座敷童子(ざしきわらし)
酒囊肴袋
第1話
うちの築百二十年の蔵に住んでいる座敷童子は、筋金入りの引きこもりである。
伝承では家の中を駆け回る存在だが、我が家の「お雛」は違った。十年前、好奇心で最新のゲーム機を与えたのが始まりで、蔵の二階はWi-Fi完備の秘密基地になった。今やお雛は、タブレットを片時も手放さないデジタルネイティブに成長している。朝は「ログインボーナス」で起床し、深夜まで各種ゲームに勤しむ。その生活リズムは、現代の若者そのものだった。
我々家族は、その引きこもりを心から感謝していた。座敷童子の幸運は「居着く」ことでもたらされる。外の世界に興味を持ち、消えれば家の繁栄は終わる。ネットという無限の世界に接続され、蔵から一歩も出ないお雛は、我が家にとって史上最高の「大当たり」だったのだ。
実際、運気は右肩上がりだった。父の町工場は大手企業との契約を獲得し、母のパート代も地域最高額に。私も第一志望の会社に内定し、今では課長職。家族全員が健康で、宝くじの小当たりも頻繁にある。
「お雛様、今月の課金分です」
「新作ゲームの限定版をお持ちしました」
我々は神官のように、蔵の階段下にお菓子や最新デバイスを置く。すると、二階から小さな手がすっと伸びて、静かに引き上げていく。品物を受け取った後、「ありがとう」という鈴のような声が聞こえることもあった。
悲劇の始まりは、隣に越してきた親切な奥さんの、善意という名の勘違いからだった。
奥さんは地域活動に熱心な五十代の女性で、「みんなで支え合いましょう」が口癖の典型的な「良い人」だった。
「佐藤さん宅の蔵、夜遅くまで青白い光が漏れていますけど、お子さんでも?」
「ええ、人見知りが激しい子でして」
「でも、学校にも行かず、お日様の下で遊ばないのは体に良くないわ。うちの子も昔、塞ぎ込みがちだったから心配で……」
「あの子はあれで世界中の人たちと繋がっておりますから」と返しても、彼女は納得しない。心配は「虐待なのでは」という疑念に変わったらしい。彼女がNPO法人「若者自立支援センター」に電話したのは、一週間後のことだった。
その日、熱意と正義感を瞳に宿した職員たちがやってきた。
「全国で百万人を超える引きこもりの方がいます。早期の介入が大切なんです」
「お嬢さんの輝かしい未来のため、社会への扉を開きましょう!」
「やめてください!この子は外に出してはいけないんです!」
父母が必死に玄関に立ちはだかるが、「これは典型的な共依存です。親御さんがお子さんの自立を阻害している」と正論という凶器を振りかざす。彼らの善意は本物だった。だからこそ、始末に負えなかった。
抵抗も虚しく、我々は蔵へ案内せざるを得なくなった。
「立派な蔵ですね」職員が感心する。
「明治時代の建物です」父が小さく答える。
扉が開かれ、薄暗い空気と電子音が漏れ出る。急峻な階段を上がると、六畳ほどの空間でタブレットの青白い光に照らされた小さな人影が座っている。ボサボサの黒髪、白いワンピース、素足。どこか古風な佇まいの十歳前後の女の子だった。
お雛が怯えた瞳で振り返る。
「はじめまして。怖がらなくて大丈夫だよ」職員が優しく話しかける。
お雛は震えながらタブレットを胸に抱きしめ、壁際に身を寄せる。
「外には楽しいことがたくさんあるんだ。お友達もできるし、太陽の光も気持ちいいよ」
お雛がかすかに首を振るが、職員には見えていない。
「さあ、太陽の光を浴びよう」
「だめです!」父が叫ぶが、時すでに遅し。職員がお雛を抱きかかえた瞬間、お雛が声にならない悲鳴を上げる。絶望の表情で大粒の涙をこぼしながら、職員に抱えられて階段を降りる。
玄関を出て門へ向かう。お雛の足が地面に触れそうになるたび、火に触れるかのように縮こまる。
「お願いです、その子を蔵に戻してください」母が泣き声になる。
「大丈夫、すぐに慣れますから」
そして運命の瞬間。職員がお雛を抱えたまま門を出る。小さな足が敷地の境界線を越えた瞬間──
ふっ。
陽炎のようにお雛の姿が掻き消えた。タブレットが滑り落ちてカシャンと割れた。
職員は困惑した様子でお雛が消えた腕を見つめている。
「……あれ?子供はどこに?」
職員たちが呆然と辺りを見回すが、お雛の姿はどこにもない。床に落ちたタブレットの割れた画面に、「GAME OVER」の文字が赤く点滅していた。
それから全てが崩れ始めた。
翌日、父の会社に税務調査。十年間順調だった契約も相次いでキャンセル。三日後、母が階段から落ちて複雑骨折。一週間後、江戸時代の花瓶に原因不明のひび。
幸運は水が引くように霧散した。座敷童子がいなくなると家は没落する──古くからの絶対法則だった。
一年後、我が家は見る影もなくなった。父の会社は倒産、私もリストラ、蔵は電気も止められている。
隣の奥さんは時々おすそ分けを持ってきてくれる。彼女は自分の善意がもたらした悲劇を、知る由もない。
先日、空き家同然の蔵の前で見知らぬ子供が首をかしげていた。
「おかしいな。ここ、ネットの口コミだと優良物件だったのに。Wi-Fi、飛んでないや」
次の住処を探す座敷童子だと、すぐにわかった。だが、もう我が家には彼らをもてなす力も、高速回線を契約する金も残っていなかった。
座敷童子(ざしきわらし) 酒囊肴袋 @Cocktail-Lab
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます