第二章[5]
夏の日差しが弱まり、庭先のコスモスが咲き始めたある日曜日に私は桜ちゃんを誘って近所の公園に来ていました。これは別に遊びに来たわけではなく、とある話をするためです。
前日の夜、私は桜ちゃんに少し相談したいことがあると携帯で連絡入れていました。直接会って話がしたかったのでメッセージは非常に簡素なものだったのですが、桜ちゃんからの返信は『わかった』のひと言。
短いやり取りでしたが逆にそのことが私を安心させるとともに、桜ちゃんなら私の悩みをどういう風に答えてくれるのだろうと期待させるのでした。
「はぁー、いい天気ねぇ」
「うん、そうだね」
二人並んでベンチに腰掛けながら、私は自販機で買いたてのミルクティーを相談料代わりに手渡します。
「ありがと。別に奢ってくれなくても相談なんていつでもしてくれればいいのに」
「そうはいかないよ。感謝の印として何かしてないとモヤモヤしちゃうし」
「じゃあ素直にいただくわ。それで、どうしたの話って?」
「うん、ちょっと伝わりにくい話かもしれないんだけど、私これからどうしたらいいのかなって……」
「どうしたらっていうのは、つまり進路の話ってこと?」
「うーん、違わないけど……でも違うかな。私は今でも学校の先生になりたいって思ってるよ。でも、本当に私が先生になっちゃっていいのかなって」
「適性検査で資格があるのなら別になってもいいってことだと思うけど。雅鯉朱は昔っから先生になりたいっていてるし、そのための基準だって余裕でクリアしてるんじゃないの?」
「いやその資格ってことじゃなくて、私は先生になっていい人間じゃないような気がするの」
「えぇ? よく分からないなぁ。資格の話は置いておいて、先生としての人格とか素質うんぬんの話だとしても、雅鯉朱は先生になっていい人間でしょ。それとも誰かから何か言われたの?」
「いや、そういうのじゃないんだけど」
「じゃあもっと詳しく教えてよ」
「うん。例えば私たちってよく週末にボランティアをやってるでしょ。最初はね、色々戸惑うこともあったり悩むこともあったんだけど、そういう経験も含めて私すっごく嬉しかったんだよ。心が満たされるっていうか、自分の欲しかったものがここにあるっていう実感があって」
「それは私から見てもそう思ってたわよ。私は適性試験の評価につながるから付き合ったっていう魂胆が最初はあったけれど、いざやってみたら案外楽しかったしね。そんな私ですらそう思うんだから、雅鯉朱の性格だったらなおさらでしょうね」
「でね、それから今に至るまでボランティアを続けてるんだけど、いつの頃からか罪悪感みたいなのを感じるようになってきたの。昔だったらあれこれ試行錯誤して、全力で子供たちのためになるように頑張れたんだよね。でも慣れというか、だんだん『こうすればこの子は喜ぶんだろうなぁ』とか、『こう言えばこの子は言う通りに動くんだろうなぁ』とか思うようになってきたの。もちろんそれを世間一般では私自身の成長っていう形で捉えられるのは分かっているよ。でもそういう風にあらかじめ結果が読めるようになってくると子供たちが喜んでいるのを見たり、周りのボランティアの人たちから感謝されてもいまいち素直に受け入れられないの」
「えー、そんなこと考えるかなぁ? ボランティアしてる時の雅鯉朱っていつも笑顔だったし、傍目にはすごく上手く振舞ってて天職みたいだなって思ってたんだけど。まぁたまに、特に最近はボーっとしてた時もあったけどその時ってそういうこと考えてたわけ?」
「ボーっとしてる時の自覚はあんまりないんだけど、たぶんそうだと思う」
「あの雅鯉朱が意外ねぇ」
「それで最初の話に戻るんだけど、桜ちゃんだったら私の考え方ってどう思う? どういう風に考えたらこんなことに悩まなくてもよくなるのか意見が聞きたいの」
「うーん、雅鯉朱の言ってることは理屈としては分かるけど、私の感性では受け入れにくいから質問に寄り添った回答は難しいわね。でもその上で答えるとすれば、やっぱり考え方が変じゃないかしら。だって雅鯉朱のせいで困った人なんて誰もいないじゃない? で、雅鯉朱は人に喜んでもらうのが好き、と。だったらみんな幸せじゃない。雅鯉朱が自分で言った通り、言葉で相手が従うようになるのは雅鯉朱のスキルが成長してるってことなんだし。罪悪感っていってもどこにも罪なんかないわよ」
「私も桜ちゃんが今言った通りの理屈で受け入れようとしているつもりなんだけどね。それでもやっぱり心の底から罪の意識が湧いてくるような感覚があるの。」
「理屈で分かってるのに意識がーって言われると、なかなか良い解決策ってのも難しいわね。でもそうねぇー、うーん……じゃあその罪の意識っていうやつをもう少し掘り下げてみましょうよ。罪の意識が湧いてくるのはどうしてなの?」
「それはさっきも言った通り、なんだか騙しているような気がするからかな」
「なんで騙している気になるのよ? それって雅鯉朱が『こうなればいいな』って考えた結果でしょ?」
「少し大げさな言い方になるけど、自分の意志で相手の行動を意のままに操ったみたいな気分になるの。それって悪いことじゃない?」
「それで相手がひどい目に遭ったりとかするならそれは悪いことかもしれないけれど、雅鯉朱の場合はそうじゃないでしょ。相手の意思を操るっていうのは必ずしも悪いことじゃないはずよ」
「そうなのかなぁ」
「だってほら、例えば片思いしている相手がいたとして、自分に興味を向けてほしいと思ったらどうする? 色々な方法はあるだろうけど、相手の好きなものを調べてそれをプレゼントするってのはよくある話でしょ? これも雅鯉朱は悪いことだと思う?」
「それは思わないよ」
「どうしてそう思うの?」
「だってプレゼントを渡したことで相手が困っているわけじゃないし、渡した本人もからかいとかじゃなくて本当に好きでやってることなんだから、それを騙すこととは言わないと思う。もし相手がプレゼントの受け取りを嫌がってるとかだったら話が変わってくるかもしれないけど」
「なるほど。まぁ拒否られた場合の話は置いといて、雅鯉朱の場合に置き換えてみましょうよ。雅鯉朱のやっていることは相手のためを思ってのことだし、それで相手も悪い思いはしていない。雅鯉朱は雅鯉朱で相手を騙そうとしたりしていない。だったら何も問題ないんじゃない?」
「……なんとなくそんな気もしてきた」
「なんかまだ納得してない感じがあるわねー」
「うーん、他人がすることならいいと思うんだけど、自分がやる場合だとやっぱりモヤモヤするかもしれない」
「えー、なんでそうなるのよ」
「今の例のとおりにやったとして、自分の狙い通りになるとたぶん嬉しいと思えないんじゃないかな。相手が振り向くまではそのことを望んでたんだけど、いざ相手が振り向くと本当にそれが自分の望んでいたものなのかを疑ってしまう気がするの」
「難儀な性格ねぇ」
「もちろん身勝手なことを言ってるのは自覚してるよ。それでも望みが叶った瞬間、心のどこかで自分の行為を否定する私がいるの」
「否定っていっても、その考え自体がおかしいっていう自覚はあるんでしょ?」
「うん。でも相手の行為に私の思惑が乗っかってしまうと、相手の気持ちが本当なのか疑わずにはいられないの」
「相手が何をするかってのは相手自身が考えて取った行動だと思うから、相手の気持ちが本当かどうかなんて私は考えたことないけどなぁ」
「私もそういう風に考えられたらいいんだけど、どうしても心から受け入れられないんだよね」
「雅鯉朱の悩みを私が考えてもこの感じじゃ堂々巡りになりそうね。誰か他の人の意見も聞いてみた方がいいんじゃない?」
「こんな話できる相手なんて他にいないよ」
「ありがたい言葉だけど、なんだかもどかしいわね。雅鯉朱には悪いんだけど……」
「そんなことないってば。すごく参考になったし、感謝してるよ」
「たぶん考え方に慣れが必要なのよ。自分の気持ちに従って考えるのもいいけれど、それで答えが見つからないのなら理屈で考えるのも一つの手よ。それで新しい考えが浮かんだのなら、とりあえずそっちに従えばいいんだって」
「頑張ってみる」
「ふふ、頑張ってみて」
それから私たちはいつも通りに他愛のない話をしてから別れたのでした。
家に帰ってからの私は桜ちゃんとの会話を頭の中で思い返します。
理屈で考えて答えが出るのならただそれに従えばいい、というのが桜ちゃんの考えの要点なのでしょう。
確かにその行動指針であればいつ迷ったとしても自分の取るべき行動は自ずと決まってきます。
でも私は桜ちゃんほど強くはありません。理屈では分かっていたとしてもそう簡単に割り切ることができなくて、私にできたのはため息を吐くことだけでした。
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