第三章[5]

 奉仕員寮で暮らすようになってから、かれこれ1年近くの月日が流れた。自然と汗ばむような空気に包まれると、積み重なった過去の夏の記憶とともに季節の巡りを実感する。

 現時刻は夜中の11時を示しており、普段であれば布団に入って寝ている時間帯だが、僕は高木さんと話をしていた。彼が明日で出所するということで、別れの挨拶代わりにいつも通りの雑談を交わしていたのだ。

「とうとうこのクソったれた牢獄からおさらばや」

「牢って言ったって入り口の鉄格子ぐらいじゃないですか」

「いいや、俺にはそこら中に見えてた。それはもうガチガチにな」

「そうですか」

 着地点のない不毛な話は、やんわりとした同意の言葉を返して適当に打ち切る。

 はた目にはそっけないやり取りだが、高木さんと話すにはこれが最も良好なコミュニケーションであることを僕は理解していた。

 少しだけ沈黙の間を置いてから、僕は新たに話を切り出す。

「寂しくなりますね」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど寂しいのは俺もや。明日からは違う街の人間やからな」

「地元に帰ったらその後どうするんですか?」

「山田の元職場行く!」

「山田って隣の部屋の山田さんですか? どこで働かれてたんです?」

「国営の賭博場」

「……なるほどカジノですか。そういえば奉仕員はそういった類の施設の出入りは禁止ですもんね」

「すまんな穂垂君。俺だけ先に真人間になってもうて」

「真人間になる前に一度辞書引いた方がいいですよ」

「相変わらず手厳しいな」

「負けが込んでヤケを起こさないでくださいね。またこっち側に戻ってこないか心配です」

「負ける気がせえへん」

「そうですか。でも資金はどうするんですか? 一応僕たちは出所するタイミングで多少の生活資金が給付されるはずですが、遊んでられるほどの余裕はないでしょう?」

「給付されるって言い方は気に入らへんな。もともとは俺らが日々働いて稼いでた分やん。それを勝手に国の役人どもは天引きして積み立てなんかしよってからに」

「出所して無一文だと再犯の確率が高いって聞きますから、割と納得のいく理由だと思いますけど」

「あぁ、哀れな忠犬よ。もっと色々な見方をせえへんとそのうち国に牙を抜かれて去勢までされるで」

「何を比喩しているのか良く分かりませんが……」

 否定の意思を示しはするものの、彼の言いたいことはなんとなく分かっていた。

 果たしてこのままでいいのかという迷いは常にある。もしも今一人でいたのならば終わりのない思考に沈むところだろうが、今はその時ではなく、高木さんとの会話に意識を向ける。

「しかしまぁ資金が足りへんのは穂垂君の言う通りやねん。せやから軍資金が溜まるまでは不本意やが労働は避けられんな」

「そういえば何のお仕事をされるか決まってるんですか? 出所が近づいてきたら各々に適した就職口の候補が提示されるって聞きましたけれど」

「あぁ、そういやそんなんあったな。使わんかったけど。良さそうなのなかったしな」

「それじゃあ自力で就職ですか」

「システムエンジニア的なやつならいけると思っとる。ちょっとぐらいならプログラムかじっとったし」

「え!? なんか意外ですね。そういった専門的な話は一度も聞いた覚えがないんですけど」

 今まで相手の深いところに踏み込むことをしなかったのだから当然のことだが、高木さんにそういった特殊な知識があるとは思わなかった。今更になって知らない一面を見つけてしまったようだ。

「言ってへんかったっけ? そもそもこんなところにぶち込まれたんはそれが原因や」

「初耳です。何をしでかしたんですか?」

「え、恥ずかしい」

「そんなこと言わずに聞かせてくださいよ。今日で最後じゃないですか」

 相手が話さない限りはこちらから根掘り葉掘り聞くようなタチではないのだが、今回ばかりは興味が勝ってしまう。

「まぁ穂垂君の頼みならしゃーないな」

「お願いします」

「当時は学生や。就職がちらついてきた俺はどうやって楽に稼ぐか考え続けてたんや。でも当然そんな方法簡単には見つからん。せやから、結局考えるのをやめてネットでゲームの動画とか流し見してたんや」

「よくあるパターンですね」

「ほんで人気ゲームの上位ランカーのテクニック動画とか見てるとやっぱ再生数ってすごいんよな。こいつら広告収入でいくら儲かってるんやろって思ったりもしたけど、そもそも俺にはマネできへんし考えてもしゃあないわってなったわ。んで他にも動画漁ってたらある時気付いたんや」

 ここで一呼吸を置くようにして、猫背になっている背筋をピンと伸ばし堂々と言葉を続ける。

「ソシャゲのガチャガチャ回すだけならいける、と」

 大層なことをいう素振りを見せたら大体くだらないことを言うのが高木さんの特徴だった。

 言葉の意味を咀嚼して、確認する意味を込めて聞き返す。

「あー、リアクション動画的なやつですか」

「おぉ! 穂垂君も知ってるか」

「いや、実際の動画を見たことはないです。他人のアカウントのデータ見て楽しいんですかアレ?」

「それが意外と人気あるんよ。人気ゲームのガチャ動画ならマイナーな配信者でもそこらへんの攻略動画よりよっぽど再生数が多い」

「もともとそういったゲームの類をやりませんでしたから、見たいと思う心理がよく分かりませんね。僕にはそっち界隈で稼ぐ才覚はなさそうです」

「それはしゃーない。そんでや、俺はもっと賢くやる方法を考えた。ゲームデータぶっこ抜いて演出画面だけマネしたらガチャ引き放題やんって」

「は?」

 突然の罪の告白である。気の利いた相槌さえ思い浮かばなかった。

「それなりに資金を突っ込んだガチャ動画やないとインパクトに欠けるやん。でも毎月新キャラが追加されるようなゲームを複数並行してやろうと思ったら、なんぼ金がいるか分からへん。それに当時学生やからそもそも金なんかほとんどあらへんし。でもデータをパクって実際の通信から独立した状態にして最初から結果ありきの1本の動画にしてしまえば自由自在や。リアクションは別撮りでええし」

「実際の光景を想像すると虚無感でいっぱいになりそうです」

「いやいや、この時はマジで俺天才やんって思っとったわ。実際にちょっとした小遣い稼ぎ程度にはなったし」

「はぁ」

「でも期待したほどは稼げへんかったんよな。で、最後に大きく稼ぐか思って、このメソッドと一連のプログラムコードをマニュアルみたいにしてネットで売り捌いたんよ。そしたらまぁなんやかんやあって今に至るってわけ」

 さらに悪質な罪を上乗せしているが、こっちが本当の罪状だったようだ。

「最後の方で随分と端折りませんでしたか?」

「だってその辺つまらへんもん」

「それになんというか……特に擁護もできないですね」

「そっちから聞いといてひどいやっちゃな。ってまぁこんな過去の話はもうどうでもええねん。これからの話をしよう!」

「システムエンジニアとしての話ですか」

「仕事の話やない。夢の話や」

「夢?」

 ゆめ。そんな言葉を耳にするのはいつぶりになるだろうか。

「俺な、ロックやりたいなって思うねん。ロックンロール」

「これまた唐突ですね」

「そうでもないやろ。俺の部屋にギター置いてるの見たことない?」

「そういえばありましたね。稀に弾いたりもしてましたっけ」

「ここで虐げられた経験を糧にして、俺にしかできひん魂の叫びを世界に届けるんや。今まで世話になった世間様には積極的に中指立てていくで。素敵やろ?」

 さっきよりも興奮気味に話す高木さんの勢いに押されてか、僕の口角は自然と上がってしまった。僕が彼に期待しているのはであり、僕はただ純粋に尊敬の念を感じていた。

「えぇ。それは確かに素敵なことですね」

「え? 同意されると思ってへんかったわ。なんか適当に言ってへん?」

「いや、そう聞こえてしまったのならすみません。でも本気でそう思っていますよ。素敵だと思ったのはロックのことじゃなくて高木さんのその在り様ですが」

「よく分からへんけど嬉しい」

「応援してますよ」

 こうやって素直に相手を称えてはいるが、その一方で自分の馬鹿さ加減には嫌気が差す。

 以前に高木さんが話してくれたように、むしろ彼の方が僕に対していくらか尊敬してくれてるらしいことは知っている。でも僕はそんな立派な人間ではなくて、ただ当たり前のことをしているにすぎない。

 それじゃ結局似た者同士じゃないかと言われるかもしれないけれど、僕たち2人の生き様を他の誰かが見ていたとしたら、一体どちらが幸福に生きているように見えるだろうか。

「穂垂君には夢あらへんの?」

「今は考えてないですね。まだしばらくは奉仕員の活動がありますし」

 嘘だ。本当はごく普通の幸せが欲しかった。でも自分の力では見つけられそうにないから、代わりに誰かが僕に幸福に生きる方法を示してくれるのを待っているんだ。

 そして今、目の前で望み通り幸福の存在が証明されている。だけどその幸福は僕には手の届かないものだと理解してしまっている。

「しばらくって言ったって穂垂君ならあっという間やで」

「終わってしまえばそういう心境になるかもしれませんが、今はまだそこまで達観できませんね。それに今のところ特にこうしたいっていう欲望もありませんし、高木さんほどここを強く出たいとも思っていないですね」

 得られもしない幸福を夢見るのはやめて、僕は現実を見据える。夢は見なければ深く落ち込むこともない。心の中から消し去ることは難しくても、奥底にしまい込むことには慣れっこだ。そうすればいつしか気にならなくなって忘れる日がやってくる。

「信じられへん。精神が異常や。もう出ていくけど俺には穂垂君の無欲さだけが心残りや」

「高木さんが心配するようなことは何もありませんよ」

「いいや、その精神性は不健全にしか思われへん。なんでここから出ていこうって気にならへんの? ここの何がええわけ?」

 出ていく気が湧かないのには2つの理由がある。一つは自身を赦せる理由がまだ見つかっていないこと。もう一つは今なお眠り続けているに語れる言葉を持っていないことだ。

 後者に関して高木さんは何も知らないし、教えたところでどうにかなることではないから特に話すつもりもない。

 だからいつも通り言葉で答える。

「別に何が好きってわけではありませんが、ここにいる間は少なくともやればいいことが分かってるじゃないですか?」

「やればいいっていうのは?」

「奉仕活動のことですよ」

「はぁ? まだ飽きもせずそんなこと言うん? あっ、それともボランティア活動の方を言っとるんか?」

「いやまぁ奉仕活動もボランティアも好き好んでやっているわけではありませんけど、一応僕たち奉仕員に明確に示されている『するべきこと』じゃないですか。それを守っている間は僕のやっていることは間違いではないんだなって思えるわけですよ。でもここを出たら今度からは自分で考えて生きていかなくちゃいけない。僕にはそれを考えることが億劫なんですよね」

「そうかそうか。俺に見えてた牢屋は俺らから社会を守るためのもんじゃなくて、社会から穂垂君を守るためのものやったんやな」

「随分と詩人ですね。その捉え方もあながち間違いではないかもしれません」

「とはいえそのやればいいこと云々って話は前にもなんか聞いたな。そっから進展ないの?」

 少しだけ、ほんの少しだけ。僕の脳裏に病室のベッドで眠り続ける彼女の姿がよぎった。だからなのかは分からないが、僕はまるで意味があるのかも分からないような変化を口にする。

「そう簡単に解決したりはしませんよ。でも色々と考えることはありました」

「あるやん進展!」

「主観的な評価と客観的な評価のギャップというものが以前ほどは気にならなくなったかもしれませんね」

「それはどういう心境の変化なわけ?」

「いや、言葉にできるような明確な感触ではないんですが、なんとなくそう思うってだけです」

「なんか適当やな。俺みたいになってへん?」

「それはな……くもないですね」

 僕が変わりつつあるのはボランティア活動での経験もそうだが、高木さんとの雑談からも大いに影響を受けていると思う。先月参加したボランティアで子供たちのケンカを収めたことだって、一緒になって遊んだのは雅鯉朱さんの影響だと考えていたけれど、やっぱり彼の影響もありそうな気がしてきた。

「俺が穂垂君の役に立てるとは鼻が高いわ」

「でもそうなると以前に高木さんが仰っていた僕のマジメという強みはなくなりますよね」

「まるで俺がマジメやないみたいな言い方やな」

「思っていたよりも世間は適当というか案外どうとでもなってしまうものだという経験がありましてね。それでもいいのかと思えるようにはなったんですが、方向性としてそれでいいのか微妙に迷いがあるんですよね」

「俺のフォローになってへんがな。いやそれはともかく、穂垂君のマジメさは変わっとらへんやろ」

「融通が利かないところはあるかもしれませんが、自分が特段マジメという自覚もないのですが」

「全然そんなことあるわ。実際に毎月1点かそれ以上のペースで更生ポイント獲得してるんやから、道を外しとらん証拠やん。俺みたいに社会からああしろこうしろ言われんでもちゃんとやれる穂垂君は誇ってええんやって」

 高木さんと話していると自分と世間の認識がいかに乖離しているかを思い知らされる。あまりにも違い過ぎてもはや自身の認知が正常なのかすら疑わしくなってくる。

「高木さんの言うマジメさが良い方向に働いてくれればいいですが」

「いやいや十分に効果発揮しとるやん。穂垂君は幸せものやで」

「どういう意味でしょうか?」

 幸せ? もしも高木さんの見立てが正しいのなら、幸せなんてものは僕にとって苦痛でしかないじゃないか。

「世間様の言う『やるべきこと』ってやつを穂垂君は素直に良しと思ってやれるんやろ?」

「まぁそうですが」

「そんじゃあなんも悩むことあらへんやん」

「そういうものですかね?」

 僕には世間が善とすることを当然の義務として実行できる。奉仕活動といういわば贖罪行為も同じだ。

 だが本来であればこの行動の原動力は能動的な善意であるべきで、受動的とも言える義務感などただの偽善行為だ。それとも、この偽善を悪と定める自分はどこかおかしいのだろうか。

「もう今日で奉仕員もお終いやけど、ついぞ俺には何が良い行いなんか分からへんかったわ。まぁ当初ここにぶち込まれたときよりかはまともになってるんやろうけど。……って、あぁ!? まともやったら俺のロック精神が擦り減ってまうやん。穂垂君! 俺は石ころみたいになってへんか!?」

「十分に尖ってますよ。その石の大きさまでは測りかねますが」

「はぁ~良かったぁ。いや、それはそれとして。俺が言いたいのは穂垂君のやってることは間違っとらへんのやからあとは穂垂君自身がどう向き合うかだけってことや」

「自分とどう向き合うかですか……考えてみます」

 自分で決めた善悪が間違っているのなら、世間に善と定義される行為が自分にとって当然のことであるのなら、自分の判断を世間の倫理にゆだねるのも良いかもしれない。

 まるで自我を放棄しているみたいで、世間はこの考え方を良しとは認めてくれないだろう。でも、僕は悪の意識を抱えて善をなし続ける星の元に生まれた人間なのかもしれない。

 ……そもそも善と悪ってなんだっけ?

「穂垂君の今後に期待しとるで」

「はい」

 僕がそう答えたのに対し高木さんは無言でうなずくと、冷蔵庫を開けて最後に2本だけ残っていたビールを取り出す。

 どうやら真面目な話はこれで終わりのようだ。

「ほいっ」

「ありがとうございます。いやぁ、それにしても本当にお世話になりっぱなしでしたね。初めはおかしな人かと思ってましたけど」

「いやいや、おかしなとこなんてなかったやろ」

「おかしなとこしか思い出せませんけどね。初対面の時に自分はジョーだとか言ったりとか」

「じょー? ……あー、あったなそんなこと。いや、あれは……あれはなんやったんやろな? 分からへんわ」

「やっぱりそうじゃないですか」

「いやいや、たぶんその場を盛り上げるためにやって。俺いつも頭働いてるもん。考え過ぎた結果アウトプットがそういうことになってるだけで」

「『狂人の真似とて大路を走らばすなわち狂人なり』って言葉がありましてですね」

「強靭? 俺は繊細やで」

「いやその強靭ではなくて……」

 そう言いかけたところで、頭の中に小さな閃光がふっと走った気がした。

 過去の出来事と自分の感情が断片的な言葉とともにごちゃ混ぜなった奔流が瞬間的に巻き起こる。

 言語化の過程をすっ飛ばして急速に理解を深めるような不思議な感覚が僕を包んでるみたいだ。

「どしたん急に固まって」

「いや……今何か天啓が降りたような気がしまして」

「え、何それ」

「うまくは言えませんけれど、心につっかえていたモヤモヤが晴れていくような気分です」

「ほーん」

「自分の中にある矛盾にはずっと前から気付いていたはずなんですが、自分が善い人間であることにこだわり過ぎていたようです。でも、これからはもう僕自身のそういったズルさを認めてしまえばいいんじゃないかと思うんです」

「んー? ゴメン、今一つ意味が分からへんわ」

「よい子ちゃんになろうとしてた僕はとんだ大馬鹿だったってことですよ。そんなものには中指立てていくってことです」

「解き放たれてるやん! どうしてん!?」

「いくらだってお話ししますよ。いえ、ぜひ聴いてください。僕の魂の叫びってやつを」

「うおっ! ロック目覚めてるやんっ!」

 結局僕たちは一晩中盛り上がったまま夜を明かし、そのまま朝を迎えてしまった。

 高木さんは眠たそうに瞼を擦りながら、毎日交わすかのような調子で『またな』と言って奉仕員寮を出ていった。

 僕は部屋の窓から彼の後ろ姿を眺めつつ、感謝の気持ちと思い出を頭の中で繰り返し巡らせていた。

 高木さんにはある種の憧れのようなものを抱いていたのだと思う。そして、僕は高木さんのようにはなれないことを理解してしまっている。

 でも、そんなことは気にする必要のないことなのかもしれない。

「……さてとっ!」

 独り言を聞く人のいなくなった部屋で自分を奮い立たせるようにつぶやき、今日も奉仕員としての一日を始める。

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