第三章[3]

 山田さんや滝川さん、藤多さんとの一件から3カ月、僕はいまだに答えを見つけ出せないでいた。

 罪悪感を十字架として背負って生きるのは悪くない案だと思っていた。でも本当に自分が良い案だと思っているのなら、藤多さんや周りの人間がどう言おうと僕は自分の答えに迷うはずがない。つまり心の奥底では納得がいってないわけだ。

 だったらどうすればいいのだろう? 確かに母さんは僕が苦しむことを望んだりはしないだろうさ。でもだからって罪の意識を背負わなくていいとはなるまい。

 それとも僕の考え方が根本的におかしいのか? いや、そうは思わない。だって罪を贖うには罰を受けることが人類有史以来の最も理に適ったルールのはずだ。だから僕が罪を忘れないのは絶対に間違ったことじゃない。

 ……絶対に、か。やっぱりこの調子じゃ一向に状況は進展しなさそうだ。

 改めて自身の罪について見つめ直すべく、より思考を深化させて僕はもう一人の自分と対話するかのように内観を始める。


 僕は自身に罰を課すことで罪の意識から逃げているだけなのだろうか?

 ……いや、そんなズルいことを考えたりはしない。藤多さんにも話した通り、社会的に赦された後も罪を意識し続けることで自身に罰を与えようと思ったぐらいだ。もちろんこれじゃあ一生苦しみ続けるわけなのだが。

 じゃあもっと別の部分を意識してみようか。奉仕活動を続けていればいずれ社会から赦されるのに、その『赦されること』が辛いってことについてはどうだろう?

 ……要するに世間と自身の評価の認識があっていないという話か。

 どうして自身の罪の話をしているのに世間と結びつけてしまうんだろう? 真に考えなきゃいけないのは被害者、つまり死んだ母さんのことだろうに。

 ……そりゃあそうだけど、母さんはもう死んでるんだから何もできないさ。

 その答えはおかしいんじゃないか? お墓に花の一つも供えていないってのに。

 ……いや、それは僕にそうする時間がなかっただけだ。

 ほんとに贖罪する気があるならいくらでも方法はあったはずだろう?

 ……そうかもしれないけれど死んだ人に対して僕が何をしたところですべて無意味じゃないか。

 だったら今やっている奉仕員としての活動や罪悪感を背負い続けるってことも何もかもが無意味になるんじゃないのか?

 ……奉仕員としての活動は僕に課せられた義務だ。

 義務だなんて自主性のないズルい言い方だな。母さんに対する贖罪から逃げてるだけなんじゃないか。

 ……違う! 僕は逃げるつもりなんかない!

 今までの言葉を振り返ってどこを見れば逃げてないって証明できるんだよ?

 ……証明する方法があるならなんだってやるさ。でもそんなこと誰にも証明できっこないよ。僕の胸を切り開いたら心が見えるか?

 人が死んだらそれでもうすべてお終りなのか?

 ……そうさ。

 自分の心に母さんがずっと居座っているのに?

 ……僕の心にいる母さんだって結局は僕が勝手に作り出したものであって本当の母さんじゃない。

 じゃあ生きていた頃の母さんの気持ちは分かっていたの?

 ……分かってたつもりだよ。

 つもりだなんてまたズルい言葉だ。自信が持てなくなったんだろう?

 ……だって自分以外の相手の心なんて結局想像するしかないんだから、相手が生きてても死んでても一緒じゃないか。

 そのとおりだ。自身が出会ってきた人たちそれぞれの人物像に生死は関係ない。生者と死者で違うことといえばその人物像に対して情報が更新されるかしないかだけだ。

 ……つまりなんだっていうんだ。

 母さんのためにできることを何もやっていないってことさ。墓の前でゴメンのひと言も唱えずに罪悪感だのなんだのって自分のことしか考えてないじゃないか。世間からの評価が自己評価と違う? それは自意識過剰というものだ。世間は僕が思うほど僕のことに興味なんてない。今まで何度も殺人事件のニュースを目にする機会があっただろう? そしてそこに記された犯人の名前も見たはずさ。でも僕はそれを覚えてなんかいない。

 ……。

 もういい加減認めるべきじゃないか? 周りの人間を気にしながら生きる僕の考え方は問題からズレているし意味がないってことを。僕が向き合うべきは問題は僕の犯した罪ではなく、被害者である母さんに対してだろ。

 ……そうだとしても、僕には周りを気にせず生きるという選択を取ることはできない。

 ハ! どこまで意地を張り続けるんだか。こんな調子じゃ何度考え直したってダメさ。お手上げだね。


 内心で自分自身にあきれ返りながら、天井を仰ぐと意識が再び現実に帰って来る。

 何度こんなやり取りを自身の中で繰り返しただろうか。こうして僕はいつも答えを見つけられないまま、嫌なことから逃げるように考えることを投げ出してしまう。

 でも今回は投げ出す前に藤多さんが言っていたという言葉をふと思い出した。

 自分の強みというのは何だろう?

 強みというのは他の人よりも優れている部分と言い換えてもいいだろう。けれど自分にそんなものがあるという自覚はない。

 藤多さんは僕に優しくしようとして適当な言葉を投げかけてくれたのだろうか。でも、苦しんでいる中でやっと答えを出しかけた僕に、また別の答えを考えさせようとするのは残酷な話じゃないか。……あぁ、でも苦悶を繰り返せと言っていたから今の状況は藤多さんの意図通りなのかもしれないな。

 ひょっとすると強みというのは僕自身が強みとして認識していない部分という可能性もある。

 そう考えて、人から褒められた記憶を探ってみるけれど、すぐに思い出せるほどのこともない。

 勉学ならば多少褒められたこともあった気はするが、だからといって特筆するほど秀でた分野があるわけではないし、強みと言えるほどのことでもないだろう。

 ……それじゃあ結局どうすればいいんだ!

 これまでのことで分かったのは、自分ではどうにもなりそうにないということだけじゃないか。



 悶々と思考に沈んでいたら、いつのまにやら夕食の時間を迎えてしまっていた。なんの成果を得られなくてもお腹は空いて、なんだか卑しい存在に思えるのは精神状態が良くないサインだろうか。

 夕食後は思考を再開する気にならなかったので、僕は寮の部屋で買ったばかりの本を読んでいた。

 ただ、現実の悩みに気が散らされてなかなか作品の中に没頭できない。このままじゃもったいないので続きは明日に取っておこうかと考え始めたところ、部屋のドアが勢いよく開けられた。

「ちょっ、穂垂君聞いてや」

「どうしたんですか?」

 同居人である高木さんがいつにも増して興奮している。やはり本を読み進めるのは明日で決まりみたいだ。

「あのな、俺あと3点稼いだら出所なんやって」

「えっ!? おめでとうございます。確かにあと少しのところまで来ていたのは前々から聞いていましたけれど、随分とペースがいいんじゃないですか?」

「そやろ? 最近の俺めっちゃ覚醒してんねん。もっと褒めてくれてええで」

「最近は藤多さんに怒られること全然なかったですもんね。少し前に藤多さんと立ち話をした時も『高木のやつ変わったな』って言ってましたよ」

「マジ!? あのオッサンそんなこと言っとったん? かぁ~、ほんま素直やないんやから」

「そんな態度取ってるとまた怒られますよ。それにしても前までは隙あらば管を巻いていたってのに何かきっかけでもあったんですか?」

 純粋に不思議を感じての質問だった。

 高木さんとはほぼ毎日顔を合わせているが、身の振り方を改めるような劇的な出来事が彼の身に起きたという話は聞いたことがない。もちろん四六時中一緒にいるわけでもないのだから、彼について知らないことは山ほどある。それでも大きな出来事が起きていたのなら、彼の性格からして僕に喋らないはずがないと思うのは傲慢だろうか。

「きっかけ? んー、そやなー。これといった理由はないんやけど、しいて言うなら穂垂君の影響かもしれん」

「僕ですか?」

「そう、なんか穂垂君がマジメにやっとんの見てたら俺がカスみたいに思えてきてん」

「そんな。高木さんが卑下することないですよ。それに僕はマジメにやってるというか普通にしてるつもりですけどね」

「いやまぁ穂垂君はそう言ってくれるけど、俺自身はそう思えるんよ。それになんというか穂垂君相手にブツブツ話してても楽しくなくなってきたし」

「つまらなくてすみません……」

「あぁ、すまんすまん! そういう意味ちゃうねん。穂垂君と話すのは楽しいんやけどなんか自分の中で『なんで俺はこんなしょーもないことばっか言ってるんやろ?』って思ってまうねん。で、そしたら自分のことが嫌になってもうてな。なんとかせなあかんって思ったら、自然と今みたいな感じになったんよ」

「お、おぉ~。高木さんからそんな話が聞けるとは思わなかったです」

「えぇ!? 感想ひどない?」

「いや、すみません。素直にすごいと思ってますよ。ただビックリしてしまって、うまく言葉が出てこないというか」

「まぁそういうことなら許してやろうやないの」

「しかしなんだって僕と話すと高木さんはそういう風に思うんですか?」

「だって穂垂君くそマジメに生きとるし。そんなん見せつけられたらなぁ」

「融通が利かないだけだと思いますけどね」

「そんなことあらへんって。世の中にはええマジメとあかんマジメがあるけど穂垂君はええ方のマジメや」

「そういっていただけるとありがたいですね」

「盛大に誇ってええで。そこが穂垂君の強みなんやから」

「強み……」

「普通の人は穂垂君みたいに振舞おう思ってもできひんからな」

「普通の人は高木さんみたいに振舞えないと思いますけどね」

「はっは、言ってくれるやん」

 彼の口から藤多さんと同じという言葉が出てくるとは思ってもみなかった。このまま冗談で流されないように、僕は真意を探ろうと疑問を口にする。

「高木さんの言うマジメは僕の強みなんですか? 僕はそのせいで不自由な思いをすることが多いんですが」

「だからこそやん。自分の性格が原因で嫌な思いしたら、『もうこんなことやってられるか!』ってなるやん? でも穂垂君はそうやって腐らずに今もこうして俺の相手してくれてるやんか」

 いまいちピンと来ないが、要するに忍耐力みたいなことを指しているのだろうか?

 目の前の彼と比べると僕の方が忍耐力はあるかもしれないが、結果としては僕がいいように利用されているようにしか思えないのだが。

「僕としてはどうにかこの不便な性格から脱却したいと思ってるんですけどね。それこそ高木さんが羨ましいですよ」

「俺なんか見本にしたらあかんあかん。俺がこうして変われたんは穂垂君の影響なんやし」

「僕は以前の高木さんも嫌いじゃないですよ」

「うっふっふ」

「でも本当に僕が高木さんに良い影響を与えられたのか自覚はありませんね」

「自分を客観視するのは難しいからな。でもまぁ俺が穂垂君の影響受けてるんは事実やで。いずれ俺がおらんくなっても穂垂君はこのまま突き進んでくれや」

「寂しいことを言わないでくださいよ。それに僕はそんな大した人間でもありませんし」

「あぁ、穂垂君はその謙虚なとこがいかんな。謙虚なこと自体は悪いとは思わんけど、自信のなさを言い訳にするために謙虚ぶったらあかんで」

「含蓄のある言葉ですね。肝に銘じておきます」

 僕がそう答えるのを確認すると高木さんはもうマジメな話は終わりとでも言うように姿勢を崩した。

「なんかいつもと逆やな」

「そうですか? あまり僕の方から高木さんに道徳だのなんだのを説いた覚えはありませんけど」

「いや、俺はいつも穂垂君から説教じみたもんを感じ取ってたで」

「例えば?」

「門限破っちゃアカンとか」

「それは当たり前じゃないですか」

「それは穂垂君の中だけや。俺にとっては当たり前やないねん」

「門限は僕が決めたルールじゃなくて、この寮のルールです」

「はぁー、悲しきかな法治国家よ。どっかのオッサンが鼻ほじりながら決めたルールで俺の自由は奪われるというんやな。ほんま糞くらえやで」

「法治主義が完全とは言いませんが、少なくともその発言が許されるくらいの自由は保障されてますよ」

「また国家の犬アピールかいな」

「マジメがゆえです」

「せやったな」

 高木さんはそう答えると、最後に『じゃっ!』と言って部屋を仕切るカーテンの向こうへ戻っていった。

 いつも通りの他愛もない話だったが、僕がずっと探し求めていた何かに一瞬触れたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る