第三章[4]

 目が眩むほど日差しの強い初夏のある休日、僕は公園のベンチに座りながら、子供たちが好き勝手遊んでいるのを眺めていた。

 別に暇だからというわけではなく、れっきとしたボランティア活動の一環である。もっとも、僕に任された仕事というのはすでに終わっているのだが。

 佐倉さんから『子供たちがトマトの収穫体験をするのでその作業補助をしてほしい』と持ち掛けられたのが元の依頼内容である。

 初めての奉仕活動でお世話になったお爺さんの畑が収穫場所であったため、客観的に見ても僕は適任だろうと思い、快く引き受けたのだった。

 収穫体験は特にトラブルもなく午前中に終わったので、僕はそのまま帰るつもりだった。だが佐倉さんから昼食を食べてから帰るよう勧められたので、お言葉に甘えることにしたのだ。

 ただ、昼食は表向きの理由で本当は子供の面倒を見るのも手伝ってほしかったのではないかと思う。

 今日のボランティアプログラムでは、収穫作業でおすそ分けされたトマトを使った調理実習が予定されている。だが、未就学児に調理工程を手伝わせるわけにいかないので、外で遊ばせる見守り係が必要だったわけだ。

 そうして今に至るわけだが、僕はやはり変えるべきだったかもしれない。なぜなら目の前で子供たちがケンカを始めたからだ。

 ……って何を冷静に語っているのだ僕は。

 慌てて周りを見渡すけれども、他のボランティアさんは皆、自身の持ち場の子供にかかりっきりだ。その中の一人と目が合ったけれども、お前が行けと言わんばかりの意思を感じる。

 誰にも聞こえないよう小さくため息を吐くと、僕は頭を抱えながら急いで子供たちの仲裁に入るのだった。


 どうにか子供たちのケンカをなだめた僕は、その後の昼食をさっさと終え、今は施設内のキッチンで椅子に腰かけて一人くつろいでいる。

 これから寮に帰ったとして何をしようかなどとボーっと考えていたら、同じように食事を終えたらしい佐倉さんがやってきた。

「あら、どこに行ったのかと思いましたよ。コーヒー飲みますか? インスタントですけど」

「それじゃあお願いします」

 1分ほどの沈黙が流れた後、僕の前にコーヒーカップがカチャンと置かれた。冷蔵庫から取り出した牛乳パックと小瓶に入った砂糖もセットだ。

「ミルクと砂糖はご自身で適当にお願いします」

「ありがとうございます」

 僕は徐に手を伸ばし、小瓶から砂糖をきっちり4杯掬ってコーヒーに入れる。

 正面に座ってブラックのままコーヒーを飲んでいた佐倉さんの手が止まり、カップに口をつけたままこちらの手元を凝視している。だが結局何も言われなかったので、僕もカップに口をつけて一息ついた。

 お互いが無言のまま、カップの中身が半分に減った頃合いに佐倉さんが沈黙を破って話しかけてきた。

「子供と遊ぶの好きなんですか?」

「いいえ……ってボランティアをやってる佐倉さんの前で言うのもなんですが。そう見えますか?」

「いいえ。失礼かもしれませんが穂垂さんはあまりそういう風には見えないです」

「ですよね。でもなんだってそんなことを?」

「だってさっきは楽しそうにはしゃいでたじゃないですか」

「お恥ずかしいところを」

 昼食前に僕が子供たちと遊んでいた場面のことを指しているようだ。もちろん僕がやりたかったわけではなく、子供たちのケンカを仲裁する過程でそうなっただけだが。

「いえ、別に悪いとはまったく思っていませんよ。むしろ良いことだと思います」

「なにも好き好んで遊んでいたわけじゃないんですが」

「そうなんですか?」

「えぇ。もともとは子供が勝手に公園の外へ出ていかないように見張っていたところでトラブルに巻き込まれただけですから」

「トラブル?」

「砂場で遊んでいた子供2人がケンカして片方が泣き出したんですよ。スコップの取り合いだかが原因で」

「それで?」

「それでって、放置したらまずいでしょう?」

「あれぐらいの小さい子供なんて毎日何かしらの理由で泣くんですから、別にどうにでもなると思いますけどね。子供だってどうしようもなくなったら誰か適当な大人に泣きつくぐらいの知能はあるでしょうし」

「スパルタ教育ですね」

「慣れた結果です。それに私は施設内にいましたけれど泣き声が聞こえたときに一応外の様子は見てますからね」

「え!? 助けてくれればよかったものを」

「外を覗いた時にはもう穂垂さんが近寄ってましたから」

 僕は両目を手で押さえて余計な仕事をしてしまったことを後悔した。

「そんなに落ち込まなくてもいいじゃないですか。詳しいことは知りませんけど、最終的には子供たちと仲良くなってたみたいですし」

「どれだけ苦労したと思ってるんですか。彼らの年頃じゃあこっちが理屈立てて説明したって全然聞いてくれないんですよ」

「まぁそうでしょうね。それでどうしたんですか?」

「ケンカしている子供たちが協力できるように、僕と砂山を作る勝負に話をすり替えて遊びました」

「へぇ、小松さんがそんなことするなんて意外ですね。失礼な言い方かもしれませんが、小松さんだったら『小さい子に譲ろうね』って言ってさっさと場を収めるタイプだと思ってました」

「いえ、僕の性格は佐倉さんのイメージで合ってると思いますよ。なんなら最初はそう話して納得させるつもりでした」

「ならどうしてそうしなかったんですか?」

「小さい子に譲るって理屈は僕たち大人なら理解できますが、彼らには納得できない理屈だと思ったんですよね。僕自身も彼らと同じぐらいの年頃に同じようなことを大人から言われたのですが、当時の未熟な精神ではどうにもこの理屈が消化しきれなかったんです。納得するというよりも大人という圧倒的な存在に自身の意志をねじ伏せられたという気持ちが強く残っただけだったんですよね。もちろんこんなことは誰しもが経験するような幼年期の一幕でしょう。ですから大して気に病む必要もないのですが、それでも僕は子供たちにそれを強制するのが嫌だったんですよ。それで、もし雅鯉朱さんならどうするかなって考えたら、たぶん一緒に遊ぶのかなって思ったんです」

「……」

「え、何か言ってくださいよ」

「ふふ、小松さんは立派なことを仰るんだなと感慨に耽ってたんですよ」

「なんだか笑ってませんか?」

「いいえ?」

 言葉と表情がまるで一致していないが、一体何が面白いのやら。

「まぁ確かに聞こえの良い話だったのは自覚がありますよ。でもこれは過程でそうなっただけで、最初からそんなことを考えて動いたわけじゃないです。ただ僕の目の前に泣いてる子供がいて、何もしていなかったら世間体的にまずいかなと思っただけの話です」

「前にも似たような話を聞きましたね」

「そんな話しましたっけ?」

「傘を忘れたことに気が付いてなんとかってやつですよ」

「あぁ、そういえばそんな話をしましたね」

 一足先にコーヒーを飲み終えた彼女は席を立って流し台でカップを洗い、いったん会話を中断する。

 水切りカゴにカップを片付けると、彼女はそのまま振り返って腰を流し台にもたれかからせた体勢で再び話を始める。

「どうしてそんなに世間の目が気になるんですか? したくないことをわざわざするなんて変じゃないですか」

 彼女の癖なのかは知らないが腕を組んだ状態で話をするものだから、こちらが尋問されているみたいだ。おまけに女の子にしては背が高いので、座ったままの僕からすれば余計に威圧感がある。もちろん彼女にこちらを責める意図がないのは分かっているが。

「前にもお話ししたように、僕は罪悪感から逃れられないんですよ」

「悪いことでもなんでもないのに罪悪感ですか」

「他にもっと適切な言い方があるのなら罪悪感と表現する必要はありませんがね。実際、僕自身にとってはこの罪悪感が必ずしもダメなものとは思っていませんので、もう少しポジティブな言葉で表現してもいいかもしれません」

「罪悪感だとネガティブな印象しか受けませんけど、それのどこがいいんですか?」

「僕って基本的に周囲に無関心な部分が多いと思うんですよね。非協力的というか。でも本当にそれを突き通していたら社会不適合者まっしぐらですよ。僕は臆病ですから、そんなものを貫き通す度胸はありません。でも、罪悪感があれば自分の望んでいないこと、つまりは世間的に正しいとされる行動を取ることができるんですね」

「倒錯的なおかげで道徳的になれているわけですか」

「世間はそれをひねくれ者と呼ぶでしょうがね」

「あんまり卑下されてもツッコミにくいのでフォローはしませんよ」

「……お構いなく」

「で、さっきの子供たちと遊んだことも罪悪感があったからこそ正しいこと、より正確には小松さんの思う世間的に正しいことができたというわけですね」

「そうですね」

「正しいと思うことができたのなら罪悪感なんて呼び方する必要ないじゃないですか。実際に小松さんと遊んでいた子供たちは満足していたようですし」

「確かに悪いことは何もありませんが、その過程で子供を意図的に操作していますから、どうしても罪悪感は残るんですよ」

「それはあまりにも潔癖過ぎませんか? 多かれ少なかれ人が選ぶ行動の中には迷いがあるものですし、本当に純度100%の意志なんてそうそうあるものじゃないと思いますよ。だからそこはもう大人しく受け入れて『子供たちのトラブルを無事に解決できてよかった』と考えるだけでいいんじゃないですか?」

「確かに自分の意志に反する行動を取らざるを得ない場面は人生いくらでもあります。でもだからといって結果だけを見て自分を肯定してしまうのもダメなんじゃないかと思うんですよ」

「どういうことですか?」

「佐倉さんは子供を大切にするべきものだと思いますか?」

「普通に考えればそうだと思います」

「ですよね。僕もそう思います。でもどうしてそう思うんですか?」

「え? まぁわざわざ突き詰めて考えたことはありませんけれど、パッと思い浮かぶ理由だと単に可愛いと思う愛情とか人の本能的な理由があると思います。他にも客観的に言えば人間社会の構造における価値とかがあるんじゃないですかね。そういったものが知らず知らず積み重なって、『子供は大切にするべき』っていう考えになったんだと思います」

「なるほど。僕も佐倉さんと同意見です。時間を掛ければ他にももっと細かい理由を説明できるでしょうが、いずれにしても子供を大切にするべきか否かと問われればこれは是とするのが人間社会の共通認識でしょう。もちろん人それぞれ考え方は自由ですが、子供に対する認識としては最初から答えの方向性が決まっています」

「それはそうかもしれませんが、さっきの話とどう関係があるんですか」

「まぁまぁ、もう少し続きを聞いてください。もし今の話とまったく別の考えを持つ人がいたとすればその人は世間から逆風の憂き目に遭うでしょう。時代が変わればその人の考え方が主流になることもあり得るかもしれませんが、そうやって後世の人たちに評価されるほどになるにはよほどの信念がない限り無理です。そして当然僕はできない側の人間です。そのことが分かっているからこそ、僕は時代に合った価値観というものを強く持たないといけないと思っています」

「それで?」

「僕はその時代に合った価値観を適用する範囲が他の人たちよりも広いようなんですよね。子供のことに関しては佐倉さんにも同意いただいたように、個人が好む好まざるを関係なしに子供は大切にしなきゃいけません。これはもはや人間社会に生きる人間の責務です。ですが以前お話しした傘の件になると、確かに届けるべきですが、別に無視したって批判されることほどのことではありません。でも、僕の場合はさっきの子供の話と同レベルで、傘を届けるべきという観念が強く働いてしまうんですよ。だから僕はまるで善人かのように傘を届けはしますが、本心ではないので自分の中では偽善にしか思えなくて罪悪感が湧くんですよね」

「それでも十分潔癖だと思いますが、そこまでおっしゃるのであればこの際そこはスルーします。でもその信念を貫き通すというのは小松にとって随分と生きづらい社会になってしまいませんか?」

「一応補足しておきますが、僕が『正しいことをしなきゃ』と思える社会であることは良いことだと思っていますよ。いつの時代も倫理の衰退を嘆かれるのが世の常ですが、僕はちっともそうは思いません。遥か昔から脈々と受け継がれてきた常識というものが形を変えて今の時代に最適化されたものだと思ってますから。ですから問題なのはあくまで僕の心の方です」

「……」

「で、最初の話に戻りますが僕がお昼前に子供たちのケンカを収めたのは『やらなければいけないこと』なんですよ。僕はその義務感に従ったわけですが、あえて意地悪な見方をすれば子供の単純さに付け込んだような方法を採ったわけです。それも不承不承で。そのことが子供たちにとっては何の悪影響はなくても、僕自身の態度は非難されるものだと思ってしまうんですよね。ですから僕は子供たちのケンカを収めた一連の行いをと割り切ってはいけないと思います」

「理屈は分かりましたが、それじゃあ一生救われないじゃないですか」

「そうかもしれません。でも、僕の問題を解決してくれる答えはきっとあると信じています。僕を苦しめているのは僕自身ですから、そこから救い出すのも僕自身がなんとかしなくちゃいけません。これは何かしらの理屈で解決できるのではなくて、社会に対する捉え方を僕自身の中で変える必要があると思っています。もっとも、これは簡単な話ではありませんし、どうすれば変わるのか見当も付いていませんけれど」

「……そうですか。もし見つけれられたのならぜひ教えてください。小松さんみたいな変な人の話は聞いていて面白いですから」

「褒め言葉として受け取っておきますよ。僕の話なんかで面白がってくれるのなら、いくらでも聞いていただいて構いません」

 会話が途切れると、子供たちのいるメインホールの喧騒が大きくなっていることに気付く。いつの間にか結構な時間が経っていたらしい。

 そろそろ頃合いかと思い、席を立ち部屋を出ていこうとしたところでホールの方から子供がやって来た。この子はお昼前に一緒に砂遊びしていた子じゃないか。

「どうかした?」

 佐倉さんではなく僕に用があるらしく、腰下ぐらいの位置にある彼の目を見て話しかける。

「おにいちゃんこれあげる」

 そう言ってポケットから取り出した小ぶりなトマトを手渡される。

「これは?」

「トマト」

「くれるの?」

「おなかいっぱいやし。いらんからあげる」

「そういうことね。ありがとう」

 正直言って僕もいらない。持って帰っても調理に使えるほどの量でもないので、ここでそのまま食べるのが手っ取り早いだろう。

 だがあいにく僕はトマトの生食は好きではないのだ。ミートソースみたいに調理してくれたらむしろ喜んで食べられるのだが、トマト単体だと青臭いにおいが気になってしまう。

 とはいえ、この状況ではやはり今ここで食べるのがベストの選択だろう。手渡してきた本人がいる手前、誰かにあげるというのも変だろうし。まったく、さっき桜さんと世間体の話をしていたらすぐにこれだ。

「いただきます」

 僕は意を決めて手にしたトマトをかじる。

 少々行儀が悪くなってしまうが、果汁が垂れないように口をつけたままジュルジュルと音を立てて吸い、2口で食べきる。

 寮の食事で出てくるサラダのトマトよりかはおいしいがやはり青臭い。おまけにずっとポケットに入れられていたせいで体温に近い温度を放っており、余計に青臭さが増している。

「おいしい?」

「あぁ、おいしいよ。ありがとう」

「ウソや。それちっともおいしくなかったで」

 目の前の彼は満足したような顔をして再びホールの方へ走り去っていった。

 取り残された僕と桜さんは互いに顔を見合わせる。

「生意気な子供ですみません」

「いや、もともと生のトマト苦手なんで彼の感想も分かりますよ」

「えぇー……」

「でもまぁ、これでいいんだと思います」

「良く分かりませんけど」

「私にも良く分かりませんが、やっぱりさっきのトマトはおいしかったような気がします」

「どっちなんですか。いや、別にどちらでも構いませんがそろそろ私はホールに戻りますね」

「えぇ。僕の方はここで帰らせてもらいますね。それと、昼食ご馳走様でした」

 僕はカップを流し台でサッと洗い、少しだけ上機嫌になって帰路に就いたのだった。

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