を積んだもの、コンテナを載せたもの、そして――銀色に光るタンクローリー。


「……あれだ」


 口元が不気味に歪む。

 タンクの側面に貼られた「危険物」「高圧ガス」の赤い文字が、絵梨の狂気をさらに煽っていく。

 ピストルを片手に、彼女はふらつく足取りでタンクローリーに向かって歩き出した。


 周囲では事故の混乱で人々が悲鳴を上げ、携帯で通報する者もいた。

 その中心で、血まみれの女が拳銃を持ち、燃料を積んだ巨大な車体へと近づいていく姿は、あまりに現実離れしていて、誰も動けなかった。


 タンクローリーの運転席のドアを叩きつけるように開けると、驚いた運転手が振り向いた。

 その額に、絵梨はためらいなく拳銃を突きつける。


「動かないで」


 血に濡れた顔、ぎらついた眼。常軌を逸した女の迫力に、運転手は息を呑んだ。

「な、なにを……」


「行きたいところがあるの」

 絵梨の声は静かで、逆に恐怖を煽った。


 運転手は抵抗すれば撃たれると悟り、震える手でエンジンキーを回す。

 巨大なタンクローリーが重低音を響かせて始動する。


「そのまま走って」


 絵梨は助手席に滑り込み、銃口を運転手に向けたまま笑みを浮かべた。

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