第4話

しばらく気を紛らわすために、院内を歩いてみた。

慌ただしく走る看護師、点滴を引きずりながら歩く人、車椅子で談笑する人…。普段は目にしない光景に、改めて自分が「入院している」ことを実感する。


時間を持て余し、売店や受付のある一階へ向かった。


「ピンポーン、一階です」

無機質なアナウンスと同時に、パネルに「1」が表示される。耳に頼らずとも分かる工夫がされていた。


扉が開いた瞬間――。


〜♪


広いロビーに、堂々と置かれたグランドピアノ。その前で、点滴を腕に繋いだおじいさんが楽しそうに演奏していた。

低めの音域を中心にした軽快なメロディーは、難聴の私の耳にも不思議と届く。

周囲に集まった患者たちは皆、笑顔で聴き入り、曲が終わると温かい拍手が響いた。

人数は少ないのに、その拍手はコンクールで浴びた拍手よりもずっと優しく、力強く感じられた。


「今なら、どなたでもピアノ演奏できますよー!」

看護師が声を張り上げる。


――弾きたい。


胸の奥で声がした。

拒絶していたはずのピアノに、また触れたくてたまらない。

音楽は人を幸せにするものなのに、どうして私は遠ざけていたんだろう。


気づけば、足が勝手にピアノへと向かっていた。

鍵盤。響板。見慣れたはずの景色が、なぜか懐かしく、温かい。


椅子に腰掛け、そっと鍵盤に触れる。

音が鳴る――小さくても、確かに。


その瞬間、私の中で何かが動き出した。

ここからまた、もう一度。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬将軍のムジカ 牡蠣ピー @kakasi1103

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ