第三章[8]

 『管理人室』と書かれたドアの前で、僕は手元の時計が9時を示すのをジッと待っていた。

 僕に課せられていた奉仕活動が規定の点数に達したため、最終審査としての面接を受けに来たのだ。

 思えばこの施設にやってきてから約4年の月日が経っていたが、それが短かかったのか長かったのかどちらか一方で答えるのは正直難しい。

 今日の面接は最終審査と呼ばれているものの、よほど馬鹿なことを口走らない限りは出所を認められると噂されている。

 事実、すでに出所済みの高木さんや山田さん、滝川さんたちも一度の面接でパスしていたのだから、気楽にいけばいいものとは分かっている。が、だからと言って本当に気楽にできるものではない。

 鼓動がいつもより早くなっているのを自覚し、無駄とは分かりながらも深呼吸をしている間に時計は9時ぴったりの時間を迎えた。

 僕は最後にもう一度大きく深呼吸をして、ゆっくりとドアをノックした。

「はい、どうぞ」

 間を置かずに藤多さんの返事が聞こえたので、少し緊張した面持ちで入室する。

「失礼します」

「いつもながら時間ぴったりだね君は。ドアの前で待っていたんじゃないかい?」

「えぇ、少し待ってました」

「相変わらずいらんことを考えるね君は」

「性分なものでしてすみません」

「ま、とりあえずドアの前で突っ立ってないでこっちに座りなよ」

「はい」

「コーヒーでも飲むかい?」

「いえ、結構で……いや、やっぱりいただきます」

「オーケー」

 そう言って藤多さんは慣れた手つきでコーヒーを作り始める。

 豆の種類はさっぱり分からないけれど、あまり嗅いだことのない匂いが混ざっているような気がする。どこか懐かしい匂いだと思って記憶を探ってみると、自分が小学生の時に学校の職員室で嗅いだ匂いに似ているのだと思い至った。だからなんだという話なのだが、匂いと記憶は脳の結びつきが強いという通説を実感させられる。

 ほどなくして自分の机の前にカップが置かれ、藤多さんが対面に腰掛けた。

「それじゃあ早速初めていこうか。わざわざ取り繕ったようなことを答える必要はないからね」

「はい、お願いします」

 事前に提出していた書類を参考に面接は進められ、最初は自身の生い立ちや罪状の確認、出所する意思はあるのかといった質問をされた。当たり前の内容をやり取りするだけだったため、僕は『はい』以外の言葉を話す必要がなかった。

 基本的な確認が一通り済むと、質問はより踏み込んだ内容へと移っていく。

「続いて、なぜ君は犯罪に走ってしまったかということについてだけど」

「はい、認知症の症状が出ている母さんに対して僕は未熟にも苛立ちをぶつけてしまい、適切な対応をせずに事態を混乱させたことで招いてしまった結果だと思います。もっと相手の置かれている状況を考えて動かないといけなかったと反省しています」

「あぁ、別に書類に書いた通りのことを話す必要はないよ。私が聞きたいのは君自身が考えて話す言葉だから」

 本当の面接はここからということだろうか。確かに僕としてもこんな書類に沿ったことを話すだけで更生したかなんて分かるものかと思っていたところだ。

 少し緩みかけていた気持ちを再び引き締める。

「そうですか。少し砕けた表現になってしまうかもしれませんがすみません」

「構わないよ」

「……あれは明らかに僕の行動が招いた事故でした」

「それは調書にも書いてあるね。当日の事故がなければ君はここに来ることもなかったと思ってる?」

 さっきまでとは違い、藤多さんは少し悪意を持った質問をしていると感じる。おそらく、こうやって相手の逆上を誘うというマニュアルがあるのだろうが、僕はただありのままに答えようと思った。

「いえ、遅かれ早かれ当時の僕では同じような事態は起こり得たと思います。あの日の僕は母さんに対して無性に苛立っていました。まるで癇癪を起す幼い子供みたいに。でも自分の中ではなんでこんなひどいことができるんだろうという思いもありました。自覚できているのにその行動をやめられないっていうのは奇妙な感覚ですが、実際そんな風にしか動くことができませんでした。自分の行いも制御できない未熟なことをしてしまって本当に反省しています」

「反省しているなんて言葉は誰でも言えるんだ。君は一連の事件の後に自殺を図ってるよね。これは君が罪に向き合わずただ逃げたかったからじゃないのかい? なんならここを出所してまた自殺するつもりじゃないか?」

「確かに僕は母さんが死んでしまったことに対して耐えることができませんでした。これは罪に向き合っていないと非難されても仕方のないことだと思います。結局のところ、僕が母さんに怒りをぶつけて事件を引き起こすところから僕が自殺を図るまでの一連の流れすべては僕の弱さによるものです。でも、それが僕という人間のすべてでした。ただ、今はもう自殺しようとは考えていません」

「ふむ、当時は弱かったとのことだが、では今の君ならばどうする?」

「時間が巻き戻るのであれば、もちろん母さんが外出しないように見張っているでしょうが、そういう話ではありませんよね。さっきもお話しした通り、遅かれ早かれああいう事態は起こり得たと思います。当時の僕は自分の世界しか見えておらず、母さんとの向き合い方を間違えていました。どうすることが正解だったかというと、母さんの認識に僕も付き合ってあげることが正解だったと思います」

「付き合うというのは具体的に言うと?」

「なんでも真実を告げることが正解ではないのだと思います。母さんはすでに認知症が進行していて、正常な認識をすることができませんでした。だから理屈としては僕の言うことの方が事実正しいです。でも、僕の方が理解しているからこそ弱い立場にある相手に合わせてあげなきゃいけないんだと今は思います。何度も言うように僕は弱かったから自分の正しさを押し通すことしかできませんでしたけれど、今なら相手に嘘を吐くことができます」

「嘘を吐く、か。それはどういう意図で言っているのかね?」

「当時の僕にはを利かせられるだけの心の強さがなくて、事実を突きつけることしかできなかったんです。もし最後までだまし続けられるならそれは相手にとって真実になります。だまし続けることは心に負担がかかりますが、それでも突き通すことが相手にとって良いことなら僕は最後まで成し遂げたいと思うんです。もちろん事件当時も善意のつもりで自分なりに考えて言動を選んでいるつもりでしたが、それはただの身勝手な理屈でしかなかったんですね。おそらくあの時に母さんが幻視していたのはかつての穏やかな家族の日常だったのだと思います。だから僕は母さんに合わせてその日常に付き合うべきでした。それが現代の医療の常識と同じかどうかは分かりませんが、少なくとも母さんと僕が望む日常は続いたと思います」

「なるほど。それでは次の質問だ。奉仕員としての生活で何を学んだか話してくれるかね?」

「ひと言で表すと他人についてでしょうか。自分で言うのもなんですが、僕は昔から周囲の人を観察することが多い人間でした。特に幼いころの僕にとっては相手が有益な人なのか有害な人なのか判断することが平穏な生活のために重要だったからです。結果的に僕は子供の頃からお利口さんと評されるような子供に育ちました。当時はこれがただ一つの生きる道だと思っていて、他の選択肢については考えなかったんですね。別の言い方をすると、別の選択肢もあったけれどその選択肢は僕には選べなかったんです。これもまた僕の弱さだったのかもしれません」

 僕は一度言葉を区切り、幼い頃の自分を思い出していた。

 こんなことまで言う必要があるのか分からないけれど、僕はただすべてを洗いざらい話してしまいたい気持ちだった。

「それでお利口に立ち回るようになると、今度は相手の性格についてある程度大枠で捉えるようになったんですね。優しい人、乱暴な人、ドジな人、ずるい人、というように。この大枠で捉えるという行為は他の人たちだってやっているんじゃないかと思います。他の人たちがどういう理由でそうしているのかは分かりませんが、僕の場合は相手により善い人間だと思われたいがためでした。もちろん相手が見せる性格というのは表面的なものでしかなく、それが相手を理解するということからは程遠い行為であると分かっています。でも、昔の僕はその事実を認めていたが故に、それ以上先のことまでは考えませんでした。ですが、ここで同じ寮の人たちや奉仕活動で色々な人たちと出会うことで、表面的ではない一人ひとりの個性というものを知りました。なんだか聞こえの良い言葉を言っているみたいですが、体感として知ることができたのは今までよりもレベルの違う理解だと思っています。もちろん、個性を知ったといってもそれが相手を理解することにはつながりません。それでも、相手を知ろうとするその姿勢が大事なことは理解したつもりです」

「理解したことで君は何か変わったのかね?」

「何が変わったかと言われるとそうですね……僕ももっと適当にと言いますか、肩の力を抜いたような考え方をしてもいいんじゃないかと思うようになりました。今まではなんでもかんでも『しなきゃいけない』と考えていたことが必ずしもそうではなかったということです。もっと具体的に言いますと、例えば僕が奉仕員になったばかりの頃は贖罪しなきゃいけないと思っていました。贖罪自体は私に課せられた義務なのでその認識で間違いないのですがそういう意味ではなくて、僕自身が贖罪することに対して主体性がなかったんですよね。ですけれど、『しなきゃいけない』っていう観念から距離を置くことで初めて別の視点で捉えられるようになって、本当に大切なのは贖罪したいと思うことなんだと考え直しました」

「それは良い気付きを得たな」

「あと、相手を知ろうとすることは僕自身の幸せについても見つめ直すきっかけになったと思います。僕は幼い頃からずっと幸福というものに憧れを持っていました。でも、それを手に入れるためにはどうすればいいのかまったく分かりませんでした。なんとなく正しいことをし続けていればいつか幸せになるんじゃないかっていう神頼みみたいな意識だけを抱えてずっと生きていたんです。結局そんな意識のままだから、奉仕員になってもまだ何がダメなのか分からずにくすぶり続けるだけの日々を送っていました。でもそんなある日、僕の理想とした幸せを体現している人が身近にいることに気が付きました。その人が本当に幸せを感じていたかは分かりませんが、少なくとも僕の目から見れば、まさしく憧れていた生き方だったんです。僕とその人とでは何が違うのか色々と考えてみて、生き方に対する考え方を少し修正してみることにしました。まるっきり変えなかったのは、その人が僕のマジメさが良いところだと言ってくれたからです。僕からすればマジメさなんてただ貧乏くじを引く羽目になるだけで、おまけに取り除くことのできない呪いのようなものでしかなかったのですが、その時に初めて肯定的に捉えることができました。そうしたら僕の中で閃きというか、新しい考えが浮かぶようになったんですね。自分の良いところも悪いところも変えられない部分は素直に認めていっそ突き通すのはどうだろうかって。僕はきっと本物の善人には未来永劫なれっこないし、理想の幸福を手に入れることはないような気がします。でも、その理想を思い描くことはできますし、善人の真似事だってできると思っています。もしもそれを続けられるのであれば、この偽善めいた行いも本物なんじゃないかって思うんですよね。そして僕が本当に心からそう思えるようになった時、きっと自分にとっての幸せが何かを知れるような気がします」

「随分と壮大な話をするようになったな君は」

「少し興奮しすぎましたかね。これも今までに出会った誰かの影響かもしれません。奉仕員生活の中で思ったことなんですが、自分一人で広げられる世界なんてたかが知れているんだと思います。僕は自分の世界に引きこもる時間が多かったものですから、少なくとも自分の中の世界だけは奥深いものだっていう傲慢さがどこかにあったのかもしれません。でもたくさんの人と出会って、まったく知らない世界を知ることができました」

「なるほど、奉仕員生活の中で色々と学ぶことはあったようだな。では続いて被害者、つまり君の母親についてどう思っているか話してくれ」

「この世界に『もし』なんて言葉は通用しませんが、それでも伝えられる言葉があるとすれば、『ありがとう』と伝えたいと思います。もちろん僕が母さんを死なせてしまったことは謝っても済まされる話ではありませんし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、母さんは僕がそういう暗い感情を引きずることを望んでいないと思います。そうなると僕が伝えたいのはやはり感謝の気持ちです。今更こう言っても仕方のないことですが、内心ではずっと母さんに感謝していました。でも親が子供を世話するのは当然とも思っていました。だから母さんに感謝の言葉を直接伝えることはついぞなかったんですね。感謝した最後の機会といえば、小学校の授業の一環で両親に感謝を伝えようだかなんだかの課題があって、それで母さんに宛てて作文をしたときぐらいのものです。当時すでに親父は暴力的でしたから、学校も余計なことをしてくれるなと思っていました。とはいえ課題は課題ですから僕は心にもないのに相手を褒めるようなポジティブな言葉を適当に書き散らして、それを母さんに渡したんです。それでも母さんは目に涙をにじませて『ありがとうね』と言ってくれたのを今でも覚えています。どうしてこんなことで感謝するのかと不思議でしたが、親とはそういうものかとも思い、それでいて親に感謝されるというのは何ともむず痒くて、僕は適当に相槌をして目を逸らした記憶があります。たぶん僕が思い出せる母さんの表情の中で、一番喜んでいた時だったんじゃないでしょうか。もったいないという表現はおかしいかもしれませんが、やっぱり自分は馬鹿だったんだと思います。今更それを思い出すんですから。そしてやっぱり僕はこうやって奉仕員として生活をしなければ死ぬまでこういう気持ちにはならなかったでしょうし、暗い気持ちで自分をだましながら自分だけの世界に浸っていたと思います。母さんが亡くなってなお僕がこういう風に話せるのは母さんのことが好きだったのでしょうね。でもやっぱり母さんに向かって好きって言うのはおかしいですし、伝えるのは『ありがとう』が正解かなと」

「……そうか。君の気持ちはよく分かった。それじゃあ最後に出所後の生活についてはどうするつもりだ? せっかく真面目な君のことを思って向いてそうな仕事を提示したのに、君は断っているようじゃないか。何かアテがあるのかい?」

「気を遣ってもらったのにすみません。でも、やりたいと思うことを見つけられましたから」

「それは?」

「絵本作家です」

「ふむ、意外でもないか。しばらく前からいくつものボランティア活動に顔を出していたそうじゃないか。それがきっかけか」

「はい。もっと遡って言うと施設に置いてある本が同じものばかりで子供たちが飽きてしまっていることに気付いたからですね。幸い、絵を描くこと自体は苦じゃない人間でしたから、いっそ自分で作ってしまおうかと考えたんです。それでいざ作ってみたら意外と好評で。もちろん素人が作ったものですから、ストーリーは子供の反応を見ながら少しずつ修正する必要はありましたけれど。仕掛け絵本なんかはどれも評判が良かったですね。僕がよく訪問している児童保護施設があるんですが、どうやら国からの視察があったときに僕の本が目に留まったらしいんです。僕がいなかった時のことなので細かい話はよく把握していませんが、たぶんそこの施設の方にうまく説明してもらえたのか、運良く出版関係の方からお話をいただくことになりました。もしその場に僕がいたら奉仕員という立場上ややこしいことになったので本当に幸運でしたが」

「説明したのは私だ」

「はい?」

「施設の方からこっちに連絡が回って来て、君の人となりについて色々と聞かれたんだ」

「それじゃあもしかして藤多さんが取り計らってくれたんですか?」

「私からは客観的な事実しか話していないよ。出版の話なんかは一切知らんしな。ただ、この国にとって都合の良いことだったのは事実なんだろう。奉仕員が社会貢献として児童保護施設でボランティア活動だなんてこの国の法の素晴らしさを喧伝するのに良いストーリーじゃないか」

「国の都合かどうかは分かりませんが、僕にとってありがたい話だったのは確かですよ」

「だから私は特別なことなどしとらんよ」

「本当にありがとうございます。それで話を元に戻しますが、将来的には実際に各地を訪問しながら営業しながら絵本作家ができればと思っています」

「しかしそういった労働形態では収入的に不安定になると思うが平気か?」

「もちろんアルバイトの掛け持ちは必要ですが、これは僕がやりたいと強く思ったことですから。もしもダメだったらその時はその時です」

「ダメでは困るのだが」

「何かがダメになってもそれですべてを諦めたりはしないという意味です」

「ふふ、そうかい。ところで君はさっきからどうしてそんなににこやかなんだ? 面接の途中からこっちはわざと挑発しているのにそんな反応をされたら張り合いがないんだけどねぇ」

「えっ!? すみません」

「その癖は治らなかったな」

「え、あ、はい。すみません」

「それもまた君の良いところだよ。面談は以上で終わりだが、何か言うことはあるか?」

「藤多さんには本当に何から何までお世話になりました」

「おいおい、まだ出所と決まったわけではないよ。これから私が国の機関へ今回の面接内容について書類を提出して、それを認可してもらわないといけないからね」

「ダメならまたお世話になります。それでですね、ひとつだけお願いがあるのですがよろしいですか?」

「なんだね?」

「あのですね――」

 こうして僕の面接は終わり、それから10日後に出所許可の連絡が来た。これで僕の奉仕員生活は終わりというわけだ。

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