第3話

病院に通い詰めた一週間の検査の結果、私の難聴は「内耳の障害による伝音難聴」だと診断された。補聴器の訓練や発声機能の回復、そして手術のため、ひと月の入院が決まった。

診察を受けていた病院は満床で、私は町はずれの病院に移ることになった。


人生初の入院。母は心配のあまり、スーツケースを2倍の大きさに膨らませていた。着替えや日用品だけではないと一目でわかる。


「頑張ってね。時間があれば会いに行くから。」


補聴器を通しても母の声は断片的にしか聞き取れない。それでもこの言葉だけは、はっきり届いた。


「……いってきます。」



5階、505号室。入ってみると、一人部屋だった。大部屋だと思っていたので驚いた。


携帯が震える。母からのメッセージだ。


「どう?びっくりしたでしょ。奮発したのよ。修学旅行で“人がいると眠れない”って言ってたから。」


6年前の、何気ない会話。母はちゃんと覚えていた。胸が少し熱くなる。


続けざまにメッセージが届く。

「スーツケース片づけなさい」

「補聴器、痛かったら看護師さんに言うんだよ?」


心配の言葉は止まらない。私は「はい」とだけ返す。すぐに、嬉しそうな顔のスタンプが返ってきた。



部屋でスーツケースを開ける。荷物の中に黒い袋がひとつ。重い。中には――私がこれまで弾いてきたピアノの楽譜が、すべて詰め込まれていた。


使い古したもの。表紙の破れたもの。

どれも練習の日々を思い出させる。


「……余計なお世話を。必死で忘れようとしてるのに!」


手に取った一冊を壁に投げつける。


ガンッ――!


落ちた楽譜に、母の直筆の付箋が貼られていた。

《大会本番 頑張れ!》


その一行で、あのコンクールの光景が蘇る。

息が荒くなり、心臓が跳ねる。


「……ああ……」


大好きだったピアノを、自分が拒絶している――その事実が怖かった。


私は散らかった部屋を振り返らず、廊下へ飛び出した。

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