隠密

第一話 余計なことを

 リントはアトルピアに帰ってきた。約一週間ぶりのアトルピアは変わらず多種族が垣根を超えて交流していた。そこには罵声や物を投げる音など聞こえない。

「眩しい」

 アトルピアの快晴はリントにとって懐かしさではなく苦しさを感じた。


 役所に帰ってきて環境課に向かうと、エマが抱きついてきた。他の社員はリントが帰ってきたことに驚いているようだった。

「うわーんリントちゃんおかえりー生きてたー」

「生きて帰ってきた!大丈夫何かつらいことされてない?」

 エマもユアンも現地で死ぬかもしれないと思っていたのか生きていたことに重きを置いているようだった。

「二人ともありがとう…辛いことは……」

 考えるリント。ヴァインに口を塞がれたのを思い出す。あれはギリアウト…いやアウトな出来事な気がするが、

「うん大丈夫だったよ」

「ちょっと間が開いたよね」

「何されたの?人間?吸血鬼?どっち?」

「エマ、落ち着いて、本当に大丈夫だから」

 今にも泣きそうなエマをなだめていると、部屋からガルドが出てきた。

「チッ、リント悪いな、ちょっと」

 ガルドに呼ばれ会議室に行く。


 ガルドだけが座り、リントは立ったまま。

「これはなんだ」

 出されたたった三枚の紙。

「報告書です」

「どこがだ」

 やはり怒られてしまった。

「まあいい。報告書によるとメモを送った人に会えたようだな。どんな奴だった」

 クローヴァン出発前の明るい楽観的なガルドではなく、発する言葉一つ一つが重く低いトーンで話すガルドは初めてだった。まるで軍隊長かのような雰囲気をリントは感じた。


 メモの送り主は…と正直に話す寸前で何故か直感が働き言い留めた。

「クローヴァンで奴隷として働いている一人の吸血鬼でした。十分な血も貰えていない様子でした」

 名前と王であることは隠した。上手く話を逸らそうと、

「クローヴァンは想像以上でした。毎日朝から晩まで怒号が聞こえ、メモの送り主以外の吸血鬼達も生きているの十分な血を与えてられてない様子でした。正直許せないという感情が出てきました」

「許せない?」

 ガルドの目が鋭くリントの方を見た。

 リントはしまった、口が滑ったと思った。

「吸血鬼をあんなふうに扱う人間が許せないってことです。エマが行ったらもっと大変なことになっていたでしょうねあはは」

 回避できただろうか。うっかりアトルピアと言ってしまうところだった。

「人間の支配のままか、そういえば調べたいことがあると書いてあったな」

 ふんぞり返るガルド。

「はい、クローヴァンの王がアトルピアに来たことがあったみたいなので目的を調べてみようかなと」

 あわよくば協定のことも調べられたらと思っていた。アトルピアのせいでということは伏せ続けた。

「そうか、ご苦労だったな。この後は私が引き継ぐからリントは明日から通常業務に戻れ」


「え?」

 耳を疑った。

「なんだ、何か不満か?報告書にも〝帰りたい〟と書いてただろう。帰ってこれたんだ、通常業務に戻るのが普通だろ」

 あ、と声が出るほど忘れていた。確かに帰りたいと書いてしまった。しかし実際はあの後に急展開が色々あってリントの中で歯車が動いたのは事実だ。ここで手を引くのはあまりにも心残りがある。

「それはそうですが…調べ物が終わったら、またクローヴァンに行こうと思います。行って助けたいと思います。クローヴァンの住民たちを」

「それを私が引き継ぐと言っているんだ。リントはもう何もしなくていい。今日この後はどうする?疲労もあるだろう、時間給使ってもいいぞ。むしろ使わないと怒られるからな。今日はもう帰っていいぞ」

 半強制的に会議室から追い出されそうになるがドアの手前でガルドが意味深なことを聞いてきた。

「リント、嘘ついていないよな?」

「……はい、ついていません」


 会議室を出されたリント、その心情はかなり複雑だ。

「リント、今日おかえりの飲み会あるんだけどってどうした? 呼吸が荒れてるけど」

「え、あもう帰っていいって、時間給使えって」

「それだけ?それでそんな震えになるかな」

 エマがリントの手を指さす。無意識に手が震えていた。最後の〝嘘ついていないよな?〟の一言がリントの身体を震えさせていた。

「なんで震えてるんだろうわからないや、あ飲み会だっけ? 行く行く。でも今は帰るね」

 リントは荷物を持って役所を出る。

「ちょっとリントちゃーん!」エマとユアンは目を見合わせる。

「ガルドさんに何か言われたのかな」

「とりあえず飲み会で聞くか……」


 役所を出たリントはそのまま帰宅しベッドに横になるがガルドの言葉が離れなかった。

「やってしまった? そんな大した 嘘はついていないけどなんであんなこと聞いたんだろう? まさかガルドさん動物と会話できる延長で心の中まで読めるとか? でも話ながらそんなに考えていないはず。いや待って、人間も動物の一種と考えると会話という点ではできるかもしれない。あとでエマに聞いてわかるかな」

 寝返りを繰り返しながら自問自答を続けるリント。ずっと落ち着かなかった。この思いを早く二人に聞いて欲しいのと、これまでの努力が無駄になるような気がした。

「ヴァインさんごめんなさい、やっぱり私何もできない人間かもしれないです」


 せっかくやる気だったリントが自己嫌悪のリントに戻ってしまった。


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